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「いい線」とはなにか?という質問
去年のブログで書き残しがあったから公開しておこうかな
先月、「ファンダメンタルズ」という会に出席して懇親会で面白いことがあったので記しておきたいと思う。このイベントは科学者と芸術家が邂逅してなにか新しい普遍を目指すという趣旨のもの。
表題の質問、美術関係者だけで集まっていると、改めて問い直すようなこともなくて、なかなか質問されるようなことではない。
改めて自分の受けてきた美術教育の過程を俯瞰して振り返るような機会になったし、そこから先に続く問答も知的探究心を感じるやりとりですごく楽しかった と同時にこれは私じゃない絵を描いてる人がもっとしっかりした答えを持ってて然るべきなのにとも思った。
話を戻して、「いい線」ってなんですか?と質問されたらなんて答えるか。私は話題に途中から入ったんだけど、そのときに暫定の答えとして挙げられていたのが「絵を何枚も描いていたらわかる」というもの。これは…なんだろう、ブラックボックス化しているというか、自分としては不親切な答えだと感じた。美術のことを知らない人にこういう言い方をしてしまうと、結局、「よくわからない」と壁をつくるだけではないかと思った。
相手は美術は全く専門外の研究者なので、めちゃくちゃ一般論として、いい線とは、「空間が描けている線」という考え方がある、ということを紹介してみた。
良い線とかでよく紹介されるのはルーベンスとかかな このムチムチ感はすごい。。首の後ろにも手が回りそうとよく言われてた
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つまり輪郭線を一様にビーッとなぞった平面的な線じゃなくて、そこに距離感や立体感を感じるとか、そういうものだ。写真もないし、文字も読めない人が多かった時代で、画家の稼ぎどころだった宗教絵画ではあたかも神の世界がそこに広がっているような2D⇔3Dのイリュージョンが求められていたし、そこに評価基準があった。遠近法とかそれを実現するための大発明だったと思う
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次に「それすらも刷り込みではないのか?」という質問が来た。なるほどーー、これもすごく面白い質問!その通り。結局、美大を受験する上で通過しなければならない試験で要求された主なことは(今はちがうかもしれない2000年代の受験の話)ルネッサンス的なイリュージョンをつくりだすデッサン技術と、その価値観に基づいた画面構成力。だから私達美大出身者には最初にそのルネサンス的な美の評価基準の刷り込みがある。だけど、歴史を振り返るとルネサンス以後写真が登場したりしてイリュージョンとしての絵画は存在意義がかなり揺らいだ(写真で撮ればいいじゃんとなったため収入源だった肖像画の需要もめちゃダウン)。もっと、絵画にしかできないこと、「絵画性」を探求せざるを得なくなった。それでキュビズムとかフォービズムとかアクションペインティングとかフィールドペインティングとかいろんな絵画が生まれた。その美の基準を見直す過程で、浮世絵やアボリジニの絵画も見直されたし(オリエンタルな目線ではあるけれど)、西洋の画家たちは西洋の「美」に対するオルタナティブを繰り返し更新していく、そういう繰り返しがあるということもざっくり話した。浮世絵とか山水画とかは、遠近法と全く違う考え方で画に奥行きを生み出していることで西洋的にはショッキングな技法の発見だった(はず)
美術館行ってもそういうことわからないから、キャプションよんで、そういう事がわかるといいのにねというのは、そうかもだね、、。最近音声ガイドとか豊富になってきたが、美術教育もっとしっかりして、それぐらい基礎教養として普及させようよ、という話でもある。
私は学部では絵画科にいたけど3年生ぐらいから絵画かいてなかったし、大学院はメディア表現をやってたから知識不足や最新の動向とかはわからないことも多いけども、アーティストは職人的な暗黙知を再生産してるものと思われるのは心外だったから、私にできることを説明してみました。
研究者の人たちにとっては、日常茶飯事かもしれませんが知的好奇心が満たされて楽しかった。専門外なのに、西洋的な美の基準が刷り込みじゃないか、というところに数分でたどり着くところとかも、ワクワク感がありました。何かを責めてるわけじゃなく単純な疑問とかから出発しているから、攻撃にならないところもすごく良かった。こういう場に定期的にいれれば、アウフヘーベンができそうな気がした笑
ちょっと残念だったのは、(たまたまその時に居合わせた人がそういう人だっただけかもしれない)アーティスト側の人が、門外漢の人に向けた言葉をあまり持っていなかったこと。私は専門外の人が集まるIAMASってところに行ったのもあって、外部向けの切り口で話ができたのかなと思ったりしたけど、でもやっぱり、こういう機会にちゃんと言葉を持っていることは、作品を高めるためにも、外部の理解を得るためにも、とてもいいことだと思う。ただ、現状の日本の美術教育で自分の作品を先生に講評されることはあっても、自分が批評するって経験はなかなかないのでは?と思ったから、そういう機会が増えていくと、もっといいのかなとも思った。
とにかく、この日は個人的に攻撃されるわけじゃないという意味で安心しつつ、疑問をぶつけたり言葉を交わせる、概念を高められるというかその高揚感がとても新鮮で楽しい経験として記憶に残った
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