コカゲロウのように、流されまくって生きたい
人生を振り返ってみて、私は、本当に流されたお陰でここまで来られたのだな、とつくづく思うようになった。
農業に興味を持ったのも、農福連携やケアファーム、ソーシャルファーム(社会的企業)、教育、ジャーナリズムに興味を持って、今少しずつかかわりを深めているのも。
全部、自分で発見して、選択して、歩んできたと思いきや、実は流されてきた。
一つの流れに流されたら、また別の流れも見えてきて、もしくは別の流れに誘われて、そちらにも流された。
この間、その方の流れにも乗らせて頂いていると思っていた方と、この話になった。実は、その方も流されていたということが判明。
流されて生きることについて書いた本ないかな、と市立図書館の蔵書検索に掛けたら、あった。「流されて生きる生き物たちの生存戦略」。私やないかい!
川に住む生き物たちは、流れに何かしらの形で抵抗して生きていかねばならない。流れから身を隠すものもいれば、流れを利用して生きているものもいる。
「激しい流れの中へ積極的に入り、あえて流される行動」を「ドリフト(drift)」というらしい。能動的なドリフトをする生物もいて、例えばコカゲロウ科がそうだ。
そうか!ただ流されるのではなくて、能動的に流されればいいのか!
ドリフトするかどうかは複数の要因によって決まる。太陽や月の光、天敵や餌の量、流れの量や速さ、などなど。そして、行きたい場所まで行ったら、流れから離れることができる。
たぶん、私がドリフトするかも複数の要因によって決まっていて、例えば水源の信頼度(勧めて来る方が、信頼できるかどうか)...これが自分にとっては一番大事だと思う。流れの温度や速さがその時の自分にしっくりくるものであるかどうか。あとは、あまりに流量が多いと、一時的な流れなのではと懐疑的になる。
自然界には、人生の問いのヒントが沢山詰まっている、などと言うけれど、確かにそうなのかも。
流されるな!と主張する方もいるけれど、
私は、コカゲロウのように能動的に流されまくって生きたい。
カゲロウ。漢字で書くと蜉蝣で、中国語だと、「浮遊」と同じ発音だとか。
確かに、むしへんに変わっただけで、カゲロウの生態を正確に表しているのだろう。
昆虫博士に、ここら辺の、能動的ドリフターの話を聴きたいな!
ちなみに、コカゲロウの写真をネットで調べてみたら...好き嫌い真っ二つに分かれそうな容貌でした(笑)あえてここには載せないでおきます。
インスピレーション源:
仲間との会話
人生を振り返って
「流されて生きる生き物たちの生存戦略」著・吉村真由美