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「だんじりよ、永遠に」(七)本能に立ち還る祭り


祭りとはなんだろうか、という問いが連載を重ねる中で厳然と残っていた。能登半島地震から1年となる2025年の正月から間を置かずに30年を迎えた阪神淡路大震災。
絶えない災害、絶えない戦火。そんな状況で祭りは何ができるか。自問自答を繰り返す中で、筆者の連載を読んだある人から送られてきた感想が一つの道を示してくれた。

本能に立ち還る祭り


感想を送ってきてくれたのは、各地の刑務所で所長を務めてきた山本孝志氏。受刑者の矯正・更生に関心があるという筆者に知人が紹介してくれたのが山本氏だった。退職した今、刑務官を率いて被災地でボランティアを行っている。ボランティア団体の名前は「志援隊しえんたい」。

刑務官とは各地の刑務所で受刑者に向き合い、彼らが社会に戻ったときにより良く生きられるよう諭し導く存在だ。

山本氏は、日本三大秘境に数えられる宮崎県東臼杵ひがしうすき椎葉村しいばそんの出身である。焼き畑農法が残り、昔ながらの神楽が行われるような村で育った山本氏は「日常生活でも八百万の神を意識しながら生きてきた」と語る。

そんな山本氏が語った祭りの役割は、まさに筆者自身が記事の中で伝えようとしてきたことだった。

支えとして

山本氏は刑務所で生活の基盤が崩れたり精神的支柱を失ったりして犯罪に引き寄せられていく人々を多く目にしたのだろう。まず、「支え」という視点で祭りを見る。

祭りがあるから、嫌いな仕事も頑張れる。祭りで帰省するのが楽しみだから、馴染めない土地でも生きていける。

祭りは特にその地域や生活と密接に関連するとしたうえで、「この世の自分の居場所を意識でき、頑張って生きるための活力になる」と山本氏は語った。そして、土台がしっかりしているからこそちょけられると紹介した堺市鳳地区野田のだんじりのあり方についても理解を示した。

何か目標や支えがあって、そのために更生を目指す。
筆者自身もなかなか自分自身を大切にすることの意味が分からず、周囲とうまくいかない期間が長かった。山本氏の語る言葉には響くものを感じた。

山本氏は、まちづくりにも同じことが言えるとした。
活力ある街にしようと言っても、そのために何をするかが難しい。様々な標語を掲げたとしてもなかなかどのように力を発揮し達成していくのかは分かりづらい。
しかし、祭りを掲げることで登る山の頂上は見えるようになる。そうなれば、それぞれが自分の立ち位置や力を見極め、時には誰かを助け、時には助けてもらい、時には他のメンバーの邪魔をしないように配慮しながら、それぞれに合った方法で組織の目的達成に向けて動く。
その結果、自然に祭りを実行するための環境を整えられるようになるのではないか。そしてその原理がそのまま、その地域の日頃の生活環境も整えることにつながるという。

居場所作りとして

次に挙げられたのは、これも刑務官ならではの視点かもしれない。罪を犯す人の中には、何かしらこの社会に馴染めない特性を持つ人がいると聞く。だからと言って罪を犯すことが赦される訳ではない。しかし、事情を知れば知るほど、何とかならなかったのかともどかしい思いを抱くこともある。

山本氏は祭りこそ落ちこぼれを作らず、地域に活力をもたらす最たるものだと語る。
祭りで表舞台に立つ人はそれこそ花形だが、この花形を支える炊き出しをする人や寄付を集める人、実行委員なども粋な役割だとし、多岐にわたる役割があって初めてあの祭りが成功する。そのどこかに必ずはまる役回りがあるのだという。
「祭りそのものの成功が目的ですが、その過程こそがとても意味あるものだと思うのです。仕事や日常の生活を維持する場面ではいまいち能力発揮できない、落ちこぼれであっても、祭りの中でなら、様々な役割の中に何がしか自分にできる仕事があるから、そこに関わり自らの存在価値を意識できるのです。ふざけたい人間にも役割が与えられるというのが祭りだと思います。」

そして、「人は皆祭りをやりたいという心を持っている」と語る。
「大人ぶってふざけられない人も、実はそういう場が必要です。それは、子供が遊びを好むのと同じなんです。」

この言葉を聞いて思い出したのは、後白河上皇が愛した『梁塵秘抄』のなかの「今様」。

「遊びをせんとや生まれけむ/戯れせんとや生まれけむ
     遊ぶ子どもの声きけば/わが身さへこそゆるがるれ」

人は遊ぶために生まれてきている。遊ぶ子供の声を聞くだけで、自らの体さえも動いてしまう。そう歌い上げるこの歌。

自らがだんじり祭りを見ながら粋だと思うのは、祭りに参加する人々が原始から人間に備わっている感情に身を委ね、素直に楽しんでいたからではないだろうか。血が逸るのは、本能そのものだからではないだろうか。

無駄を切ることへの疑問

山本氏はまた、無駄と思われることを敢えてすることについても語ってくれた。それは祭りそのものの存在価値さえ問われるような今の社会への返歌のようでもあった。

「行きつくところ、祭りの意義を考えるのは感性の問題です。」
「理性的に考えて金がかかるとか危ないとか時間の無駄とか言い始めたら、祭りなんてほんとに意味がない。」
「でも、理屈抜きに無駄をやることが人に温かく、安心できる場を提供してくれる。元気になるんです。」

山本氏は能登半島を含む各所で行ってきたボランティアであえて無駄とも見える移動の手法をとることの背景にある狙いも語ってくれた。

そもそも、刑務官らは日々厳しい訓練に耐え、様々な不安や葛藤を抱えながら職務に当たっているものの、職務の重要性を世間が知ることはない。大きく報道されるのは、刑務所内で何か問題が起きたときくらいだっただろうか。そんな状態では刑務官自身も誰のために仕事をしているか分からなくなる懸念もあったと聞いた。

2025年6月に拘禁刑が導入されることで受刑者らに試行錯誤しつつ接する刑務官の姿が表に出てくることになったものの、それまではまさに社会で必要とされる仕事でありながら陰の存在だった。ちなみに拘禁刑とは、これまでにあった懲役刑と禁錮刑を統合した新しい刑だ。個々人の性質や能力に合わせて必要な作業や更生に向けた指導が行われる。

そうした中で、山本氏が狙ったのは「技術を活かす場の創出」だった。被災地でのボランティアで訓練で鍛えた技術を活かす場があれば、日頃の勤務や訓練にもより一層積極的に取り組むだろうと考えたのだ。
そして、その能登での2日間の活動のために山本氏自身、九州から14時間かけて1000kmを運転して向かったと明かし、東京から向かった刑務官は前日の仕事を終えた夜の9時から出発して徹夜で車を走らせ翌朝、活動地である能登の穴水に入ったという。
筆者自身も、夜勤明けに電車で6時間近くかけて活動場所である穴水に向かい、彼らと合流した。

確かに非効率かもしれない。しかし、この一見無駄に見える困難な移動こそが、気持ちを盛り上げて現地の人により一層寄り添おうという気持ちを刑務官らの中に呼び起こす。そして、現地の人も、見捨てられていないという気持ちを受け取ってくれたという。筆者自身も移動中、能登がいかに遠いかを実感し、より彼らへの思いを強めた。山本氏の語ることは理解できる。

「世の中で一番先に削られる祭りであるからこそ、そこに向けて真剣に取り組む心意気こそが、今の日本には必要であると私は考えます。」

のけ者や落ちこぼれを作らないために

山本氏は「活力を与える極めて有益かつ大切なイベントとして、だんじりを続けてほしい」と語る。
その言葉は、彼自身の生き方から来るものだ。

だんじり彫刻師の前田暁彦まえだあきひこ氏は、だんじりについて「祭りの三日間は思いきり潰し切ったらええ」「なんのために俺ら彫刻師がおるんやいう話や」と語っている。山本氏はその言葉にも感銘を受けたという。
「失敗を恐れずに思い切ってやってみろ。後は、任せろ。」そういう声があったら人は皆元気になる。温かくなる。そう山本氏は語っている。

物質的余裕も、時間的余裕も、この便利になった社会の中で生まれているはずだった。人は幸せになるはずだった。しかし、そうではないのはなぜだろう。

筆者自身はなぜ更生に興味を抱いたのか。

幼い頃、自らの正義を振りかざし、相手の立場を慮ることができなかった。思春期になっても人の気持ちを想像できず、傷つけたり押し付けたりしてしまった。やがて居場所を無くした。今も自らの幼さに悩む。そして、様々なところから発される「人に迷惑を掛けてはいけない」という空気がまた、うまく生きることが出来なかった自らの過去を責めさいなみ、自己否定に走る。だからこそ、人は立ち直ることができるという更生に希望を見出したいと思うのかもしれない。

筆者自身も去年夏、能登半島でのボランティアで刑務官と共に汗を流した。皆、想像以上に優しく、別れ際には手を振って見送ってくれた人もいた。もっと彼らと話せばよかったと思いながら帰阪した。

被災した農家の方は、震災から半年以上経っても「農業の復興にまでは手が回っていない状況」と語り、1日かかる作業が半日かからずに終わったことに驚いていた。


倒壊した家から外した瓦をまとめる作業中
Tシャツの背中に見える「志援隊」というのが彼らの名称
(筆者撮影)


シイタケのほだ木を組む
筆者も参加させてもらったが、重いのなんの
翌日は筋肉痛になった
(筆者撮影)

人間として何ができるか

作業中だったか、彼らのうちの一人と交わした会話を今も覚えている。
「これまでを振り返った時、自分も受刑者の側になっていたかもしれないと思うことがある」と漏らす筆者に「それは自分も思うことがある」「皆、紙一重なんです」と語ってくれた。そして、「色んな人との出会いでこの仕事につけている」とも。

筆者自身もそうだ。苦しく恥ずかしくなることも社会で経験した。その一方で、一つ一つの出会いが自分を押し上げてくれた。だからこそ、少しずつでも社会に資することをしたいと思う。そして、そう願える人を増やすために何ができるだろうかと考え続けていたい。これは、人間として何ができるかということでもあると思う。

山本氏が子供の頃、親から教えられたことを紹介して記事を終えたい。

「この世に、不必要なものは何一つない、人も動物も虫も草も路傍の石もみんなが存在して世の中はバランスが取れている。何かの意味があって存在するものだから、決してむやみにその命や存在を否定してはならない。」

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