うたかたの空、雨に濡れた路地を行き、私たちは忘れていた夢を思い出そうとしていた 雨が止み、私たちはふとあの懐かしい場所を思い出す あなたと笑っていたあの日、確かに、私には何も足りないものはなかった 歩きながら、私たちは沈んでいく太陽を眺めていた
*自分に対して禁を課すこと(依存的な物事を断つことなど)も自分への愛であり、やはり必要なことか? *自分に対して禁じていることを行うのは、本当に自分にとって有害なことなのか? *それをしたいと思っている私がここにいるというのに、それを私自身が禁ずるというのは、果たして愛に基づいた行いと言えるだろうか *自他に対して禁を課すことによって、本当に問題は解決するのか? *私には自分で設定した決まり事に対する囚われ、自分を咎める思いが常にある *禁を解いたとしても、そこには
あなたの言うことは私にはよく分からないけれど… あなたと友だちになれたらいいなあと思いました。 あなたと… 私はただ友だちが欲しいだけなのかも知れません… 私が、私の中に溜め込んだ汚いものを吐き出しても、それさえも、笑って受け入れてくれるような友だちが… みんなも、そうなのではないですか? こんなジクジクした、膿…毒…をも…受け入れて欲しくて… 私には死ぬ勇気なんてないけれど…でも疲れました… こんな生き方には…もう…
私はもう疲れました。 裏の顔を演じ続けることに。 自分の弱い面を見せることが怖いですか? 見せれば傷つけられるからと、強がっているのですか? もう止めませんか? もういいではないですか… 私は、もう疲れました。 裏の顔を演じ続けることに。 あなたも、きっとそうではないですか? もう止めませんか? とは言っても、私はもう、自分自身の表の顔がどんなだったか、忘れてしまったんですが… もう随分長いこと、裏の顔を演じ続けることに慣れきってしまって… 慣れきったとは言っても、恥ず
*真理を学ぶ 知覚の歪みを訂正する。これが最も有効かつ強力なツールかもしれない。 *身体を用いて心を癒す 身体(心)の声を聞く。身体(心)と対話する。身体を動かす。ストレッチ、ヨガ等を行う。身体の感覚を意識的に感じる。 *リソース、サポートを増やす 自分を安心させてくれる(くれていた)もの、支えてくれる(くれていた)もの、助けてくれる(くれていた)ものの存在を認識、意識する。 *耐性領域を広げる 安心できる環境(リソース)に支えられながら、苦しさの感覚(トラウマ)を逃げ
あなたの罪は赦された 私の罪は赦された あなたは永遠に赦されている 私は永遠に赦されている もう、苦しまなくていい あなたは苦しまなくていい 私も苦しまなくていい 誰も、苦しまなくていい もう誰も、苦しまなくていい 私の罪は赦された あなたの罪は赦された 私は永遠に赦されている あなたは永遠に赦されている 何も妨げるものはない 私の喜びを妨げるものはない あなたの喜びを妨げるものはない 私の自由を妨げるものは何もない あなたの自由を妨げるものは何もない 私たちは今解き放た
「自分の世界」についての全責任を負う覚悟があれば、 必然的に心は解放されていく。 でもそれを「自分一人で」行うことは不可能なのかも知れない。 この「自分の世界という夢」の全てを遥かに越えたサポートが、 常に自分を支えてくれているという「真理(事実)」を信頼できていないなら、 その覚悟は貫けないのかも知れない。 けどその「真理(事実)」に絶対の信頼を置けるなら、 その覚悟を貫くことは非常に容易いことだ。
本当は持ってるってことが どこかで信頼できてるから 自分から与えることができる 自分は持ってないって 本気で信じてるなら その通りの今を生きざるを得ない 今はまだ苦しくても 本当は持ってるっていう信頼が どこかにあるなら それは既に持ってるってことになってしまう でも本当は持ってるってことが 現実だから その現実通りにならざるを得ない 持ってるものは溢れ出すより他ない だってこんなにもたくさん持ってたことに 涙してしまうほどなんだから 自分から与えることで そのこと
愛が欲しい… そうじゃない人もいるのかな、でも… この世界は、「私」は、愛に飢えているよね。 足りなくて、 虚しくて、 寂しくて、 欲しくて、 惨めで、 恥ずかしくて、 羨ましくて、 妬ましくて、 悲しくて… 弱くて… ごめんなさい、こんなことを書いて。 矛盾しているよね。 でも、「私」の声も聞いて欲しいんだ… 無視しないで欲しいんだ… 愛せずにここで蠢いている「私」の声を… ごめんなさい。 でも、苦しいよ… どうか抱きしめて下さい。 欲しくて、泣いている「私
「私たちは自己責任の存在。」 苦しみというものから抜け出していく際には、そう見ていくことが必要となってくる。 これは真実を示している考え方なのだろうと思う。苦しむ心というのは、例外なく被害という要素を受け入れてしまっている。それは自分という存在を、被害者として見てしまっているということ。 虐待やいじめ、また災害などはどう見るべきなのかという反対意見なども出てくるのだろうと思う。もちろん「今」そういったことで苦しんでいる人たちに対して、「それは全部あなたの責任だよ」などと言
私たちはただここに在る、自然な事実を求めているだけである 世界という仮面を被った自我は言うだろう 「そんな上手い話あるはずがない」 「現実は厳しいのだ」「世界は危険に満ちている」 「弱肉強食の世界」「現実と闘え」 「何かを犠牲にしなければ幸せは手に入らない」 「あれに気を付けろ」「これは危ない」 「これがいけない」「あれが原因だ」etc… それらを信じてはならない それは私たち自身の言葉だろうか 唯一の実在であり、また愛である神が、私たちの安全と幸せを約束している
霞む朝 あなたと空を眺めたい 兄弟と 道を歩いて 春の園 雛祭 幼な童のたはむれや 人の世は夢か現か 時鳥 夏の夜 靑い心が揺れている 天地(あめつち)を貫き君の慈雨が降る 陽が落ちて セピアの空と夏の風 天高く 現人神となりて立つ 秋の空 虚しきものを渇望す 赤とんぼ 思い出の空 飛んでゆく 幼き日 柔き光の匂いかぐ 風新た 朝(あした)に生まれ宵に死す 蒼穹の下 あなたと私 一点の汚れなき我らの本性 雨が降り 我の心に咲く花は 病みし雲居に濡れ
私は外に頼れる人がいないのだと思います。私はいったいどうやって生きたらいいのか分かりません。 あれから、生きるのがずっと怖かった。怖くて、苦しかった。今こうやって書いているけど、でも書いたからといってどうなるのかも分からないけど… でも、いったいどうしたらいいのか分からなくて… 私の導き手よ、私はいったいどうしたら、どうやって生きたらいいんですか?こんな状態で、どうやって生きていったらいいんですか?こんなこと、外側の誰にも相談できないんです… 私は生きることが怖い… 動け
潮の香や 日差し柔らか 懐かしや 夜を裂く声胸を突き 鳥が行く 虚の空を染めて哀しき口笛よ 目を覚まし 蛙の声が夜の中 春の朝 漠然の不安忍びよる 春の雨 淋しき猫と 君が泣く 鳩が鳴き なつかし庭に草萌える 風の香よ 生きの命よ目を覚ませ 今生きて 写す真の朱き空 我誰そと問うて 五月雨 にわか雨 ピアノの音 暗き光のアマリリス 静む夏 胸の痛みが愛告げる 光浴び 帰りを祝う野の花よ 我生くるなりと行く虫歌う 君の声 月の明かりに澄みし風 明け
花衣 君を映した青空よ 風光る夜明け 花やぐ命咲く 春深し 長雨過ぎて朝明ける 君を待ち 夜露に濡れた朧月 黎明や 春の雫と君が泣く 春を行き 自由を映す 足跡よ 懐かしき 春の陽がさす浅緑 心臓のこどう早き夕暮れの夏 忘れ草 あなたが宿るアガペかな 夏草や 君の匂ひが露はこぶ 懐しき我らが故郷 夏木陰 真実は全てを赦す 露の草 月草や 思い伝えし 虫がゆく 夕月夜 憂いを含む薄明り 手を伸ばし我は求めた冬の空 笑ふ君 時を映したストーリー
天(私たちの内)におられる私たちの父よ 御名が尊ばれますように 御国が来ますように 御心が天になるように 地にもなされますように 私たちの日毎の糧を 今日もお与えください 私たちが人を赦しますように 私たちの誤りをお赦しください 私たちを誘惑に陥らせず どうか悪夢から目覚めさせてください 私たちの命は 永遠にあなたのものです アヴェマリア 恵みに満たされた方 主はあなたと共におられます あなたは女の内にて祝福され あなたの子イエスも祝福されています 聖母マリアの汚れなき