年をとるということ
あれもこれもと、好奇心尽きることなく色んなことが出来るのは、若さの特権だなと最近感じる。
私はどちらかというと、いろんなことが出来るタイプ。だけど、最近はそうでもない。
多分、今の仕事がかなり過渡期で余裕がないせいでもあるのだけれど、年齢を重ねるほど
持続力
集中力
情熱
が継続しづらいと感じるようになってきた。
でもここで「年だから」と一言で諦めがつくように言い訳してしまうのはだめなんだろうなと思う。
年だから。
これ、私も最近よく思うことですが、けどこれって実は…
そうやって謙虚そうに見せてるだけの、本質はトンデモナイ傲慢さの現れだったりもする。
事実ではある。
けど逃げ道でもある。
「年だから」と、やらない事の理由にしてしまったり、努力不足にもかかわらず年のせいにしてうまくいかない事を誤魔化したり。
ということは、何か新しいことなど人に提案されたときに
けどもう年だから〜
とすぐに否定するのは、事実だろうけど事実以上に傲慢さも含まれていることが多いんじゃないか?と思うのだ。
年だからこそ、若いとき以上にやらなきゃ!
あれもこれもやって、ようやく若いときに普通にやってた程度になるかもしれない。
だったら、年のせいにして引っ込んでしまったら
としをとること=枯れていくこと
になってしまう。
映画は観ていないけれど、ターミネーター4のサラ・コナー役を演じるリンダ・ハミルトンさん。
たしかに年はとったけど、枯れてないな!って思う。むしろカッコいい!!
これはあくまでも究極の理想論なので、一般人がここまでストイックにかっこよく年齢を重ねることは非常に難しいことだろうけれども、希望は持てる。
年をとることは肉体的には不自由も増えるけど、その分知恵を重ねていれば精神的自由も増えていくはず。
わたしは、ついつい考えすぎてしまうことも多いので、下手したらカチコチの偏屈老人になって老害をもたらすかもわからない。
なので、「あれこれ色んなことが昔より出来ないなぁ」と感じつつも、それを年のせいにせず、可動域は常に広げるつもりで伸び伸びと考える努力をしている。わたしにとっては「努力」しないと変わらない所だから(笑)