なぜこの問題が起きたのだろう?と疑問を持つことは
たまに同じような話しを繰り返ししてしまう、頭の弱いわたしです。
たまにどころじゃなくしょっちゅうかも。
光の玉をたくさん心の中に入れていきましょう
光の玉が心の中で10倍 20倍 30倍…どんどん大きくなっていきます
その状態で右斜め前にいらっしゃる守護霊様に日頃の感謝を伝えてください
呼吸法は続けたまま、体は寝ていて意識が起きている状態で〜す
こんな事を10年前に突然言われた。
特に何も疑問に思わず、その通りにしていました。
とりあえず言われた通りにやってみる。
どうして光の玉を心に入れる必要があるの?
光の玉って何?
心の中で大きくなるってどういうこと?
という質問疑問はあんまり浮かばなくて、
ただイメージ出来るようになったらそれで良い世界なんだなと思って、言われたとおりにやっていた。
今日は久々に2時間くらいじっくり瞑想する時間があったので、その時に色々な交流がありそのことが話題に浮かんだ。
守護霊様は、最初の頃のそういう未知への体験に対していちいち「これをやる理由は?」「なんで?」「どうして?」と立ち止まらずにやってきたことが良かったよね、と仰っていた。
問いを持ち続けることは人生にとって、必ず必要なこと。
けど、見えない存在の導きに対して都度都度「どういう意味?」と思うことは基本的にナンセンスだそうだ。
ただ言われた通りに素直にやるのが、天からの導きだから。
それ以外にも、何か事件が起きた時に毎回毎回
どうして私にこんな出来事が起きたの?
なぜ?
なぜ?
そんな風に質問するのは、ただ不満を言っているに過ぎない。
自分にとって納得がいかない出来事があったときに、
愚痴をストレートに言わない代わりに質問という形をとって自分の理不尽さを証明しようとする周りくどい不平不満なのだと。
なるほど・・それは確かにそうだなと反省した。
私は、霊能力を開花させるまでに至る教えの中では、言われた通りに愚直にやっていたかもしれないけれど、
それ以外の出来事についてはいつもいつも自問自答をしているようで実は愚痴だらけだったんだなという反省。
問いを持つことというのは、基本的に未来志向であることが大切なようで、
例えば
私は人に良い影響を与えているだろうか?
とか、
今の自分が出来る、人に喜んでもらえる行動は何だろうか?
といった問いである。
起きてしまったことや、言われたことについては理不尽だろうとなんだろうと、とりあえず何も考えないように持っていったほうが良いようです。
考えすぎると運は下がり、逆にあんまり考えてなくて明るい人は運が良いものです。
光の玉を…といわれたとき、「で?それしたらどうなるの?」という事もそういえば思ったことがなかった。
ただ、今。心地が良い。
ただ、今。気分が明るい。
ただ、今。やる気が湧いてきた。
それだけで充分すごいと思っていて、その先に何があるのかはもう神様の言う通りでしかないな!
そんな心境だったのです。
ある一部のことはこんな風にできていたので、
日常生活の中でも、例えば悲しいことや辛いことが起きても
淡々と受け取って理由は問わない。
考えすぎない。
それが出来るように成長進化していくことは
わたしの個人的な課題であり、46歳までに乗り越えていくことが
目標です。