あんまりみんな人の話をきかない
人は意外と人のことをみていない。
人は意外と人の話しを聞いていない。
なぜなら、自分を中心に考えている時間のほうが長い場合がほとんどだから。
それがいいとか悪いというのは今回の話の論点ではありません。
「そんなもん」と思った方がいいことも多いですよっていう事です。
もちろん、最初から人を信じず「どうせ」みたいなかんじで
斜に構えた人間関係を築くことは無情だし
人生は面白くなくなる。
ただし、少なくとも私みたいなタイプの場合は
「そんなもん」と思った方が結果的にうまくいきやすいと思う。
見えない存在は「人に期待するから、あなたはすぐ裏切られるとかんじるのよ」とおっしゃります。
相手は裏切ったつもりはなくても、
期待というフィルターが期待に沿わない行動に対して
「裏切り」という味付けをしてしまうんです。
私の場合は、割と人の目を気にしやすいし
寂しい思いや一人ぼっちで傷付いたりするような
孤独に対してとても敏感。
だから自分以外の人のこともついつい
考えてしまったりする。
歩く時とか。
解散の時とか。
で、自分の時は結果的に
・ひとりで歩く
・知らない間に解散してた
なんてことが起きる。
自分がしている事は他の人もできる、と
いう勝手な期待があるから、こういうとき
なんでわたしだけ
と思いやすい。
けど、そうじゃないんです。
意外とみんななんとも思ってない。
こっちの気遣いに気づく人はこっち側。
気付かない人はあっち側。
あっちもこっちも優劣も良し悪しもなく、
ただただタイプが違うというだけ。
わたしの気遣いはあっちの人にとっては「???」と
しか捉えようがない価値観だったりするのだ。
無理して、あっちになる必要はなく、
ただ「そんなもん」って思えばいい。
そして大切なのは、こっち側のわたしは
こっち側の人に気づいてあげるっていう
一つのお役目もあるってこと。
自分と同じ感じ方・受け取り方をする人が
いるのは間違いない。
だったらその人たちのためにも、
やっぱり気づいてあげたらそれだけで充分
一つのお役目を果たしていると思う。
少し前はあっち側にならないといけないんじゃ・・って思ったりもした。
それは例えばハワイセミナーの時とか。
けど、それはちょっと違うんだってことに
気付かされたのが最近。
人は意外と人の話しを聞いていないし、
人は意外と人のことを見ていない。
ただし人は、お互い支え合って強くなり
光り輝いていく存在。
みんな自分のことに精一杯だし、自分もそのうちのひとりなんだよね。