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言葉のダークサイドを考える
若い女性の方が、SNS上の誹謗中傷を理由に自ら命を絶つという悲しい事が起きました。言葉の暴力というワードも散見されました。言葉について、私なりの考えを記事にしました。
そもそも言語とは
ほぼ、人だけが持つ、コミュニケーションのための行動。聞き手により強化されながら学習、習得する行動であり、行動分析学では、言語行動と定義されている。
人と他の種の明確でかつ大きな違いである。言葉があるからこそ、直接経験していなくても、行動することができる。「熱いからヤカンには触ってはダメだよ」と言われれば、直接体験しなくても、危険を回避できるし、「よい大学に行けば、よい会社に行ける」と言われれば、数年後の未来に向けて行動できる(このような事で動機付けされる若い人は減っただろうけど)。
そして、言葉を通じて技術が伝承され、改善され、今の科学技術的や産業の発展がある。
言葉のダークサイド
言葉と認知の基本的な理論に関する研究が進み、思考や感情と言われる、いわゆる「心」に関する基本的な動きがわかってきた。例えば、何か情報がインプットされれば、我々の脳は瞬時にかつ恣意的にクモの巣ように言葉と言葉を関係付ける能力を持っている。更にこのネットワークに感情がインプットされたならば、関連するネットワーク全体にこの感情も関係付けられるのである。
例えば、ショッピングモールでパニックを起こした人は、「ショッピングモール」に関連するような言葉を聞いたり、みたりするだけで恐怖や不安を感じるし、恐怖の対象は言葉を通じてどんどん拡張し、最終的には家から出れなくなる。
僕らの脳は自動的にかつ瞬時にこの関係付けを行うが、一方でそれをコントロールする事は非常に困難である。
嫌いな人の名前を聞いただけで、その人の事が思いだされ、その人との過去のやり取りが始まり、更にまだ起きていないその人とのやり取りを勝手に想像し、最悪の気持ちになってしまう。これも我々が持っていいる脳の機能によるところである。
言葉は音の連なり
言葉とそもそも、ただの音、ただの線である。
例えば、アラビア語で悪口を言われたり、自分のTwitterにアラビア語で辛辣なメッセージの書き込みがあっても、僕らは理解できないし、何も感じないであろう。しかし、これが日本語になると話はかわる。
「お ま え の や っ て い る こ と は さ い あ く だ 。き え た ほ う が よ い」ただの音の連なりだが、この音が実際の物や現象とイコールの関係であると学習しているので、この音を聞くと、例の関係付けが始まり、頭の中で過去の出来事や関連する言葉にどとどんどん紐付いていき、更にそのネットワークにネガティブな感情も関係づけられ、あっという間に拡がってゆくのである。
文字も同様である。そもそもは、ただの線や曲線だが、音声と同様に特定の記号に何らかの意味付けがなされて、言葉として成立する。本来は音や線であり、直接我々に危害を加えるものではないが、言葉によって、我々はあっという間にバーチャルな世界に入り込み、嫌な気持ちになるのである。
SNSによる誹謗中傷が無制限に多数行われれば、このネットワークワークは強固でかつ肥大化していく。言葉の連なりだけでなく、そこに感情も入ってくるので、言葉の海の中で翻弄され、まるで溺れているような状態に陥ってしまう。
体験の回避
嫌な思考や感情を避けたり、消そうとするために、それを感じてしまうような行動を回避するのが体験の回避である。前述のパニック発作の人の例で言うと、人混みが嫌悪刺激になり、人混みに、関係する行動はどんどん避けるようになる。避けたいのは、人込みではなく、あの時感じた恐怖や不安の感情である。言葉を介して、恐怖や不安の対象はどんどん拡がり、行動を制限するようになり、最終的には家に引きこもってしまうかもしれなし。家にいれば、あの恐怖感を感じずに済むのである。短期的には、成功であるが、社会との関わりは断絶され、長期的には、意義のある人生を送れななり、本人の悩みはより大きくなる。
SNSはやっかいである。スマホがあれば簡単に嫌な刺激に晒される。スマホを見なければいいだろうと言う方もいるが、スマホにどっぷりと使っている我々にとって、それは現実的ではない。
メッセージを見るたびにとても嫌な気分になる。最新のうちは考えないようにしよう、忘れようと努力するが、そもそも我々の脳はそのようなスイッチはなく、むしろコントロールしようとすると、より悪化するという研究も多数ある。このような体験の回避の最悪の手段が自殺である。
思考や感情と上手くつきあう
前述のように、思考や感情を退かしたり、避けようとする事は、かえって事態を悪化させる可能性がある。なので、僕らは思考や感情と闘うのではなく、上手くつきあっていく方法を習得する必要がある。ここ10年のスマホの普及により、ネガティブな情報との接触が多くなっている。だからこそ、、このスキルはより重要になってくる。
第三世代の認知行動療法の多くが、この様なスキル習得に役に立つ。私もACTを学びこのスキルに触れる事になり、「今、ここ」に起きている現実に注意をむけ、味わう時間が増えてきたし、記号として言葉に囚われる頻度が減ってきたと感じている。
言葉のダークサイドに転げ落ちないように、関わる人にこのスキルを伝えていきたいと思う。
ご冥福をお祈りして
ご本人の辛さ、悲しみ、無念さを想像するだけで、涙が出てきます。この様な悲しい出来事を少しでも減らすため、言葉の持つダークサイドを伝え、ダークサイドに転落せず、より充実した人生を過ごせるように、人の心に関わっていきます。
心よりご冥福をお祈りいたします。