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戦争映画で敵兵を見逃すシーンは一体どんな意図?


#KENMAYA です。

わたしは決して戦争賛美派ではありませんが、戦争を描いた映画作品が好きで、第二次世界大戦を忠実に描いた『プライベート・ライアン』を筆頭に、『フューリー』、『スターリングラード』、『硫黄島からの手紙』、『ウィンドトーカーズ』、『ハクソー・リッジ』、『シン・レッド・ライン』、第一次世界大戦を描いた『1917』、ベトナム戦争の『ディア・ハンター』、『プラトーン』、近年の戦争を描いた『ブラックホーク・ダウン』、『ハート・ロッカー』、『アメリカン・スナイパー』。
戦場の苛烈さとは別の角度で戦争の悲惨さを描いた『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』、『ライフ・イズ・ビューティフル』、『戦火の馬』など数々の戦争映画を見てきました。

映画の作中で、武器を捨て投降した敵兵を射殺するシーンは多々見られますが、稀に若い兵士が敵兵や捕虜を見逃す、あるいは殺害を躊躇い、見なかったことにする、というシーンが描かれることがあります。


もちろん戦争ですから、敵同士殺し合うのは当然ですし、『ザ・パシフィック』で描かれたように負傷兵の振りをして自爆特攻を仕掛ける日本兵や、ベトナム戦争での南ベトナム解放民族戦線のゲリラ戦を鑑みると、敵兵に情けをかけて味方が死傷したら元も子もありません。

ですから、戦争では「見敵必殺」(BORN TO KILL)が常であり、敵を目の前にして見逃すことはわたし個人のメタ的な見解にはなりますが、フィクションの側面が強く出てしまい、その瞬間スッと冷めてしまうのです。


では、なぜそういった『慈悲』のシーンが描かれるのでしょうか。

ヒューマンドラマとして成立させるため、登場キャラクターの心情を映し出したものや、時には実話に基づいたドキュメンタリーの一部であるかもしれません。

わたしが考えるにこういった『慈悲』のシーンは、年端もいかない若い兵士や戦闘経験の少ない兵士が人を殺めることへの心の葛藤を描いたものであり、戦争を否定的に描くために必要なシーンでもあるのだと思います。
もちろん、戦争は人類の究極的に愚かな行為であり、決して繰り返してはならないものです。しかし、現実的には大規模な戦争ではないものの、未だに世界中に戦争の火種は散らばっており、世界平和など幻想に過ぎません。

つまり無慈悲に殺し合う戦争の中、あえて『慈悲』のシーンを織り込むことで視聴者に対し「戦争は悲しみしか生まない」ということを暗に伝えてきているのだと思います。


そういう意味でも『戦争映画』は根本的に「反戦」がテーマです。
『戦争映画』は決して戦争好きが見る映画ではありません。雨あられと降る銃弾に一人の人間があっけなくその生涯を閉じる、無慈悲かつ不条理な歴史的事実を描いたものです。

今年、2021年8月には第二次世界大戦終戦から76年になります。
世界は混乱の中、再びイデオロギーの対立、巨大な資本国同士が睨み合う状態になっています。今一度現実と向き合うためにも、戦争史を振り返ってみてはいかがでしょうか。


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