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京王線内無差別刺傷事件について
#KENMAYA です。
24歳の若い男性が起こした京王線内無差別刺傷事件は10月31日夜、ハロウィンの仮装と紐付けて「ジョーカー」のコスプレをした若者の暴挙として報道されています。しかし、わたしははっきりと断言しますが、これは決して「ジョーカー」に影響された、などではなくただの言い訳のひとつに過ぎません。
おそらく彼は「ジョーカー」の映画を見てなどいないでしょう。もし、本当に影響されたのだとすれば、あんな中途半端な仮装はしないはずです。「ジョーカー」のメイクもせず、事件後の立ち振舞いもヘビに睨まれたカエルの如き、小心者のそれです。
彼は決して社会悪としてのダークヒーローなどではなく、社会から落ちこぼれた落伍者に過ぎません。社会というレールから外れてしまったわたしも、彼の境遇は理解できます。職を失い、友人や後ろ盾もなくなり、明日も生きられるかどうか分からない、そんなどうしようもなくなった時に誰彼構わず巻き添えにしてやるという、いわゆる「むしゃくしゃしてやった」という傍若無人な犯行動機は、秋葉原連続通り魔事件を彷彿とさせます。
決して彼を擁護するつもりはありません。無差別に他人を傷つけ火を放ち、多くの人に迷惑とショックを与えた影響は計り知れません。しかし、彼のような人間を生み出してしまったのは今の社会でもあります。
迷惑系YouTuberをはじめ、問題行為を起こしても一定の信者や擁護する風潮があり、それはおかしいんじゃないのか?という多数派の意見に抗うことが一種の正義感に空目してしまう現象が現代にはあります。
狂人のように振る舞うことで注目を浴びる、少数派の意見を声高に叫ぶことで注目を浴びる、一般的に批難の対象となるようなことをして注目を浴びる、こうした決して褒められたことではないことで成功している例が少なからず存在するからです。
孤立してしまった人間を救うのは、容易いことではありません。その人自身に孤立するだけの理由があったり、孤立を自ら選び続けてきている人もいるからです。それを一律で国のセイフティネットで救いあげることは困難でしょう。
特に昨今では、正気と狂気の狭間は本当に紙一重だと思います。精神疾患を患っているわたし自身が言うと何やらわたしも凶行に走るんじゃないか、と思われるかもしれませんが、決してそれはないです。無差別に他人を傷つけるくらいなら誰にも知られずに、誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと人々の記憶からも跡形もなく消え去りたい、と考えているからです。
人との繋がりがどんどん希薄化し、時流や潮目を読める人とそうでない人の差はどんどん広がっていきます。わかりやすく言えば、要領のいい人とそうじゃない人で、人生そのものが大きく変わってくる時代になってきたということです。
その中で一定数、彼のような凶行に走る人間が出てきてもおかしくない世の中になっています。根本的に格差の拡大が原因ではなく、先述の通り決して褒められたことではないことで成功している人たちの増加が原因だと考えています。
彼らが孤立してしまい、受け皿となるような職場や受け入れてくれるコミュニティがないこと、そしてどんなことでも注目されたら勝ち、のような風潮がなくならない限り、このような事件はいつどこで起きてもおかしくはありません。本当の意味での弱者救済とは何なのか、そしてこういった凶行を防ぐにはどうしたらいいのか、少しでも考えるきっかけになれば幸いです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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