オリンピックまでの道のり/まるでオリンピアン(7/26)
今までオリンピックには全く縁がない人生だった。東京の次はパリだから、なんだかオリンピックを追いかけて渡仏をしたようで、なんなら恥ずかしかったくらいだ。
パリの今のアパートは、渡仏する前に血眼で探した。家賃に光熱費、ネット使用料、上下水道、管理費が全て含まれ、そのうえ家具・浴槽付き。渡航希望日に近い日程での入居が可能だったことを考えると贅沢は言えなかった。いや、むしろ、手始めとしては贅沢すぎるくらいだ。
こうして、何の因果が偶然決まった家はセーヌ川から近く「良いところに住んでるね!」と憧れられるか、「すごいエリアに住んでるね!」(=こいつ、スノッブ思考なんか)と、若干(特に生粋のパリジャンや、綺麗すぎることを嫌うアーティスト気質の人たちなどから)線を引かれるかのどちらかだ。私も残念ながら後者的要素を持っているため、あまり住んでいる地区を言いたくなくて、いつもお茶を濁して飲んでいる。一服、一服。
さらに現代では『エミリー・イン・パリス』のロケ地としても知名度を爆発的に上げ、尚更「花の都感」が出ている。実はホームレスも多かったりするのだが、花の都感とかエミリー感が観光客たちを盲目にしている不思議な地区なのである。
「私だってもっとゲトーなところに住みたいんだけど....」などと煮え切らない言い訳を並べる自分の声を、思わぬ声量で耳にすることがあって、自分の下らない見栄を時間に換算したら何年分になるだろう、と考えてみたりするうちに、最近ではどうでも良くなってきた。
実際には何時にどんな格好で歩いていても何の危険も感じないし(安心してください、服は着ています!)、とにかく個人商店や飲食店が充実しているので何の文句もない。
話を戻すと、そんなわけで住人用の通行証を発行してもらい毎日橋を渡るような生活をしていたので、自ずとオリンピックが身近に感じられ、ついには「開会式観たいんだけど、どっかスポーツバー行こうよ!」なんて一回り以上歳下の友人にわりと誘われて「その通りかも」なんて思ったわけなのである。
なんでもそうだが、設定の最初からの工程を追っていると、自分は何もしていないのにしっかり愛着だけは湧いてくる。
設営のため現場で働く人たちが面倒臭そうに携帯をいじったりする様子、どこにそんな膨大な数の警察官、国歌警察官、軍人(車輌含む)がいたのかと驚くほどの男女がこれまた暇そうにバカンスの話に花を咲かせたり、サンドイッチを買い食いしたり、スーパーにそぞろ入っていく姿を見ていると「よし、開会式を皆んなで無事にやり遂げよう!円陣、組みますか!」という気持ちになる。
脳内イメージとしては、スーパーサイヤ人とかベジータみたいに身体の周りに電気的なものを描き足して、髪型もギザギザの感じで逆立てて、ちょっとだけ地面から浮いたところでつま先だちしてることになっている。
ただただ通行規制のかかっている道を毎日横断した結果、私はこれほどまでに情熱的になっていったのであった。
フランス共和国にあまりにも何ももたらさなかったひとりの日本人にも2024年の凍えるような夏がこうして存在していたこと。歴史の奥底の砂埃としてさえ誇りに思う数週間だった。
開会式の内容については、明日の日記で書けたら書こうと思う。まさか日を跨ぐほどオリンピックに思い入れを持っていたの?!なんて思われそうだが、単純に今すごく眠いだけである。食べすぎたのかもしれない。