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東京 丸の内 思い出 はたまる(4/1)

東京駅には沢山の思い出がある。

幼少期、おばあちゃんちに遊びに行く時は母や弟と新幹線に乗り、東京駅まで行った。夏休みや冬休みがメインだ。思春期には、ひとり夜行バスに乗り、東京駅の八重洲口で降りた。「ハローハロー」の歌詞は実話なんだけど、帰りの総武線の窓から見えるおばあちゃんにバイバイをするのが寂しくて、いつもこっそり泣いていた。

夏休みのほろ苦い思い出のようだが、うちの場合はそんな可愛らしいものではなく、家に帰ったら地獄の生活が待っているからで、おばあちゃんは私の救いだった。
おじいちゃんは「孫だからって慈善事業してるんじゃないんだから。じいちゃんちに泊まりたいならお金を払いなさい。」と孫の私にまでせびってくるギャンブルとアルコール依存症で、普段二人きりで住んでいるおばあちゃんの苦労に自分を重ねていたところもあったかも知れない。(なお、私が好きなおじいちゃんは父方の方)

うちの父にも「俺は子供が嫌いなのにお前が生まれてきてしまったから家には帰らない。意味わかるか?」と小さい頃から言われていたので(父はアル中で、私のお小遣いを盗んだりしていた)どうやら母はそういう因縁に絡み取られた人なのかも知れない。彼女のこともよく分からないから人の情緒に無責任なことは言えないが、家族なんて狂った人たちがさらに狂い散らかすための劇団なのかなとは思ってきた。

まあ、そんなメンズたちのことは置いておいて、「帰りたくない」に纏わる二種類の涙で頬を濡らしながら、東京駅に吸い込まれた。

成人してまだ若かりし頃、東京駅で物流系のバイトをしていた。漠然と、バイトをするなら東京駅がいいなと思っていた。週末や繁忙期には膨大な数のスーツケースを倉庫まで走って取りに行ったり、スキーやお土産なんかの配送の手配をしたりと、結構忙しかったと思う。

会社に内緒で社内恋愛をしていた物静かな女の子とは、たまに手紙のやり取りなどもした。デヴィ夫人似のマダムがパートで入ってきた時は、たまにイライラさせられた。いつも金持ちぶって私たちを小馬鹿にしてるくせにこんなとこでバイトなんかして、偉そうになんなのさ!と思っていたが、彼女にもきっと色んな事情があったのだろう。ちょっとズレてて、心底は憎めなかった。

自分のことを本当はスナイパーだと言い張っているおじさんもいた。自分主宰の会合みたいなのを開いていて、簡単には入れないらしいのだが、私も何かがキッカケで満を持して仲間入りさせてもらった。秘密の会合への招待状を受け取ったら、嫌っている社員を抹殺します焼肉屋に集合して下さい的なことが書いてあって意味不明だったので結局一度も参加せず、そうこうしているうちにバイト自体を辞めた。

なんとなく何かしらの事情がありそうな謎の人たちばかりが集まって、変人ばかりで、わりと好きな職場だった。他人の人生に無頓着なのは他者への無関心というより、自分の人生に没頭しているって感じで、そういうのは嫌いじゃなかった。自分も含めて社会に弾かれた者たちばかりみたいな気楽さはあったかもしれない。みんな、元気かな。

しかし職場でひっそり付き合ってる人って絶対いるけど、あれ、なんなんですかね。仕事している時に人のことを恋愛的に見た事がないのでよく分からない。

さておき、しばらく経って、フランスの映画関連の会社で働いた。フランスの監督や俳優が来日する度に、幾度となく丸の内エリアの高級ホテルに足を運んだ。今も映画音楽作曲家としてたまにお世話になっているが、当時は全く別の肩書きで東宝シネマズ本社にも出向くことがあり、その時も日比谷だったから帰りに丸の内を散歩した。

東京の中で何処が好きか?と聞かれると、おばあちゃんが鮨を握っていた新橋、後楽園、上野、両国、錦糸町、小石川あたりを答えてきたが、実は隠れた本命は東京丸の内だ。

2015年に存在自体が消滅してしまったようだが、パリから東京に戻った当時、成田エクスプレスの車内販売の仕事につきたくて面接を受けに行った。面接の試験では「英語必須です。英語は話せますか?」と聞かれ、「もちろんです!」と嘘をついた。その直後に英語のやり取りテストがあるなんて知らなかったからだ。

「外国人が切符の買い方を聞いてきました。あなたはなんと答えますか?」

私は三人目くらいだったので、前の人たちの様子を伺いつつ、頭の中はぐるんぐるんである。
フランス帰りなので英語なんて全然出てこない。パリで英語を使う機会なんて皆無だったからだ。

「えー、ドゥーユーノー スイカカード?ユーハヴ ペンギン ヒアー。ユーノーペンギン、リトルペンギン...」

とペンギンに関する説明を始めた辺りで「あ、そのあたりで結構です」と言われた。

それなのに受かる気がして結果の連絡を楽しみにしていたが、結果的に不採用だった。(ポジティブ〜)
私なら楽しくやれたのに!と当時も根拠のない手応えを感じていた。そういうところは今も健在なので、自分が程よく頭が悪いことを幸運に思う。

そもそもよく考えたら車酔いとか電車酔いが酷いので、ペンギンがどうであれ早々ギブアップしていたかもしれないな。

そんな東京 丸の内にて、昨日ライブを終えた波多野くんと合流した。「やっぱり丸の内って好きだなぁ!」て思いながら気持ちよく深呼吸をしたら、すでに波多野くんはベンチに腰掛けて待っていて、「俺、丸の内ってすごく好きなんよね」と言った。

あっという間に4時間ほど話したが、あまりに濃くて宝物みたいな話ばかりだったので独り占めしておく。
波多野くんが近所に住んでいたらどれほど幸せだろうかってこれまで何回も考えたみたいに、今日もそう思いながら東京駅でわかれた。

最初に「あの、僕、音楽やってる者なんですけど」って私のライブ終わりで声を掛けてくれなかったら、今の私たちはなかった。それだけでも恩人だ。

その時に貰ったCDは、最低のリスナー世武・CD全然聴かない・裕子の手元で何年も眠り続けた。
最低にのろのろしたリスナーだが、人からもらったCDを聴かずに破棄したことは一度もない。

「あ、これ、昔もらったやつだ!もらったからには一度聴こう」から始まった付き合い。
こんなマトモな人が近くにいてくれて、本当に、本当に長く救われている。これからも彼は私を救ってくれるだろう。

東京 丸の内は、いつも大好きな人とバイバイしなければならない場所。別れは寂しいけれど、悲しいとは限らない。

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