ハムちゃん、今日もくるくる走る!の巻き(2/26)
ハムスターフェイスを担う作曲家といえば世武裕子。というわけで、今日もハムちゃんはくるくると回し車の中を推定20kmほど走り、心地よい疲労感の中 ひまわりの種を抱いて寝ようとしている。いや、寝る前に日記だ。日記を書くのだ。
そんなわけで、石橋(英子)さんと(エルム)ホイちゃんとの濃ゆい半日(前半)。この布陣で話すようになったキッカケは、石橋さんの「DRIVE MY CAR 広島公演」楽屋だ。
わたくし長らく、自分の存在は石橋さんの興味の的(ダーツのそれをイメージ)の一番外枠にすら引っかかってなかろうと思っていた。去年、とある映画を観て私の音楽を褒めて下さったことに静かに驚いたと共に、こうして同性の同業(の中でも極めて同業者のような同業)としてわざわざ集うなんて完全に想定外だった。石橋さんとは大昔に対バンでコンサートをしたことがあるのだが、お互い愛想を振りまくタイプでもなければ「軽くサツアイだけかまして一発弾きますわ」的な所作(に見えてるだけで、そんな意図すらない。そこに生き方があるだけだ)で終了。交流など芽生える気配すらなかった記憶がある。
何十年越し?の巡り合わせは一際嬉しい。ホイ氏も、何年も前にデュオやろうよ!なんて盛り上がっていたことが懐かしいくらい時間が経過してしまったが(その後、彼女はバンドを始めたり、サポート仕事を多くこなしたりと頭角を現した)、こうして再びちょこちょこ会えることを嬉しく思う。
馬鹿らしい話からシリアスな話まで、毒舌女三人衆(ホイ氏は、私や石橋さんに比べるとマイルドではあるが)絶妙でいて安定感抜群のバランスで会話が弾み、何度か嗚咽しそうなほど笑った。インディペンデントに戦う女性を肯定しようとする現代社会の変革戦史と、実際的実像の落差はまだまだ大きい。憂いも喜びも分かち合うことでニュートラルに近づける気がした。
私が小学生の頃に憧れていた村山富市氏の眉毛にインスパイアされた石橋さんは美容室へ。私はというと、大使館からの驚きに満ち溢れたメール(もちろん朗報ではなく無責任な地獄の知らせですが)を受け取ったのち閉店間際の郵便局へ再び走り(怒!)、ホイ氏は家路に着くという、なんとなく散り散りになっていく感じがまた良かった。群れすぎたくない。尊敬し合って助け合って、笑って共闘していきたい。我々はまた、近いうちに集うであろう。
帰宅してからは、明日の第三次修行にむけて江島くんに電話したり、VISAの件で幾つか作業をしたり、メイビーメイビー連呼(ほぼジャスティン・ビーバー)の海外案件の打合せに、テレビ局の方との制作打ち(合わせ)、それから現在制作中のラジオ局の案件でのやり取り、練習、声出しなどなどに追われながら、何を食べてるのか把握も困難な状態の、切って焼いただけみたいな夜ご飯を頂き、今日もあっという間に世武日記の時間がやってきたわけである。農家さんへ平伏すしかない。こうして畑仕事もできないようなやつに作物を恵んで下さって、本当にありがとうございます(ほろっ)。
丁寧な暮らしがしたい、と思うだけ思うも、結局忙しさが有難いと思いながらこの文章を書いている。
VISA関係の不条理による無駄な出費と浪費とだけは即刻おさらばしたいところだが。
不条理を思い出すとぷんぷんとしてくるので、20km行脚(距離にすると約1cm)の記憶に集中して長閑な夢を見よう。
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