最後に残るのは景色であってほしい(7/25)
世武裕子さんの口腔、一体どうしたというのですか?今朝も起床したらば、舌が少しひりつく感じがする。栄養不足か?それともまた玉ねぎ野郎が暴れ出したのか....?(玉ねぎへの執着、他責傾向)
昨日はココナッツカレー(プラウンレッド)と香り米を頂いた。ちなみに香り米はフランス語で riz perfumé と言うのだが【何故だか一向に記憶に定着しない単語五十選(監修・世武裕子)】に選ばれ続けているのが「perfume」パファム、パフュム、パヒュム、ぴゃひゅ、ひゃっ.... と言った具合に、口に出そうとするとPとFの間、Fと語尾の間が突然混線してしまう。
私にとって言葉とは言葉であるよりも景色なのだが、社会で生きるためのコミュニケーションと伝達のため、もしくは、美しい日本語で書かれた物語を読みたいという欲求を満たすために言葉を愛せざるを得ないと言ったところ。
言葉に意識的になるにはそれで十分すぎるほどだが、でも、自分にとって最もセンセーショナルな瞬間、所謂「ハッとする」みたいな瞬間、人の存在の眩しさや煌めきを感じている瞬間、ピアノで音楽を作り出して乗ってきた瞬間... 生きていてあまりに圧倒的な美しさが迫ってくる時は、言葉的言葉の入る隙がなくなる。なんというか、空間が全く違うので単純に不可能なのだ。
そういう最も美しい瞬間は、言葉よりもずっと前に景色があり、そこには言葉が点として入る隙間がない。というか、点を置くことで景色が損なわれるという方が近いだろうか。
いずれ私はボケるのではないかと思っている。
それはそれは大変不安なのだが(老人ホームに入れるかなぁとか、仮に入れても若い職員さんに毎日迷惑をかけてしまうのかなぁとか、病気で苦しむのとどっちの方がマシなのかなぁとか)、景色よりも言葉の方が私にとって社会的なことだから、最初に自分の身体から消えて行ってしまうのは言葉なのだろうと、ずっと漠然と考えてきた。そして、多分そういうふうになる。
痴呆はそんな綺麗事ではない。
言葉を失っても素晴らしい景色の中で生きているから幸せ!なんて、そんな物質を総無視した現実はあり得ないだろう。だから不安なのだ。
もし仮に言葉が分からなくなって、でもお花畑のように生きていれるならばそんな有難いことはないが、現実にはそれでは生きていけない。
介護で壮絶を経験している人たちも少なくない中、アーティスト的ロマンチズムを混ぜ込んで能天気に痴呆を語ることは全く望まないのでとても慎重に言葉を選んだつもりだが、伝わっただろうか(苦)。
話を都合の良い精神論に戻すと、私が最後の最後まで失いたくないのは、人に説明できない(要するに言葉にできない)自分の中の景色の方だと思う。最悪、人と何かを共有できなくなっても、この景色を見ることができるならば、私はまだ人間なのだと思える気がするのだ。感動ができるうちは、生きていたい。
いつから景色で物事を捉えるようになったのかわからないが、物心ついたころには、いつも景色が自分の軸になっていた。
心が本当に揺さぶられる時に目の前に広がる景色を、そのまま人に共有できないのが悲しいと思ってきた。
できることなら、悲しみも、怒りも、嬉しさも
楽しさも、私は日々の一喜一憂を人と共有したいタイプだからなんだけど。
でもそういうのを伝えるには、言葉をなんとか探してみるか、あとは音楽で表現してみるしかない。私は絵が描けないから。
この選択肢から自分が選べるベターが音楽だから、私は音楽を作っているのだと思う。言葉をなんとか探して、話が長くなることも多々あるんだけどもさ。
言葉にできない景色の話を言葉で説明しようとしたら、また、人民のための人民による....構文が顔を出してしまったりなんかして、なんだかちょっと無理でした(笑)。