時間に取り憑かれすぎてる女の、時間管理論(4/28)
まだ4月だというのに「これが夏か...」みたいな気分で汗だくになりながら広島の市内をザクザクと歩く。
私は、60分あったら予定を入れてしまう。
しかも先着順が大前提なので、色んな人に、ほとんど相手を選ばず最大限の日程を提案し、戻ってきたものから入れていく。翌日、翌々日... と返信がきた時には殆どどこも空いていない、みたいな事も珍しくない。
このスタンスに賛否があることは理解した上で、何せ本気で集中力を高めて時間を巻いて曲を書き、時間を巻いて生まれた時間にまた別の仕事や用事を入れてまた巻いて... を繰り返し続けて生きてきたので、このスピードで連絡にもレスを戻していかないと仕事が回らない。
自分にとってそれが当たり前なので、他者に強要はしないが、どうしてもクイックな人との方が仲良くなりやすいというのはある。
具体性のない提案や、「会いたいなぁ」というだけの連絡は(日本人の気質を考えると)思慮深さ、相手への思いやり、遠慮によるものが大半だと分かりつつも、「もう少し具体的な提案を伴って、相手が答えやすい状態を想像した上で話しかけて下さい(でも、会いたい気持ちは嬉しい、ありがとう)」という風になってしまい、長いラリーをLINEで行う時間のロスを思うと難しいなぁとも思ってしまい、どうしても疎遠になりがちだ。
恋愛話なんかで「即レスし続けるよりわざと返信を焦らした方が成功する」的なものも、よくあるテクニックとして語り継がれてきたが、そういうのも理解ほぼ不能。まず持って面倒くさいのと、寝かせていたらLINEがみるみるうちに埋もれて返信を忘れそうなのと、そんなことしているうちに(仮にデートだとして)予定が一切空いていないという事案が発生するわけである。
「木曜日、14時から15時半であれば。あなたの会社と私のスタジオの真ん中かつ沿線考えると銀座でどうですか?」という誘い方も、あまり知らない人にはしにくい。
そもそも人の気持ちは曖昧で、常に揺れ動いて変化し、留まることができない。自分自身だって当然そうで、その当たり前の人間らしさを優先しながら、仕事も精力的にやりたい。というより、精力的にやっていかないと代わりなんていくらでも居るし、自分の腕を上げないとそもそも仕事にならない。要するに練習が必要だし、曲を作るための寝床を大切に育て、管理し、すぐに準備できる状態にしておく必要がある。プロの音楽家だからだ。
だからこそ、スケジュールの管理だけはクイック&ドライにやっていかないと、いよいよぼんやりした人生になる。日々を楽しみたいけれど夢も目標も追いたい私は、自分の集中力やキャパシティを冷静に見積もった上で丁寧な微調整をする必要があり、そのために呑気にスケジュールを組んでいる余裕も時間もないのであった。
さて、回りくどい話をつらつら書くことに貴重な時間をこうして使うわけだが、今日も切り刻まれた予定の上を駒を進めるみたく速足で進んでいく。人生ゲームと違って「二歩戻る」みたいな駒がないのが少し残念。
でも、手帳の中で文字になり切り刻まれている予定も、例えば120分と決めた時間内は大いに笑い、会話を楽しみ、緩くリラックスして過ごす。
平面的な文字情報と肉感的な経験は全くの別物で、後者を楽しむために前者のスピード感と管理が大切になってくる。
体力オバケのようなタイプでもないと思うのだが(自称)、何処からともなく湧き上がり続けるエネルギーみたいなのはあって、しかもわりと自家発電できる方だと思うので、今日もマックスに詰め込まれた予定をそのどれも一切手を抜くことなく完遂。
明日もまた、詰めに詰め込んだ予定にむけてメンタルの筋トレをしながら眠りにつくのである。
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