ピアノを弾いている時のパラレルワールドについて(3/25)
今日は、ピアノを弾いててなんかすごく幸せいっぱいだったな。
基本的にピアノを弾くこと自体は何も特別ではないのだが、こういう実感が強めの日がたまにある。ライブ前はライブの練習が中心になり、短期決戦的ブラッシュアップに時間を割くことが多い。しばらく演奏の予定がなかったりすると、純粋に曲を作ったりそれを弾いたりする時間が増える。そういう時に感じることが多いかも知れない。あと、"現実(物質的世界)"が濃いタイミングにも感じやすい。同じ"練習"でも、いくつかの種類があるのだ。
昨日人と会っていて、久しぶりに自分の小さい頃の記憶が引き出された瞬間があった。私が初めて、この世の中に強烈に違和を感じた日。その時の状況も、気持ちも、風景も、鮮明に覚えている。
私は一軒家で育ったのだが、裏庭に面した和室が自分の練習部屋だった。
小学校に上がる前から地元の音楽教室で早々と、実際あったのかどうか怪しい才能を見初めてもらい、特進クラスみたいなところで厳しい訓練を受けることになった。
中学生になった頃だったか和室に防音室が設置され、いよいよ24時間練習できますよ?と言う悲劇が始まってしまったわけだが、小学生の頃までは和室なのにピアノを置くというやんちゃスタイルで練習をしていた。
この頃は、クラスの友達から誕生日会のお手紙をもらっても私より先に母がチェックし、もちろん練習妨害になるのでそんなものには参加などさせてもらえるわけもなく、さらに学校の帰りの会も練習妨害になるので毎日早退。母が学校の門まで迎えにきて、その車に乗り込む。車内ですぐに着替えて、カバンの中身を差し替えて、最寄り駅から京都へと向かう。毎日、音楽施設が閉館するまで練習して夜遅くに帰宅して、そのあと譜面を作ったり勉強したり、常に寝不足だった。
友達と遊ぶことやテレビを見ることなども練習妨害にあたるのだが、本は大好きで、(でも読書も規制されていたので)コソコソと母に隠れて本を読んでいた。どうしても本が買いたくて、京都駅から音楽施設までのバス220円分を走って、それで浮かせたお金で本を黙って買っていた。帰る時は都度連絡をいれる約束だが、厳重に監視されていたので、少しでも遅いと「施設を出た時間が⚫︎⚫︎時なのに、なぜ京都駅に▲▲時に到着したのか?」と激しく詰問され、何度も叩かれたり蹴られたり罵声を浴びたりした。
たまに音楽施設が休みの日や母がスーパーに出かけた隙を見て、一人で黙々とジェニーちゃん人形で隠れて遊んだ。(ちなみにシルバニアファミリーは動物が人間に変換されているところが気持ち悪くて嫌いだった)
多分この時期に色々と形成されたものがあり、基本スタンスは今もそんなに変わっていない。一人きりで頭の中で複数人と対話をしたり生活している感覚の中にいるし、実際の物質的な人生と並行してもうひとつの生活を生きる癖もずっと続いている。常に分割された世界を行き来している。
さて、そんな私が小学生の頃。音楽施設が休みの日はいつも通りの和室で、その時はワーグナーの「タンホイザー」序曲の練習をしていた。だんだん演奏を突き詰めていくと、ある時、すごい世界と出会うことになった。巨大な閃光の中でワープするみたいに放り込まれた先には『トゥルーマン・ショー』みたいなパラレルワールドがあって、一見こちらの世界と変わらないようだが、そこには知らない人だけが住んでいて、でもなぜか彼らとは普通にコミュニケーションが取れた。その世界は幸福度がこちらとは決定的に違った。自分が書いた曲でもこの世界に行きたい!とワーグナーに嫉妬したりもした。
「子供らしい曲を書け」と大人に言われて書いた自分の曲は屈辱的で、こんな悲劇的な世界に生きていられないと思っていた。
話がややこしいのだが(笑)実際の物資的世界では、裏の畑の横でアパートの子供達が遊んでいたり、お母さん方や近所のおばさんたちが立ち話をしていた。「この世界のすべての人たちは、こんなつまらない毎日を何が楽しくて生きているのだろう。この世界をどう耐えて、平気で生き続けることができるんだろうか。」と、何もかもが分からなくなってしまう決定的な出来事だった。今から考えると相当失礼な、他人の人生を決め付けるような最低な話なのだが、小学校低学年(おそらく3年生)の私はとても純粋にこの世の中に絶望してしまったのだ。
この日、自覚を伴った状態で音楽と運命共同体になったと思う。
どうしようもなく孤独な人生を歩むことになってしまって、もう引き返せないと思った。友人はみんな好きだけれど、正直言って自分から人を愛するとか誰かと共に(同じ屋根の下で)生きることの素晴らしさがよく分からない。そういったことにこの決定打は無関係ではないと思う。
演奏をしている時にだけ生きられる世界の色彩に、物質的世界などは遠く及ばない。それはあの日からずっと変わらない。比べるのはナンセンスなのだが、あちらの世界の扉を開けてしまったら、こちらに留まっていることは困難で、これは幸せでもあり苦しみでもある。どうやって自分の正気と戦い続けるのかが最大の課題になった。
この話は、もっと掘り下げてまた書いてみたい。小学生の出来心だから許して欲しいと言えたらいっそ気もラクだが、これは真面目に生きている中で起こってしまった現実なので、今日の日記を読んで嫌悪感を持つ人がいても仕方がないと思う。そうやって嫌悪される自分も受け入れたいが、ひとつきちんと言っておきたいのは、「あんたたち、こんな世界に生きてて意味あんの?」という攻撃性のある気持ちが話の主題なのではなくて、あの色彩世界に24時間生きていられない人類はどうやって正気で生きていけば良いのだろうという、どちらかというとその気持ちの方がニュアンスは近い。
そもそも、これを才能と感じ取った大人たちがいただけで、本当はただの病気かも知れない。
でも当時ワーグナーに嫉妬していた私は、今、自分の作った曲を弾いている時に幸せの世界にいる。才能なのか病気なのか、物質世界の基準で規定された私なんて本当はどうでもよくて、ちょっとだけ上の空で会話を続けている気分で、世間話みたく形作られた自分の姿を「そうなんですね」と見ている気がする。
アーティストとして共感を集めたり、人気者になるための商売を考えると、こういう非共感性には悩まされることも多かった。まずスタッフに大枠を把握してもらう事自体がとても難しい。皆んなすぐにシリアスな顔をするだけするんだけど、そういうことではないのだよなと思って、伝え方に悩む。
当の私本人も、結局演奏始まったら何でもいいや〜ってなっちゃって今日も足繁くあちら側に通うのだ。