パリ五輪開会式 後記(7/28)
ようやくパリ五輪開会式について書く日がきた。予想だにしていなかったパリ三部作である。私は歴史に特段詳しいわけでもなく、博識でもなく、また舞台監督本人でもなければ制作サイドのインタビューなども読んでいないので「いや、そうは思わない」という箇所が出てくるかもしれないが、これは私の日記なので悪しからず。(「日記」はフランス語で”Journal intime”というが、”intime”には親密でプライベートな、という意味もあるくらい、日記とは個人的なものである)
五輪に批判的な人、ご自分の知識を披露したい人にとっては物足りない、つまらない内容になる可能性があるのでページを閉じることをお勧めします!
さて、「各国の船が通る」という話を友人から聞いたが、私個人としてはそれ自体に全く興味はなかったので「ふーん、そうなんだ」くらいであった。元々オリンピックに興味を持っていたタイプではない(東京オリンピックは開会式から閉会式まで何ひとつ観てない)のだが、どちらかというと五輪の歴史で初めて野外開会式をやるということで、どういう風に街を使うのかに興味があったという感じ。
最初の方にレディ・ガガが登場した。いわゆるグラムールなパリのイメージに近い演出(エミリー・イン・パリス寄りの)で、私のテイストではないので「あれって、セーヌのどのへんをどう使ってるんだっけか?」みたいな地理的な話を友人として、なんでガガなんだろうねー?なんて軽いタッチで観ていた。
雨も強くて足元が濡れていたのでトイレに行きたくなり、尿意を解消しているうちに戻ってきたらGojiraというメタルバンドが演奏していたのだが、一緒にいた友人は2000年生まれだったかくらい若いのと、こういうのって普段の嗜好性で知識にも人それぞれ偏りがあって当然で、なんかよく分からないおじさんがメタルやってる、とか言うのがちょっと面白く、でも開会式にメタルバンドが登場するって良いなぁと私は嬉しくなっていた。
そこからは、セーヌに浮かんだ小さな舞台で雨で滑らないのかそわそわしたパルクールの人たちなどを観ている中で、気がついたらオペラ歌手がマリアンヌの姿でマルセイエーズ(フランスの国歌)を歌っていたり、アヤ・ナカムラが登場したりと、とてもフランスらしい演出があった。
アヤ・ナカムラのことはそこまで詳しく知らないが、Institut de Franceという、フランス語の正しさとか伝統を守り抜く超保守的なフランス学士院から、造語にまみれた今っぽい歌を自由に歌うアフリカ系フランス人の彼女が登場し、これまた共和国の伝統と言える親衛音楽隊と対立構造で登場して、そのあと音楽を通して混ざっていく演出に胸を打たれた。口パクの下手さは、逆に普段そういうものと無縁な音楽人生なのかな?と好解釈しておく。
パリの街を縦横無尽に飛び回る仮面の男は、アルセーヌ・ルパンも彷彿とさせるエンタメ感があったし、ファッションショーの演出も、これはヴィトン様様かもしれないが(笑)、しかしフランスにおいてモードは無視できない存在だから、これも良かったと思う。広告代理店的なリュクスというよりも、メゾン的なリュクスによる規制の方が、心理的にまだ許せる気持ちになるのは少々意地の悪い左的な考え方だろうか。
その後、唐突にフィリップ・キャトリーヌの”Louxor, j’adore”が流れてきた時は、あまりの懐かしさに私も合唱してしまった。学生時代もフランスで過ごしていたので、当時の記憶が蘇る。
これがパリの開会式なのだとうっかり忘れそうになるほど身近な演出の時間がたっぷり設けられているところにもフランスの粋を感じた。
荘厳な開会式なのだ!という気品と、民衆的な感覚、どちらも(ある意味では良くも悪くも)兼ね揃え、美しくもグロテスクなバランスでそれらを生きてきたのがフランスなのだと思う。
私も合唱しているうちに、フィリップ・キャトリーヌ本人が青塗りして登場した。裸だったら武器さえも隠せない!という平和を歌う姿と相まって、こういう風に平和を願うやり方は、アートをやっている者の醍醐味だなと思う。
式を通して、クラシック、オペラ、メタル、シャンソン、そしてジャスティス系譜のアーティストたちも参加していたダンスミュージックなど、この世の中は全然自由ではないのだけれど、自由でいたい、平和でありたい、という願いはきちんと届いていたし、それをこういう場所で無意味だとか不完全だとかでなじるように生きていたくない。
ずぶ濡れのピアニストが難曲を弾ききっていた姿に、これが日本ならピアノを守るためにテントを張って、アーティストが濡れないようにそこにもテントを...となるのだが、そんなことはお構いなしのずぶ濡れだったのがフランスらしい。と思っていたら、イマジンではピアノを燃やしていたので、これはますます価値観の違いだよなと笑えた。(作り物のピアノだとは思うが)
メタルの馬に乗って聖火を届けた演出も格好良くて、これを映えさせるために雨が降ったの?と言わんばかりに功を奏してミステリアスな色気があった。あれがジャンヌ・ダルクだったことは後から別の友人に聞いたのだが、その時に、知識というのは、嫌な感じでひけらかす人が多いから疎まれがちだが、自分が楽しめるために存在するものなのだなぁとしみじみと感じ入ったりもした。
開会式を通じて、心からフランスが好きになり、フランスのことをもっと知りたい、フランス語の奥深さをもっと楽しみたい、という欲求が芽生えた。きっと私だけじゃなかったと思う。
芸術監督は44歳の女性だったみたいだけど、こうやってフランスはまた歴史を繋げていくし、色んな規制がある中でも自由である精神を忘れず、世界中の人たちを魅了し続け(観光客が最も訪れる街は戦後一度も翻ることなくパリが一位らしい)、カンヌ映画祭の時にフランス人たちが言っていたみたいに
「私たちのオーガナイズはめちゃくちゃなんだけど、最後には辻褄を合わせられるし、しかもそれでめちゃくちゃいいものが作れる」
という、成功体験の積み重ねで生まれた自信と、そうやって自分の人生を謳歌したいという姿勢が作り上げた「フランス」なのであろう。
フランスに移住して、本当に良かったな。
私もチュイルリーに気球を観に行こっと!