思えば教師もクズだった。
小学、中学、高校の頃、家で自己肯定感を落とされる日々を過ごしていた私は、人を信用できなくなっていた。
という、よりも。
他人を肯定する方法が分からなかった。
「すごいね!」「やったね!」「やればできるね!」など肯定された事がなく、言われると反対に相手に対して不信を抱く程、拗らせてしまっていた。
小学生の頃はストレスから学校で体調を崩す事が多く、よく保健室で寝ていることがあった。
殆どが腹痛や頭痛と言った類のもので、横になっていれば何となくやり過ごす事ができていた。
しかし、当時は「不登校」「引きこもり」などといった言葉はなく、簡単に保健室に逃げられる環境ではなかった。
保健室の教師も段々と休ませてるくれなくなっていた。
要するにサボりと思われていたからだ。
今も昔も教師という生き物は人間性を疑う癖のある人間が殆どで、昨今の「教師による教師いじめ」をテレビで観ると変に納得できる。
私の担任は女子生徒にセクハラするし、それを親たちに訴えても取り合ってもらえない。
「先生がそんなことするわけないでしょ」
そういう時代だったのだ。
体罰が当たり前だし、全生徒のまえで吊し上げられるのも当たり前だった。
特に教師に目をつけられると最悪だ。
問題が解けないと分かっている生徒の机に立ち止まり、答えを求める。その生徒が答えに窮すると「こいつはこんなの事も分からない」と嘲る。
教師も人間で、ストレスが溜まるのだろうが発散場所を間違えている。
反抗してこない生徒に対しては本当に陰湿な教師が多かった。
うちの学校にそういう教師が突出していただけかもしれないが、セクハラ、暴言、人格否定、体罰…教師としての質を著しく欠いた人間が多かった。
小学一年生の時に私の担任だった教師は今でも忘れない。
一年に一度音楽発表会があったのだが、それは各学年ごとにビデオ録画されていた。
その発表会で登場する時に私は躓いてしまい、転倒はしなかったものの無様に登場してしまったのだ。
1人だけ目立つように躓いてしまい、発表会の登場としては最悪な場面だが、その教師は「発表会の振り返り」と称して何度もビデオをクラスメイトに観せて大笑いをするのだ。
頭がイカれてるにも程がある。
まるでコントを観るように何度もその場面をリピートされ、担任は1人で大笑いしているのだ。
7歳そこらの私は教師という存在に不信感しかなかった。
しかし、保護者のウケは良かったのか「1年の時の担任はとても良い先生だったわね」と母は言うのだ。
この人も人を見る目がない所は父の時から変わりがない。
大人の汚い部分を見せられた気持ちだった。
話を戻そう。
家と学校での人間関係の構築の難しさから度々体調を崩し、保健室で休ませてもらっていたが、それが続くと段々と「またきたの?」とうんざりされ、追い返されるようになった。
ある日、授業の一貫として「手紙を書く」というものがあり、皆が手作りのポストに思い思いに手紙を投函していた。
よせば良いのに私も保健室の先生に宛てて
「どうして保健室で休ませてくれないんですか?」という主旨の手紙を投函した。
それに対して返事はなかったが、廊下ですれ違った担任に「保健の先生にああ言う手紙は駄目だよ」と笑いながら注意を受けた。
何でお前が知ってるんだ?
手紙って個人的にやりとりするもので、まさか他の教師に回し読みされてるとは思わないじゃん。
衝撃だった。
相談事に乗ってくれる、困ったら保健室で話を聞いてくれる、と学校の掲示板に書いてあるのに…
まさか、手紙が教師間で回し読みされているとは…しかも直接保健室の先生から注意を受けるのではなく、担任が階段ですれ違いざまに笑いながら注意をしてきたのだ。
嘘だろ?
私は学校でも裏切られた。
そして、既に心を閉ざしていた私は教師にも心を閉ざした。
弁護士とか教師とか医師とかさ、人に寄り添う仕事の人はまず適性検査をしっかりしてほしい。
ノリでやる仕事じゃない。
教師がブラック企業なみに大変だとか、そんな事通ってる子どもには1ミリも関係ないんだからさ…
それを盾にして大人が子どもをいじめるのはやめましょうよ。
今、私の中で出来上がった教師はクソという思いは少しずつ消えてきている。
そんな教師ばかりじゃない事は理解できるようになってきている。
でも、当時の教師たちを思い出すと性格に難ありな大人ばかりが集まっていたな、と思う。
私自身がクズホイホイなのか私の周りの大人はだいたいクズだった。
小学生の頃は他にもクズ伝説を持った教師が多かった。
フラストレーションが溜まっても、それを子どもにぶつけるような人間は教師になるべきじゃない。
お子さんが学生の親御さんは特に気をつけてほしい。
親には良い顔をしている裏で、お子さんをなじって楽しむ教師もいるんですよ。
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