どこでもドアの向こうはしずかちゃんのお風呂だった衝撃
こんばんは、海太郎です。
なるべく毎日書くといったnoteも今日で20日目。昔はトゥエンティーって響きがすごく好きでした。だから20は好きです。
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他者からインプットされた考えにどれだけ左右されているんだろうと考えている最近です。
何かを買うときもレビューサイトを見るし、どこかのお店にいくときも食べログをみます。そして、何かが嫌いとかも結構そういう影響をモロに受けているなぁと最近改めて感じるわけです。
例えば、芸能人でこの人がテレビに写ってるとチャンネルを変えるみたいな家族ルールは、自分は別にその芸能人を特に嫌いだったわけじゃないはずなのにいつの間にか嫌いになっていたりします。
ぼくがたまに書く「なんでこの本を買ったか」みたいなことも結構他人依存なんですよね。
でも今の状況ってそういった他人情報みたいなものをカットできる状況であるかつ、より吸収しやすいっていう、かなり特殊な環境だなと思うんです。
みんなが入れる扉はインターネット一つなんですけど、そのインターネットの扉を一個開けると、その先は海なんですよね。間に道も川も何もないみたいな。
ちょっと公園に行きたいとか、今日は湖を散策したいとか、遠出してみるかとかそういう使い分けができない。全ての始まりにして全てそのものである母なる海、みたいな感じです。(なんか最近モチーフに海を考えるっていう思考のワンパターン化が悔しいと感じた今。次回から気をつけます。)
そのギャップがすごく面白い時代だなぁと思うんです。インターネット一つ断てば完全な孤独、繋げば全てと繋がる。
今の状況にみんな徐々に疲れてきていて、ほどよく繋がりたいのに、ほどよくはできないってところが苦痛を招いているのかなって感じます。
だから、こんな方法がオススメって言えたらいいんですが、申し訳ないんですがそれはわかりません。
少し話を戻すと、「せっかくの孤独になれる機会だ」と考え直して、この期間にぼくは自分がいいと思うものをもう少し深掘りできたならって思っています。
だからなるべく何か読んだときとか、みた時に自分が思ったことをレビューに操作されない感想で言葉にしたいなって思っています。
なので、これから何か作品の感想を書く時は、お前それちげーよってこともまぁまぁというか、たくさんあると思うんですけれど、見守っていただけたら幸いです。
なんだか今日は意思表明みたいな内容になってしまいました。こんなはずではなかったのに笑笑
たまには導かれるままに着地するのもありということにしましょう。