やらないできるが一番ダサい安全地帯
高校生一年生のぼくは、今よりも体重が13キロほどあって、優しく言えばぽっちゃりさんだった。不躾に言えば、デブだった。
よく友人にお腹を触られて遊ばれていたし、体育の授業はデブって思われたくなくてズボンを必死にあげてデブなお腹を隠してたりした。特に隠せているわけではないのだけど。
当時の自分には、高校生になったからには叶えたいことがあって、それはありきたりなことなのだけれど、彼女が欲しかった。青春真っ盛りの男子高校生としては、文字通り喉から手がでるほどに欲しくて欲しくて、友人との会話に間ができると決まって「彼女できねーかな」と言っているほどだった。
ただ自分は太っているからできねーなと同時に諦めてもいた。こんなデブの自分を好きになってくれる女子高生はいないだろうということは流石にわかる常識を兼ね備えてはいた。
少し切り込むなら、太っているから自分には彼女ができないのだと信じ切っていた。自分だって痩せれば彼女の一人や二人は絶対できるはずと心の底では実は強く思っていた。
でもなかなか痩せようとしなかった。それはなにも、彼女なんていらねーし、関係ねーしなんて強がりでは決してない。先に述べたように彼女はとっても欲しかった。
では、なぜなかなか痩せようとしなかったか。
理由は明らかだ。それは、もし痩せたとしても自分に彼女ができないことが怖かったからだ。
デブでいることは安泰だった。デブなら彼女ができないことは当たり前のことだったから。ダメな理由が自分に対しても、他者に対しても堂々とできることはある意味とっても楽だし、最強のバリアーだった。
だから、ぼくはなかなか痩せず、むしろ太って行った。
人間実は結構こういうことってあるんじゃないかと思う。自分にも他者にも都合のいい言い訳があると、その都合のよさに甘じてしまいたくなる。ふわとろオムライスできるよって豪語していて、いざ、「じゃあ作ってみてよ」って言われ時に「今は卵ないから作れない」みたいな。
そうはいっても、その言い訳がなくなった理想の自分で勝負して、もし上手くいかなかった時の自己の喪失に耐えることってなかなかに勇気がいることだと思う。「卵買ってきたよー」って実際に卵買って来てこられてしまって上手にふわとろオムライスできなかったらやっぱり恥ずかしいですよね。できるって豪語しつつ実際にはやらない状態が一番楽なんだと思います。
だからまず、ぼくとしてはそういった自分への甘えみたいなものを自分の行動や発言から感じ取ったら、それは進んで捨てることにしようと意識するようにしている。とはいえそれでも甘えてしまうことは多々あるんだけれどね。
なかなか難しいです。
さて、この話のオチ。
一応高校在学中の海太郎少年は一念発起して努力して努力して14キロも体重を落とし、体脂肪率6パーセントとかの体型になりました。これでやっとこさとモテるぞと思ったわけなんですが、下げ幅が凄すぎてモテるどころか、病気にでもなったのかと心配され、結局高校在学中に彼女はできなかったというところでしょうか。
この経験がとてもいい経験になったよなぁと今でこそ思っていますが、当時はショックで、痩せたのになんで?痩せたのにおかしいぞ、痩せ損ではないか!とか思ってました笑