noteのタイトル実はビュー数直結問題
こんばんは、海太郎です。
なるべく毎日書くと言って始めたnoteもこれで13日目。6番目の素数ですね。
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今日はnoteの話。
毎日noteを書くなかで何が一番大変かというと、もちろんなんだけど、中身を考えることこれはちょっと前にも書いた通り。
そして、次に大変なのは「タイトル」です。内容をある程度包括した魅力的な内容をタイトルに入れつつ読みたいと思うタイトル、またはちょっとカッコつけるタイトルを考えて書いています。
そこで、ふと思って自分のビュー数を確認したんですけど、これがものの見事にタイトルの魅力がない記事は読まれてないということがわかりました。
ちなみに一番読まれてないnoteのタイトルは、「長々しい秋のはじまり」。これ内容もひどいので特別ここにサムネイルを乗っけようとも思えなかった笑。
他のタイトルでも読まれてないものっていうのは大抵タイトルが手抜きでした。なんかとりあえずお洒落な感じで漢字をならべてるみたいな記事も読まれにくい。いや、自分はいいと思ってるんだけど、それじゃ他人はダメんですよね。
改めて反省。だから数日前のこれとか結構ダメです。
なんの話?流れてきたときに読みたくないんですよね。写真も海だし、なんかのポエムなのか、ポエムなら読まなくていいやと、そういうわけなんですよね。よほどの海太郎ファンなら読んでくれるんですけど、そこがまだ自分には大したファンがいないのでやっていいことじゃないというわけなんですね。
Twitterでどれだけ拡散されたかがかなりビュー数にも影響してしまうんだけれど、それなりに読まれた記事はやっぱりタイトルからして中身が気になる感じになってます。
・女だらけの中の男として
・理由ある悪が求められる
・桜の花びらが落ちる速度は秒速五センチメートルなんだって
・トイレで紙がないなら、左手があるじゃない
上位勢のタイトルがこんな感じ。確かに少し気になるくらいなタイトルなんですよね。我ながら。
すんごい今更なんですが、こういう客観目線ってすごく大事だなと思ったわけなんです。ついつい忘れちゃうんですよね。自分のnoteっていつでも傑作だと思ってしまったりしがちなんですが、他人はそこまでぼくに興味ないっていうね。
それはあたり前で顔も声もわからない人のただ長い文章はよっぽど文才ないと唆られないんすよね。卑屈になってるわけでなくて現実の観測で、だからこそ、人がみたくなるタイトルってなんだろうってことを考えながらこの先もnote書いていきたいなって思ったという話でした。