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今の想いを書き殴る

ジャニー喜多川氏から受けた性加害を公の場で証言したカウアンオカモト氏の会見から数日経ったが、案の定大手メディアは報道せず、通常運転だ。しかし、被害者が名乗り出ている以上、ジャニーズ事務所に対する目線は個人的に通常運転ではいられない。今は、どちらかというと、おそらく被害者であろうメディア露出しているジャニーズタレントへの嫌悪感がすごい。それは、性被害を受けたという差別的な視点では決してなく、自分の心の傷に蓋をしたくなる気持ちはわかるが、同じように苦しんだかつての仲間のカウカン氏が、決死の思いで顔出しして証言しているのを見て、自分が戦わなくては犯罪を公にすることは出来ないのだと何故思わないのかという意味である。思っていても、行動出来ない理由があるのかもしれない。でもその理由とは、結局自分を守るための理由なのだと思われる。全てを捨てても、訴えなければならないレベルの問題なのだと認識していれば、声に出せないなんて事はないのではないだろうか。そっとしておいてほしい。その気持ちはわかる。でも、ここまで明るみに出ている事をうやむやにしているのは一生疑惑がついて回るし、本人も苦しみから解放されることはないのではないだろうか。何より、これは至極重大な犯罪であるから、黙っている事は、被害者とはいえ、結果事務所やマスコミと同等レベルの罪の重さに値しているという事を、一度タレント達には考えてほしいものだ。そこまでしてしがみ付きたいものとは何なのか。芸能界の仕事には、個人的にそこまでの価値はないと考える。夢のある仕事、華のある仕事、一見そうだが、要は動物園の動物と同じ、大きな人生の犠牲を払って人様の見世物になる職業でしかない。ましてや彼らが人様に夢や希望を与える場所となっているテレビやメディア業界そのものが、正義が罷り通らない薄汚れた世界と化している。それでも、芸のある人間はその中でも実力を発揮したいという思いでいるのかもしれないが、残念ながらジャニーズタレントは芸がない。事務所の力でそこに存在出来ている。自分の力ではないのに、大舞台に立たせてもらっている現実に、虚しさは感じないのか不思議である。甘い汁が吸えて、お金をもらえてるから満足なのだろうか。いずれにせよ、そんな薄汚れた世界に麻痺して、本当に大切な事を見失っているジャニーズタレント達には、幻滅せざるを得ない。そんな実力のない彼らをこぞって使うテレビ局に対しては、もう何もいう気にもならないが。憤りを通り越して、呆れ果てている。小さな希望は、表では揉み消されているが、そんな薄汚れた世界の中で恐らく懸命に戦っている人間が、少数でもいるらしいという事である。

兎にも角にも、正義を追い求める事が自分の犠牲しか生まないような理不尽な世界にだけはなってほしくない。傷だらけになっても叫び続ける真実の先に、希望が生まれる社会であってほしいのだ。

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