揺り動かされる世界で、見上げる先にあるもの。
新型コロナウイルスの影響で騒がしく不安な日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょう?
東京と同じタイミングで福岡でも緊急事態宣言が発令され、外出自粛に加えた営業自粛の要請が出たのは約2週間前のことのこと。それからすぐにリモートワークに切り替わり、私はもうすでにきつくなってる。笑
4月1日に転職して、同日から一人暮らしを再開しました。
新しい仕事は思ってた通り、凄く面白くてやりがいがあって、尊敬できる先輩ばかり。自分らしさを何かに活かせるのがこんなに幸せだなんて...!と仕事の行きも帰りもルンルンしていました。日曜日の夜も憂鬱じゃない!最高!
だけど今は安全のために自宅勤務。
誰とも一言も話さない1日を過ごすのはいつぶりだろう。大学時代一人暮らしをしていた時にもそういう日はあったし、一人っきりの時間は慣れっこだけど。
だけど、やっぱりさみしいなぁ。
あれやこれやと昔のことを思い出しては「あの時は楽しかったな」と懐かしんだり、あぁ あの時こうしていれば今頃違う人生を歩んでいたのかな とか あの時あの人に想いを伝えていれば幸せになっていたのかなとか考えてしまう時間が多くなった。過去を振り返ってなかなか前へ一歩が踏み出せない。
でも、私は今の人生の全てを投げ出してまで過去を変えたいなんて思えない。そんな覚悟ないし、そもそも私今の自分の生活が好きだし満足してる。
じゃあ何故そんなに毎日ぐちぐち悩んでるのか。
きっと寂しくて仕方ないんだ。
私、春がどうも苦手で。
春は毎年寂しくなる。
正しく言えば、私を肯定してくれる存在、安心できる場所が欲しくなる。心が神様がいない方を向こうとする。
日本人にとって4月は新しい1年の始まりで、環境が変わったり新しいことを始めたりする人が多いじゃない?
何事も最初は不安定。大変なことや辛い思いをすることも多いと思う。これがいつまで続くのか、いつになったら安定するのか、未来のことがあまり読めなくてちょっと怖くなったり。
そんな時周りを見ると友達がキラキラ輝いて見える。いいなぁ、私は弱いのに...。
ネガティブな気持ちを掻き消そうと友達に会いたくても、なんかバタバタしてる雰囲気だし自分も時間に余裕ないし...。平安が欲しい。誰かに認められたい。ああ、さみしいなぁ。
となるのが私の近年のお決まりコースで、4月はだいたい孤独と戦ってる。笑
神様から心が離れていた過去に、その私の寂しさに漬け込んできた人に、私の心を傷つける事を許してしまったことがある。自分を守りきれなかった。春は私に試練をもたらす。
そして今年の春も私は寂しさと戦っている。
キリスト教的な話をすると、神様は今、「全てを捨てて、私についてきますか?」と私に問うている。
あなたのために生きたい。全てをあなたに捧げたい。
そういう気持ちが与えられ、祈ってきた半年間だったけれど、
いざとなると「YES」という返事が喉に詰まらせる自分がいる。
それが情けなくて姿勢を治したくて、でも目を瞑って違う虚像なる夢を見たい気持ちもあって。
揺れ動く心。疑いの心。信仰の薄い心。
「主よ、これらを取り除いてください。」と祈るばかりです。
あのときは御声が地を揺り動かしましたが、今はこう約束しておられます。「もう一度、わたしは、血だけではなく天も揺り動かす。」この「もう一度」ということばは、揺り動かされないものが残るために、揺り動かされるもの、すなわち造られたものが取り除かれることを示しています。 ヘブル人への手紙12章26節〜27節
まさに今は世界が揺り動かされていて、いろんなものが取り除かれている。
こんな時だからこそ、心を落ち着かせてじっくり味わおう。私にとって本当に大事なことは何か。私が信じる神様が良いお方であること、そしてその恵みに感謝しよう。見上げる先には御国があるから。
このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れを持って、神に喜ばれる礼拝を捧げようではありませんか。 ヘブル人への手紙12章28節
味わい 見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ 主に身を避ける人は。 詩篇 34章8節
私の唇にはいつもあなたへの賛美がありますように。揺らぐことのない岩、神の国とその義を求めます。