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「いつかやろう」は、今からでもできることだった

今年の夏はわりと過去最大級に色んな所へ遊びに行ったり、最高に楽しい旅行を重ねたりして、本当に楽しかったなあと、今でも思う。
そんなふうに「満喫した!」と思える夏って、なんだか今までなかった気がするのだ。いや、本当は毎年夏を楽しんでいたのだけれど、今年はそれ以外のところでいろいろ、いろいろあって、その楽しさが際立っていたのかもしれない。

春先から夏にかけて、ほとんど土日にスケジュールの隙間がないくらい全力で動きまくった。その間に楽しそうなイベントとか、本とかマンガとかアニメとかがちらちらと視界の端に見え隠れして、ウィッシュリストに入れたり本を買いだめたりしていたおかげで、家には数ヶ月表紙もめくっていない本や雑誌であふれてしまった。

携帯のブラウザには読みかけのネットの記事が開きかけのまま十数タブも開かれたまま。当然Pocketにピックしていた記事を読む機会はまったくなく、FGOのイベントは半分くらい中途半端にやってはスルーし、テレビには録画したままの男子ごはんやモヤさまが数ヶ月ぶん溜まっていた。


そんななか夏が過ぎ、秋になって、ぐちゃぐちゃになった身の回りに気がついた時、なんだか「うへえ」となってしまったのだ。

「いつかやろう」と思ったものたちの塊が自分に押し寄せて、「おいいつやるんだ、ええ?」と迫ってくるような気がしてしまったのだ。息苦しくなってしまった。


そして秋が深くなっていっても結局それらを放置し、熱心にメルカリで身の回りのものを処分するのにハマり、それが一通り済んだあとで変わらず積読ものを全部無視してなぜかPS4で昔クリアしたことのあるバイオハザード6を購入してやり始めたとき、さすがに「あ、これはヤバい」と思い当たった。
これ以上放置しすぎたら、自分は興味があったはずのことを全部横において変にごまかそうとする人になってしまう(実際そうなっていたのだけれど)。

とりあえず、パソコンで「今やりたいこと」を思いつく限り入力してみることにした。
20分くらいで50個くらい書けた。自分でもびっくりした。
書いていることは別に「石油王から100億円もらって楽に暮らしたい」とか「宇宙に行きたい」とか突飛なものではなく、全然日常の範囲内のことばかりだった。
美味しいものをたくさん食べたい。積読本を読み切りたい。家のいらないものを全部整理してスッキリしたい。アニメも映画もたくさん見たい。アイデアだけだして放っておいている小説も書きたい。The Ryokan Tokyoに行って原稿執筆プランを予約して引きこもって読んで書いてを繰り返したい。
もっと勉強したい。もっと知りたい。そんで表現したい。写真も撮りたい。きれいなものを見たい。美術品も見てみたい。自然の中で過ごしたい。スキーもしたいしキャンプもしたい。


ぜんぶ、やろうと思えば今からでもできるものがほとんどだった。
やればできるのに、「できない!」と駄々をこねている自分が一番の障壁だった。


とりあえずスマホのブラウザに表示されている読みかけの記事を全部読んで消した。読めば3分くらいで読めてしまうものばかりだった。
ついでに通知ばかり来て使っていないアプリも消した。使いみちがよくわからないまま入会してそのままにしていたサービスも解約した。
雑誌もざーっと読んで読めるものはざーっと読んで、半分くらい減らした。本も通勤時間に少しずつ読むようになったら、少しずつ積読が減っていっている。

これくらいのこと、さっさとやればできるのだ。
それに気づいて、だいぶ気持ちが楽になった。

ひとつずつ積み重ねて、もっと身軽に生きていこうっと。

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中型犬
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