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扱う言葉で人の程度が知れる

TwitterのTLをばーっと見ていて、結構大手の雑誌編集長だった人が、(すごい要約すると)「コイツがすごくアホみたいなことを言っていたから嫌味を言ってやった」みたいなことを言っていて愕然としました。

「あ、そういうこと言っちゃうんだ」って感じでした。

いや、確かにそのきっかけとなった人はアホみたいなことを言ってはいたし、嫌味の内容がウィットに富んでいればまだ良かったのだけれど、

「まだ経験の浅い小童の分際で」
※「小童」の部分はその言葉じゃなかったんですけどまあそんな感じの言葉です

みたいなことを書いていてオイオイそれただの悪口じゃねえか、という気分になりました。

なんか単純に編集長を経験した人でもそういうこと言っちゃうんだな、という、純粋な驚きがただただありすぎてnote書いてしまったんですが、
言葉を扱う仕事をした経験が一度でもある人であれば(それが責任者である編集長を経験した人であればなおさら)、何かを伝えたり議論したりする上でフラットな言葉を選ぶ必要があることの重要性は実感しているはずなのに、
なんかこう、ひたすらショックというかなんというか…という気持ちになりました。

どんなひどい言葉を見つけたとしても、それが怒りに震えるほどのものだったとしても、相手の挑発に乗ってしまってはすべてがパーになってしまうのに、
あまつさえ上から目線で嫌味を言うとか…ほんとに死んでも自分はするまい、と思いました。

使うことばは、その人の心をありありと写します。
本当に自分から自分がアホだというレッテルを貼りにいくマネだけはすまい。



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中型犬
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