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高校1年生、15歳の私が一番欲しかったものは国籍だった。


15歳の時何が欲しかったですか?

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夢?恋人?お金?時間?

恋人とかその辺りは多いのではないでしょうか。

私が欲しかったものは、全く違いました。



●時代がinternationalになってきて、

私○○人だよ〜って
国籍をオープンにしても昔より受け入れてもらえるのは本当に時代が変わったなぁ、と強く感じます。


なぜなら私の幼少期は国籍、名前、話す言葉が違うということだけでも差別されていましたし、


さらには私のアイデンティティが中国の文化だった事による考え方の不一致で、中々日本人の輪に受け入れられない事が多々あったからです。


【いじめ】という言葉にするにはまた違う、【差別】に近いものだったと思います。


決して非難しているわけではなく、約30年前はそれが当たり前だったのです。

きっとどの国もあったと思う。

私達が産まれるもっと前に戦争が起き、植民地の問題が起きて、

・人間として扱われず、家来のように働かされた


みたいな話を、おばあちゃんやおじいちゃんから聞いた事ありませんか?

私が幼少期だった30年前は、今よりはその戦争からの名残がありました。

私は5歳まで日本語が話せませんでした。


これだけは伝えないとやばいと

一番最初に覚えた言葉は

『水』

飲みたかったから。笑


保育園ではもちろん異生物である事間違いない存在で、先生からも好かれた記憶がないです。


●先生という職業は、大体が先生である前に人間ってのが出ちゃって好き嫌いの好みがでるのが苦手でした。

やはりこちらは平等を求めてしまうから。


でも、言葉もよくわからないし他の子と同じ事もできなくて、保育園の提出物をだせなかったりしたら、もちろんかわいい生徒ではなかったのかなぁと今なら思えます。

★そんな私も、生徒を心から(平等に)好きで、教育を受けて立派になってほしいという先生には一人会った事がある←この事も書く自分メモ

まず、初めて入った日本の保育園での異文化コミュニケーションを書いてみたいと思います。


●着る服←あたしはみんなと圧倒的に違うデザインのものを着ていた。

スカートの下に厚手のズボンは当たり前だし、お尻の所は当たり前に穴開いていたし、たまにヒールのあるサンダルをはかされ保育園に行っていた←中国では当たり前

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↑この左の子みたいな感じ。笑笑


●この記事の最後におしりと股間が開いている服を着た、わたしの子供のころの写真があり、股間が丸見えなので有料で公開しますが、本当にやばいから、ちょっとフリー公開にできない!笑笑

ので異文化に興味がある方だけに見て欲しいので、わたしの股間は有料にします。

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●食べる物の文化←お弁当の文化がない民族なのでニンニクを使った炒め物の臭弁当でいじめられたり、白飯の上にマグロの赤身?とにかく赤い物体が乗ったものを
【弁当や】と渡されたby 母作 

遠足では、水筒持参しないといけないのに、水筒文化がないのでデカビタCを渡された。結果ジュースはダメなので飲めずに喉がカラカラ

中国は小さい頃から毎日ニンニクを食べるし
みんな口が臭いのが当たり前。←口臭いといじめられる

※日本の食べ物を食べた時衝撃を受けた!
なんのたべものだ、甘くておいし!と。

わたしの故郷の料理です
日本と全く違いませんか?

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日本と全く違いませんか?( ̄▽ ̄;)

よくこんなようなのを食べていました。

ここまで豪華じゃないけど、


●お友達同士の接し方←言葉が上手くないからやたらに人とベタベタ触りたがってしまい、私は優しくしているつもりが、相手にとっての優しさと認識されず嫌われる、で腹を立てて喧嘩してしまう

お友達の机をひっくり返してしまった事も


●描く絵←まじで!!日本の子が書く絵はとても貴重面で上手いし、ハッピー!!私の絵は頭の中が整理されてない謎の絵なのと、だいたいの主人公が民族衣装を着ている

日本の子はお花や、女の子、動物を描くのが本当にうまいなぁと、器用だなぁと見ていました。

●好きな男の子への愛情表現←絶対自分の事を好きに決まってるときめつけて、
上から目線で接してしまう。

中国の女性って勝気で女の方が上よ、みたいな人が多いのですが、それは小さき時からの教育かも。

●行事ごとが理解不能←学芸会の衣装は用意できた事がないし、運動会は競争内容がイマイチわからなかった。

雑巾を作ってきたり笛を吹いたり、やった事がない事すぎた。
お道具箱ってなんですか、の世界。

一番できなかったのは給食当番の当番着を洗濯していく事。

借りたものを洗濯して返すのは日本の文化だと思う。

お・も・い・や・り

(お・も・て・な・し)ともいう



の文化。

あと、運動会!!

運動会でみんなでお弁当たべたりするのがあまりにも中国にはなくて、お母さん把握しておらず、ある日運動会の終わり際に

3段のお重箱に、
1段目一面ローストビーフ、
2段目一面くるみ、
3段目一面和菓子、というのを持ってきた事がある。

終わり際に。笑

恥ずかしくて開けれなかったなぁ。

●お風呂の文化←日本は毎日お風呂に入るしお湯に浸かるけど、中国はその当時毎日お風呂に入る文化もないし、お湯に浸かる事はまず無い。

汚いといじめられたけど、でもそれが私の国の文化だから最初はわからなかったのです。


●食事中に口を閉じて食べる文化←中国は口を閉じて食べる文化がなく、くちゃくちゃ食べるのが当たり前なので、これはすごく気を付けていました。

今でも中国に帰るとみんなくちゃくちゃ食べるなぁと思うけど当たり前のことだから誰も注意しないよ。


あと、肘をついたり、床で食事をするのは当たり前だったので足をついてそこに肘を乗せて食事をするのは当たり前でした。


●お礼を死ぬ程言う文化←中国はペコペコする事がないので日本の方のお歳暮や、

おやつの差し入れ、 一緒に食事をしたら帰り道にお礼のメールを送る、

お正月にはハガキを送り合う、お友達のお誕生日にはプレゼントを持っておうちに遊びに行く、

みたいな事は全くないので、礼儀がなってないと園児のお母さんには嫌われていました。


中国人はとてもハングリーだけど大雑把で、(あたしはその自由さが好きなんだけど)

喧嘩をしないとビジネスが始まらない、喧嘩して初めて仲良くなる、みたいな習性の人が多いから、相手の顔色を伺って、みたいな事がないです。


日本の人は本当にお礼を丁寧に言ってくださるから、サービスが最高に気持ちいい!

さすがの文化です。


でも私がお礼が出来なかった一番の理由は


うちはヘドが出るほどの貧乏で、給食費も払えなかったし、2日間食事無しも当たり前だったから人になにかを送る余裕はないんですよね。

京都大学の留学生をしていた母は、バイト代で私を育てながら勉学にも励んでいたから、家にいる事が無く、私はトイレも風呂もない六畳一部屋の家に住んでいましたから。


途中から赤の他人のお家で2年くらい住みました。←★ピアノの先生の話は改めて書く自分メモ


昔の中国人て本当そうでした、今は中国が大成長してお金持ちが死ぬ程増えて、嬉しいなと思います。

華僑や華人の集まりで深い付き合いをさせていただいてますが、今のところ日本の芸能界でCDを出したりAKBグループに入ったのは入ったのはわたしだけですね。

しかし、、

ご飯に腐りかけのきな粉をかけて食べていたあの時を今でも思い出しては、毎日の食事に感謝しています。



私は保育園だけでも、5個通ったので、様々な文化をしりました。


長くなってしまったから、15歳の私が〜編は後半につづきます。

そしてさいごに、、

中国は小さいときあそこが丸見えの服が当たり前でした。トイレをすぐできるように。笑笑

あそこがパッカーン

の写真をあげておきます。


幼少期の私とはいえ恥があるので、有料にします。


中国の文化に興味がある方、わたしの股間←まだ幼少期のを見ても嫌いにならない方、異文化を研究してる方は是非。


あと追記で、あそこがむき出しで起きた病気など、、ちょっと人には知られたくない事も初、発表します、、恥



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