いのちを感じる育み
太陽が昇り沈む
月の満ち欠け
季節のうつろい
季節から季節のあいだの淡いとき
手を繋ぎ、距離が近くなり
身体が触れ合い、hugするような
種から芽を出し葉をつけ
花が咲いて実がなり収穫する
その愛(めぐみ)をいただく
五感をとおして感じる
これらの自然のいとなみ、育み、循環のなか
わたしが自然のいちぶでもあり
生きとし生けるものの
"いのち"を感じているときでもあり
わたしの"いのち"を感じているときでもある。
その瞬間の美しさと尊さ儚さを
その一瞬をも味わいたく感じたく
いのちのリズムを刻んでいる。
だが、わたしのなかにスペースがなく
感じることを忘れてしまっているとき、
ぎゅんぎゅんに詰まっているとき
一瞬でピピピ!と
起こる物事に対して
いい、わるいに分けてる時があるなと
今朝、運転しながら改めておもい
(分けることがいいわるいではなく😌)
その事にただ素直に
わたしはわたしを包みながら
隣に座って話を聞こうとしていたのだろうか。
いや、わたしがわたしを
冷たい視線とともに監視して
その一瞬のいい、わるいを
"やんわりと"いい感じにもっていき
何にいい、悪いと感じたかを問うこともなく
なかったことにしたことが
たくさんあったなぁと思った。
どう感じても、
どう思ってもいいよ。と表面だけで
まんなかでは
その本当の音を鳴らさずに
違う音を鳴らしていた。
いや、鳴らすのをやめた。
そう選択を自らしていた。
(少し前はその選択をしていることが
その物事や他者のせいにしていた)
そのあとムズムズしたり
なんだかなぁと重くなったり
リズムが崩れるような感覚になっていた。
どんな音であろうと、
(音があることに、想いがあることに気づき)
わたしのなかで響かせ振動させ
(こおゆう音なんだね、想いなんだね😌と寄り添い)
わたしの内なる自然のなかで
風をふかせ、
穏やかな波や高い波を生み出したり
鳥が風で遊んでいたり、
草花がゆれたり、
そんな一瞬に詰まった
"いのちを感じる育み"を
わたしはしていきたいと思った。
わたしのなかでそれらが響き
いくつもの音が重なり調和するとき
いい、わるいとわけていたことさえ
まるっと包み込み
そう伝えてくれたわたしへの感謝がわきあがる。
わたしが選び続けたその結果
わたしがわたしにかけていた言葉や行動が
わたしに染みついているものなんだなぁと
改めて感じて
これからもわたしのペースで
心地いいリズムとともに
今日もわたしとわたしで想いを伝えあい
育んでいこうとおもったのでした。🌙🤍🌱