荒野のオーロラ〜戦争の傍らの学校〜ナゴルノ=カラバフ難民100人取材最終回
”この娘達には今年の冬の温かい靴がないの。”
ナゴルノ=カラバフ100人取材中盤。戦争で故郷を追われただけでなく、誰よりも悲しい体験をした赤い服の少女をインタビューした時、彼女の祖母はそういっていた。
誰よりも残酷な経験をして、世界の理不尽に故郷を奪われたにも関わらず誰よりも素敵な笑顔をする赤い服の少女を見て、あのシリアの国境で出会った仲良くなったシリア難民の子供達のことを思い出した。
シリア内戦で故郷を壊され、追われて、それでもキラキラした笑顔で笑っていた兄弟との果たせなかった約束。
四週間ほどの付き合いだが、彼らは俺にたくさん笑顔をくれて、俺のことを少しだけ信頼てくれた。
最終日、体の芯まで寒かったシリア国境の街でサンダルだったあの少年に靴を買ってあげるはずだったが、すでに夜遅く靴屋はやっていなかった。
だから、イランを回ってここに戻ったら靴を買ってあげるよ。そう約束したのにコロナの発生によりその約束は果たせなかった。
、、、、、、靴か、、、、、、、
彼らとの約束が心残りだった。なぜここまでこだわるのか、、、多分、俺もあのシリア難民の兄弟も何もない、空気が芯まで震えるように寒い荒れ果てた荒野を歩いていたからかもしれない。俺の父親は真っ暗な荒野で疲れ果て、歩くのを辞めて首を吊って自ら命を経ってしまった。でも、あの少年はその荒野をサンダルで歩き続けていた。それでも、それでも彼はキラキラと輝く笑顔で笑ってた。あの、ナゴルノ=カラバフ難民の赤い服の少女も靴がないのに荒野をキラキラした笑顔で歩き続けていた。何で、、、?何で、、、そんな笑顔で、、、、歩けるんだ?
ナゴルノ=カラバフ難民100人取材を終えた俺は、彼女が暮らすハルタシェン村の学校を見学させてもらえることになっていた。中には2020年の5600人以上が命を落とした44日間戦争で故郷を追われた難民の子供達もいた。俺はそこで見た戦争で故郷を追われた子供達と、戦争の最前線に近く、30年前は最前線だったこの村の子供のたちの笑顔を一生忘れない。
ハルタシェンの村の学校は丘の上にある、無機質で一見寂しい学校だった。
しかし、無機質な建物に一歩足を踏み込むとそこは外観とは別世界だった。
笑顔で英語の授業を受ける9歳の子供達。
そこには、穏やかな優しい日差しと同じような穏やかでキラキラした笑顔をした子供達が勉強をしていた。”どこからきたの?””アルメニアは好き?”などいろいろな質問をされた。
”アルメニアは大好きだ。人が優しくていい人ばかりだから!!”
アルメニア軍とアゼルバイジャン軍、戦争状態にある2カ国と停戦を監視するロシア軍が滞在する緊張状態の国境からわずか30キロほど、30年前は最前線だったこのハルタシェン村では子供達は笑顔で勉強をしている。戦争は子供達の笑顔といつも隣り合わせにあるのだ。
その穏やかな日差しに包まれた9歳の子供のクラスには見知ったインタビューをした子供が二人いた。
看護師になりたいと語っていた白い服の少女。赤い服の少女の叔母
”看護師になりたい。看護師になってたくさん人を助けたいの。”そうインタビューで語っていた少女もそのクラスに参加していた。少女がそう語ったのは大好きなお父さんが病気だったのと、戦争でたくさんの人が怪我をしたのを見てきたからだろう。少女の優しさに感動して胸を打たれたのを今でも覚えている。そんな、彼女のことだ一生懸命勉強しているのだろう、そう思っていた。
しかし、彼女の先生でもある通訳が語る彼女の授業態度は俺の想像と真逆だった。
”彼女の友達は問題児で勉強が嫌いでノートを開かない娘なの。だから、彼女もその友達の悪影響を受けてノートを開かないのよ。ナゴルノ=カラバフの故郷を奪われてこのハルタシェン村に移動してきた彼女にはその問題児の娘しか友達がいないの。私はロシア語の授業を彼女に教えているけど教科書を読めと言っても読まないの。私の前の先生がひどい先生だったらしくて、あなたは頭が悪いから勉強ができないってひどいことを言ったのよ。それで、私は勉強ができないって思ってしまったらしくて、私が努力すればできるようになるって言っても私はできないって言い張って聞かないのよ!!。”そう彼女の先生でもある通訳は嘆いていた。
”最低な先生だな。そんなことを言ったら傷ついて勉強が嫌いになるだろうに、、。その年齢の子の勉強なら努力次第でどうにでもなるだろうに。”本当に最低な先生だと思う。そんな才能を小さい子供が否定されたら、悲しすぎて勉強が嫌いになってしまうだろうに、、。彼女は9歳、日本で言えば小学3年生か4年生だ。そのくらいの学年の子供の勉強なら健康な子供なら努力次第でどうにでもなるだろうに。大人の気分で子供を傷つけ才能、未来の可能性をを潰す、、。なんて、ロクでもない教師なんだよ。、、彼女が語っていた看護師になりたい夢、それは子供だからそこまで本気ではなかったにせよ、大好きなお父さんが病気で寝たきりの彼女からしたら確かに病気や怪我の人を救いたいという純粋な思いはあったはずなのに、、それを、気分で否定するなんてどんなに賢かろうがそんな奴は教師失格だ。
病気で寝たきりの看護師になりたい少女のお父さん。彼女の家族のインタビュー少女はお父さんが心配で付きっきりで様子を見ていた。
、、、、悪い友達か、、、。確かに、影響を受けて勉強しなくなる悪い友達だ。大人から見たら、、ただその友達はすごくいい子な可能性もある。故郷を追われて友達がいない一人ぼっちの少女に手を差し伸べてあげた優しい友達かもしれない、、、だから、悪影響だから縁を切れなんていえないよな、、。人間関係はそんな単純じゃない。そもそも、44日間戦争でベルゾール市を追われなければ、、故郷の友達を失うことも、最低な先生に出会うことも、、、勉強を嫌いになることもなかったのかもしれない、、、。子供達の可能性は無限だが、子供達の世界は狭い。家族と先生という大人達と学校の同級生が全ての世界だ。勉強をしないのは良くないけど、、下手なことをしてその狭い世界で排除されたら彼女にとっては地獄だ。、、、、とてもいい娘なのに、、。そして、そんな子供達の世界は戦争で、世界の理不尽でいとも簡単に破壊されてしまうのだ。
そして、このクラスにもう一人いた見知った少女、、。それは、お母さんが嘘ばかりついて、怒ったり、泣いたりして大変だった難民の家族のかわいそうな少女だ(少女や家族のプライバシーの確保のためにどの少女がかわいそうな少女かは明記しない。同様の理由でその難民家族の取材はカットせざる得なかった。)。
ある家が散らかっている難民の家族の家を訪れると、その家の男の子と女の子は部屋で宿題をしていた。俺たちがインタビューに来たことでお母さんが子供達に宿題をやめさせて、子供達はインタビューの様子を部屋で眺めていた。
お母さんはひたすらお金がない、困っている。金をくれ、金をくれ、支援もないとひたすら言い、怒ったり、泣き喚いたり、叫んだりするだけでこちらの話は聞いてくれず話もできないのでインタビューを途中で切り上げた家族だ。かわいそうだったのはそんな様子を目の前で見せつけられた子供達だった。通訳と今まで取材してきた難民ネットワークによると、実際は家族は戦闘が一番激しい最前線のハドルゥート 出身で難民達の中で一番多くアルツァフ共和国(アルメニアとアゼルバイジャンの係争地の未承認国家)の政府から支援を手厚く受けており、西欧にもお金を毎月送ってくれるスポンサーがいる。実際はアルツァフ共和国首都ステケナパルトには今ももう一つ家族の家はあるが、姑と仲が悪く喧嘩してこの村に出てきただけなようだ。馬や鶏などの家畜は自分たちは今持っておらず、村の人の家畜の世話をする仕事をしていると言っていたが実際はナゴルノ=カラバフから家畜を全て車で移動できて、持ってきただけだったらしい。彼女は支援に慣れきり、働くことをせず、スポンサーの目の前で涙を流し叫び、嘘をつき支援してもらうことに慣れきっていた。要するに取材で叫んでいた話は全て嘘だったのだ。嘘の情報を載せると俺の信用にも関わるというのと、嘘をついたとはいえ、彼女が戦争で失ったものも多いのも事実であり、彼女個人のプライバシーや尊厳を守るためにその家族の取材はカットせざる得なかったのだ。可愛そうなのは一生懸命宿題をしていた子供達だ。親の姿を見て、勉強をすることよりも、一生懸命働くことよりも、嘘泣きをして嘘をつくことがお母さんがしているから正しいと思い込んでしまうかもしれないからだ。、、、、子供達に何の罪があるんだ、、、。かわいそうな少女に”勉強が好きなの?”と質問をしたら、恥ずかしそうに微笑んでうんとうなずいていたのを今でも覚えている。そんな勉強が好きな彼女はお母さんがお金のことを叫んでいる部屋の片隅で、何かに怯えるようにそんなお母さんの姿を見つめていたのをはっきりと覚えている。、、、一体、少女はどんな思いでお母さんを眺めていたのだろうか?その、かわいそうな少女も穏やかな日の光に包まれた教室で勉強をしていた。
”日本語を教えて!!日本語で私達の名前をどう書くか教えてよ!!”授業が終わると優しい笑顔の少女がそう言ってきた。異国の初対面の俺にそんなことを言ってくるなんて、コミュニケーション能力が高く、なんて好奇心旺盛な少女なのだろうか。
”もちろん!!じゃあ、もう一度君たちの名前の発音を聞かせて!!”一人、一人、名前を発音してもらい、黒板にカタカナで名前を書いてあげた。多分質問してくれた優しい笑顔の少女を初め、勉強が好きな子達は興味を持っているだろうが、俺が気にかけていた看護師になりたい難民の少女をはじめ。勉強が嫌いでノートを開かない子達はめんどくさいだけで興味を示さないだろうなと思っていた。
しかし、俺がカタカナを黒板に書くとクラス中のみんなが黒板の前に集まってきて楽しそうにお互いのカタカナ表記の名前を笑いあったり、一生懸命見様見真似でカタカナで自分の名前を書いたりしていた。そこには、看護師になりたい難民の少女も、お母さんが嘘ばかりつくかわいそうな難民の少女も、勉強が嫌いな子供達もいた。みんなで笑いながら一生懸命異国の言葉であるカタカナで自分たちの名前を書く練習をしていた。、、美しい、、、これが、アルメニアの未来なんだ、、、。その穏やかな日の光に包まれ、キラキラした笑顔で一生懸命カタカナを練習する子供達、その美しい光景を見てそう思った。どんなに、辛い状況でも、戦争でも、強制移住でも、ドローンの爆撃でも、この子供達の笑顔と未来は奪うことはできない。心からそう思った。子供達は、戦争で故郷を追われても、それまでの生活が全て世界の理不尽に奪われても、、、キラキラした笑顔で進み続けていた。
そして、他の授業や教室で見た子供達の笑顔も素晴らしい。
この子もインタビューした難民の子供。支援目当てどうこう、嘘泣きどうこうで記事を書けなかったのではなく、聞いた話はとても素晴らしくぜひ書きたかったがお母さんが恥ずかしいから記事にはしないで言っていたのでカットした。やんちゃな少年の心から楽しそうな笑顔だ。いい笑顔じゃねえか!!
今も大好きな悪友達に囲まれて楽しそうだ!!人生を楽しめよ!!
しかし、そんな子供達が笑顔で通う学校にも戦争の爪痕は残る。写真の青年はこの学校の卒業生で、2020年の44日間戦争で命を落とした青年だ。
学校の一室が彼が戦争で命を落としたことを忘れないためのメモリアルルームになっている。平和な国の学校では考えられない光景だ。戦争はいつも、いつでも子供達のすぐそばにある。俺が記事を書いている今日、現在も、、、。
記事執筆時、2022年4月1日のナゴルノ=カラバフの記事
どの授業に行っても子供達は元気で、
笑顔いっぱいだ。
その戦場の近くの村の学校では他の教室でも子供達は皆笑顔だった。
”日本に帰ってしまうの?”
クラスの優等生の英語が話せる少女が英語で語りかけてきた。
”ああ、取材が終わったし。新しい変異株のコロナが流行りそうだから明後日には飛行機で日本に戻る予定なんだ。”
”そうなの悲しいわね。日本に帰らずに、ずっとアルメニアにいたらいいのに。”会ったばかりの少女は本当に寂しそうな顔でそう言ってくれた。会ったばかりの人に、何も考えずよくそんなことを言えるな笑。まあ、それがアルメニアの人のよさなんだけどな。日本にすら俺にはそんなこと言ってくれる人は誰もいないのにな笑。俺も正直日本に戻りたくない、、、待つ人も、帰る場所も、家族すらも、、、何もないのだから、、、。お世辞でもこんなことを言ってくれる優しくて、暖かいアルメニア人がいるこの国に残りたいな、、、。
笑顔の少女達の中には、小さい頃お父さんを交通事故で亡くした少女、取材した44日間戦争でお父さんを亡くして、お母さんが正気を失った少女もいた。彼女はグループの中心人物ではなさそうだ。恥ずかしそうに写真に写っていた。でも、恥ずかしそうだけども確かに楽しそうだった。気にかけていた彼女が楽しそうで俺も何だか自分のことのように嬉しかった。
違う教室でも子供達は一生懸命英語の勉強をしていた。
そんな中、一人英単語の発音に苦戦してそうな少女がいた。
先生は何度も、何度も、発音を訂正していた。若干怒り気味のようにも見える。
それでも、少女は正しく発音できなくて、先生に何度注意されてもめげずに一生懸命英単語を発音しようとする。
”彼女は学習障害なの”この学校の先生でもある通訳が透かした顔でそう言ってきた。、、、、はあ?学習障害って、何でも障害ってレッテル貼ってるんじゃねえぞ。お前もこの学校の教師なんだろ?この子は一生懸命発音を頑張ってるじゃないか!!一生懸命頑張ってるこの少女にめんどくさいからレッテルを張って諦めてるんじゃねえよ。
通訳がスカしてそんなレッテルを貼ろうが、先生が怒り気味で訂正しようが彼女は諦めず笑顔で発音を繰り返す。少女の学習障害と先生にレッテルを貼られようが関係なく一生懸命発音する姿は、、、とても、美しい、、、、。隣の少女が、こう発音するんだよと彼女に教えて、手を差し伸べた。その優しさも、少女のあがく姿も、、、この光景全てがアルメニアの未来。世界のあるべき未来だ。どんな状況でも、諦めず、もがいて、前へ進もうとして、そんな人たちが助け合う優しさを持つ。彼らのその姿こそ、何よりも美しい。戦争で故郷を追われても、家を生活を奪われても、家族の命を奪われても、そんな世界の理不尽に苦しめられても、彼らは前へ進むことやめない。世界に理不尽に対して、もがいて、もがいて、どんなに打ちのめされても戦って前へ進もうとする。そして、誰よりもキラキラした笑顔で笑ってた。そんな、険しい荒野の中を歩いているのに、同じアルメニア人はもちろんのこと、荒野で迷っていた俺にも手を差し伸べて、パンを分けてくれた。アルメニア人達のもがく姿は、キラキラした笑顔は、暖かい優しさは、荒野の空に美しく輝くオーロラのようであった。
ナゴルノ=カラバフ難民取材で、アルツァフ共和国(ナゴルノ=カラバフの未承認国家)の元女子プロサッカー選手と出会った。彼女も長年住んだ故郷を奪われたのに、自らアメリカ人のスポンサーを探し、故郷を奪われ、サッカーができなくなった子供達のために無償でサッカーチームを作り、子供達にサッカーを教えていた。
彼女が子供達のために作ったサッカーチームの名前はオーロラだった。何で、オーロラが見れないアルメニアでチーム名がオーロラなの?と疑問に思っていた。
アルメニア人は悲劇の一族だ。トルコ人に60〜150万人が虐殺された、アルメニア人虐殺。そのあまりにもおぞましい虐殺を生き延び、アメリカに渡りアルメニア人達のために正義を訴え続けた少女。彼女の名はオーロラ・マルディガニアン。彼女の見た光景、生き延びた現実はあまりにも残虐だ。彼女の本を読んだが、中東の紛争やジェノサイド、内戦の本を普通の人よりかは多く読んできた俺にとっても最も悲惨な内容の本だった。しかし、そんな悲劇にも負けず、生き延び、正義を訴え続けたオーロラの生き様と正義はとても美しいものだった。まさに、荒野の空を輝くオーロラのように。
戦争や侵略の脅威に今現在も晒されているにもかかわらず、何人かの子供は実際に2020年の44日間戦争で故郷と最愛の家族の命が奪われてるにも関わらず懸命に生きて、懸命に遊んで、キラキラした笑顔で笑う。そんな子供達はオーロラの意思を受け継いでいて、このクソみたいな最低な世界。荒れ果てた、体の芯まで震えるように寒い荒野、、、そんな荒野の空の上にキラキラ輝くオーロラのようだった。、、、、あのオーロラの光だけは、、、。
学校見学を終えた俺は、ハルタシェン村のある家に寄った。
買った冬靴を子供達に渡すためだ。
家の前に着くと偶然にも今日は黒い服を着た赤い服の少女が何かをしていた。
俺たちの姿に気がつくと何か叫びながら家に入っていった。おばあさんを呼びに行ったのだろう。
俺は彼女達二人に冬靴を渡した。偉そうに取材などを行い、正義を語ってきた無力な俺だが、できることはこれくらいのもだ。
この靴を渡したことで、あのシリア難民の兄弟との約束を果たせたなんてことは思わない。ただ、、、荒野の中をキラキラした笑顔で歩くナゴルノ=カラバフ難民のこの兄弟に靴を渡したかった。それだけだ。それに、できることをしていくこと。それは、俺にとってあのオーロラに向かって歩いていくということ、、、。あのオーロラに向かって歩いていけば、、また君たちに会えるよな?。そう信じている。次こそは靴を買ってあげたい、、、いや、俺の靴など必要ないくらい豊かに暮らしていて欲しい。そして、変わらずあの笑顔で笑っていて欲しい。
冬靴を履いた少女は満面の笑みで笑ってた。
”ありがとう!!”満面の笑みでそう言っていた。違うんだ、、、ありがとうを言いたいのは俺の方だ。素敵な笑顔をくれて、美しいオーロラを見せてくれてありがとう。すべてのナゴルノ=カラバフ難民、アルメニアで出会ったアルメニア人達、あのシリア難民の兄弟にそう言いたい。
美しいオーロラを見せてくれてありがとう!!
真っ暗な何もない、体が芯まで震える荒野の真っ只中で首吊り死体のぶら下がった木を茫然と眺めていた。そのパンパンに膨れ上がった顔を見て、虚しさ、怒り、絶望、悲しみ、やり場のない怒りに包まれていた。そんな時、後ろから二人の子供が笑顔で語りかけてきた。笑って、真っ暗な夜空を指さしていた。、、、、何も見えない暗い空になにがあるっていうんだ、、、。そう思いながら夜空を見上げた。
すると、そこには、どこまでも海の波のように広がる美しい緑色の極光、オーロラが煌めいていた。俺はその光景に思わず息を飲み、寒さを忘れて、魅入っていた。、、、、俺は、、、、。あの美しいオーロラのもとへ歩いて行こう。そう決めた。オーロラの下に何があるかは分からない。何もないかもしれない、海が広がっていてそこには入れないかもしれない。でも、あの美しいオーロラをもっと近くで見たい。そう思ったんだ。、、、、あんたも、あのオーロラを見たら、、、こんなところで命を経たなかったかもな、、、。あんたとはいろいろあったが、、、あの美しいオーロラを見せてあげたかった、、、。俺は首吊り死体がぶら下がる木に背を向け、遙かなた荒野の果て、オーロラが煌く方向へと歩き出した。