見出し画像

戦争が奪ったのは愛する人の眠る場所 ある老人の場合 ナゴルノ=カラバフ 難民100人取材

その老人が守ろうとしたのは愛した人の未来への意思、戦争が奪ったのは愛した人との思い出の場所。

DSC06084のコピー

アルメニアのゴリスにある44日間戦争で亡くなった人たちの記念碑。

ある霧が深い日、通訳がゴリスにある44日間戦争で亡くなった人達の記念碑とお墓に連れてきてくれた。”この男性は私の親戚でまだ若かった、、、、”若い男性の写真が描かれたお墓の前で通訳は語り出した。2020年にアルメニアとアゼルバイジャンにより係争地ナゴルノ=カラバフで勃発した44日間戦争。この44日間戦争で5600人越えの人々が亡くなった。その5600人以上という数字はニュースで見たので知っていた。

”この男性は軍で医者をしていたの。44日間戦争でも人をたくさん救って、みんなに尊敬されていた。”通訳の説明で数字は物語に変わる。アルメニアのお墓には亡くなった人の写真や肖像画が描かれている。5600人以上という数字の一人一人には物語と姿がそれぞれ存在した。

”彼はまだ10代で、、、、”通訳はまた別のお墓の前で説明を始めた。5600人の中には最愛の人を失ったあの一家の最愛の人

DSC06361のコピー

平和と戦争について語り合ったあの少女の大好きだった先生

画像3

誰よりも強いあの男性とともに戦地に赴き亡くなった相棒

DSC06372のコピー2

彼らも含まれている。

”あのお墓の若い男性の彼女は未だに彼が忘れられずに悲しみに暮れている、、、”亡くなった人たちの意思は生き残った人たちの心に受け継がれ、影響を与える。その影響が亡くなった人たちの思い通りになるかどうかはわからない。しかし、意思は受け継がれていくのだ、、、

前回の記事 爆撃で奪われた教師一家の場合

武力で故郷のヴルガヴィン村を制圧された教師のお母さんと少女へのインタビューを終え、彼女達が出してくれたお茶とフルーツを頂いているとおじいさんが部屋に戻ってきた。

優しい笑顔をしたおじいさんと日本車や果物について談笑をしていると、ふとこの温度感ならインタビューもできそうだなと思った。どうしても彼に聞きたいことがあったのだ。おじいさんにもインタビューをしていいか尋ねると”構わないよ”と言ってくれた。しかし、これは誤りであった。目の前で尋ねられて、嫌だとは優しいおじいさんは言いづらかったのだろう。筆者は愚かだった。

DSC06202のコピー

武力で制圧されたヴルガヴィン村で数学と物理の教師だったおじいさん

ニコニコしてくれてはいるが、お母さんと少女のインタビュー前に部屋を出ていったあたり戦争の話をしたいわけではないのだろう。下手をしたら心の傷をえぐっることになってしまう。ならば、、

Q”なぜ教師になったのですか?”

お母さんと同じでおじいさんも教師だ。悲しい話ばかりでなく、むしろ難民の人達の素晴らしい志、考え方、生き方、物語を人の伝えたいなと考え始めた筆者はお母さんがインタビューで答えてくれたように、教育についての熱い考えを聞きたかった。しかし、それは一番してはいけない質問だった。愚かな筆者は墓穴をほることになった。おじいさんは質問に対して一瞬明らかに困った顔をした。

”、、、、実は教師より菜園で農作業をしている方が好きなんだよ。物理を教えられる教師がヴルガヴィン村にいなかったから仕方なく教師をしていたにすぎないんだよ。柿を作る方が好きなんだ。”とおじいさんは笑顔で答えてくれた。、、、そうなのか。お母さんみたいな熱い教育論が聞きたかったのになんか拍子抜けだ。だが何故だろうか、おじいさんの答えが少し不自然に感じた。

”、、、あっ日本にも柿があるって言ってたわよね?私も柿大好きなの。”通訳が急に柿の話を深掘りし始めた。”そうそう日本にも柿があって、、、”その後柿の話で盛り上がったが、何か不自然だ。筆者は明らか戦争や教育論について話を聞きたいと通訳はわかっているはずなのだが、急に柿の話に話題をそらされた気がする。通訳空気読めねえなと筆者はこの時考えていたが、今にして思えば通訳が話題を逸らしたのは故意だ。

DSC06682のコピー

アルメニアの人達も日本人と同じで柿を食べる。

おじいさんは25年間ヴルガヴィン村で暮らしてきた。愛する家族とともに。

Q”ヴルガヴィン村での25年間の生活はいかがでしたか?”

”素晴らしい菜園があったんだ。そこでぶどうや柿を育てるのが何よりも生きがいだったんだ。あの村には全てがあったんだ、、、。”そうおじいさんは感慨深そうに語っていた。”ヒロシマ、ナガサキは君の国だろう?”とおじいさんは尋ねてきた。アルメニアはかつてアメリカと敵対していた旧ソビエト連邦だった国だ。当時アメリカを非難するために旧ソビエト連邦はヒロシマ、ナガサキへ原爆を投下した事実をプロバガンダとして使用していた。なので、旧ソビエト連邦の国の現地の人に日本人だと説明するとヒロシマ、ナガサキの話題をふられる事が多い。このおじいさんも例外ではなかった。筆者はヒロシマ、ナガサキについておじいさんと語り合った。どうやら、戦争の話はタブーではないようだ。なら、戦争についてもこちらも質問できるはずだ。

Q”25年間ヴルガヴィン村で暮らしてたくさん戦争を見てきたと思いますが、戦争についてどう思いますか?”

”いい事がないと未来も良くなると期待できなくなる。アゼルバイジャンというか、裏でアゼルバイジャンを操るトルコが変わらない限り状況は変わらないだろう”そうおじいさんの見解を説明してくれた。お母さんと同じで裏にいるトルコが一番問題だと考えているようだ。貴重な意見だが、筆者が聞きたい話は別だ。

2020年10月19日、彼らが住んでいたナゴルノ=カラバフ のヴルガヴィン村にアゼルバイジャンの銃兵がやってきて、村は武力で制圧された。おじいさんはその時もブルガヴィン村に居た。筆者が本当に聴きたかったのはその話だ。銃兵がやってきて、具体的に何があったのか。

Q”10月19日アゼルバイジャンの銃兵がヴルガヴィン村にやって来て、村を武力制圧した日。一体具体的に何があったのですか?”

、、、、、筆者のその質問におじいさんは明らかに困った顔をして言葉を詰まらせていた。、、、まずい、やってしまった、、、、。思い出すのが辛いことを聞いてしまったのだ。冷静に考えたら、そりゃそうだろう。大事な故郷がアゼルバイジャン軍に征服された日のことなんて思い出したいはずもない。、、、俺は馬鹿だ、、、。もういい、もう十分だろう、、、。もうこれ以上は、、、。

”、、、辛いことを思い出させてしまい、ごめんなさい。もう大丈夫です。インタビューはもう終わりにします。”そう俺は告げてインタビューを終了させた。このインタビューでおじいさんが難民の人たちが嫌な思いをするだけならそんなものに価値などない。俺は一体何をしているんだろうか、、、。

DSC06204のコピー

その後も3人は何事もなかったかのようにお茶を飲みながら笑顔で談笑してくれた。優しい、本当に優しい人達だ。俺は何をしているのだろうか、、、。こんな優しい人達の心の傷をえぐるような真似を、、。

”話を聞きにきてくれてありがとう。アルメニア人の私達の気持ちを解ろうとしてくれて本当にありがとう。”最後にお母さんは笑顔でそう言ってくれた。、、ありがとう、いやごめんなさいトラウマを抉ってしまってと言わなければいけないのは俺の方だろうに、、、。”パカパカ(バイバイ)”とおじいさんも優しい笑顔で別れ際も笑顔で手を振ってくれた。俺は、、、、

インタビュー後彼らの家を出ると通訳は語り出した。”あのおじいさんの奥さんは昔物理の先生をしていた。だから、彼は奥さんの意思を引き継いだの。”そう通訳は言った。意味がわからない。”、、、?どういう、、意味?”俺は通訳に問い返した。

おじいさんの最愛の妻はヴルガヴィン村で物理の教師をしていた。しかし、4〜5年前におじいさんの妻は亡くなった。ヴルガヴィン村には物理を教えられる先生がいなくなった。そこで、物理を教える事ができるおじいさんが子供達に物理を教える先生になったのだ。亡くなった妻の意思を引き継ぎ。そんな、最愛の人との思い出もお墓も全て今はもう戻れないヴルガヴィン村にある。

”だから、おじいさんは教師に何故なったのか?という質問と村を奪われたときの様子を聞いた質問で動揺していたの。愛する人のお墓も今はアゼルバイジャンの手の中にあるから。”そう通訳は説明してくれた。

おじいさんは最愛の人の意思を継ぎ、子供達に物理を教え、子供達の未来に貢献した。おじいさん、おじいさんの妻、お母さんの教えた子供達や平和を願う娘さんが、おじいさん、おじいさんの妻、お母さんの望み通り明るい未来を生きることを心から願う。

”俺の質問は彼らを傷つけたよな?”俺は今回のインタビューでしかしたら彼らを傷つけただけなのかもしれないと思っていた。だから、その疑問を通訳にぶつけた。”問題ないわ、、私達は強くなれたから、、、。”通訳はそう口にした。意味がわからない。”どういう意味だ?”俺も思わずそう疑問を口にした。”私達難民はとても辛い経験をしたわ。たくさんのものを失った。でも、乗り越えて強くなれた。困難は人を強くする。戦争の悲惨さはもちろん、そんな私達の姿をたくさんの人に知って欲しい。だから彼女は貴方にありがとうって言ったんじゃないの?”通訳はそう語った。

、、、、あの日トルコの国境でシリア難民の人たちやクルド人の人達、アルメニア人と出会ってから何か俺もしたかった。でも、無力な俺にできることなどあるはずもなかった。この問題に関わるなら生半可な覚悟で関わる気は最初からなかったが、この時思った。俺にできることは話を聞くことだけだ、ならばとことんやってやると。

いいなと思ったら応援しよう!