ありふれた日常に起こる非日常

「ピピッ」目覚まし時計が鳴った。
今起きれば清々しいゆとりのある朝が送れるとわかってるのに、布団でゴロゴロしてしまう。

指を動かしたり、足を曲げ伸ばししたりする。
寝起きの身体がとても固まっていることに気づく。

なんとか身体を起こして、朝ごはんの準備にかかる。

いつもは、大抵子ども2人ともおにぎり。
息子はそれにプラスして、ピルクルとヨーグルト。
あまり朝は食べないのは私に似たんだろうと思う。

今日は、炊飯器に炊いた米がなかった。
冷凍してあるおにぎりはあるけれど、

珍しくピザ用のチーズがあったから、
2人ともピザトーストにしよう。

とトースターで焼きはじめると、「ザザー」と音がした。
パパが息子の朝食として、コーンフレークを用意してくれたらしい。

なるほど。ピザトーストは、娘と私の分だと思ったわけだ。たしかに、私は娘には「トーストにチーズのせたやつでいい?」と聞いたけど、息子には聞かなかった。

普段おにぎりばかりの息子が、パンを食べるかは分からない。ひと言聞けば、パパも「息子の分」と認識しただろう。土日の朝は私はいないから、パパが用意してくれることも多い。最近朝にコーンフレーク食べることもあるのかと気づく。

「いれてくれたんだ。息子の分もピザトースト作っちゃった」というと、「まだ袋に戻せるよ」と1歩引いてくれる。

「いいよいいよ。せっかく入れてくれたんだし、パンは私の分にするよ」

なんてやり取りの間、息子はまだリビングの座椅子で寝息を立てている。
娘は、スマホで夢中になって小説を読んでいる。

パパはいつものようにコーヒーをいれてくれた。

2人のご飯が終わってそれぞれの時間に送り出して、今日は休日。とほっとひと息いれようとしたときに、目についてしまった。

「娘の上履きが…ある。」
今日は、月曜日。綺麗に洗った上履きを上履きケースにいれ、忘れないように通学カバンの上に見えるように置いておいたはずの、上履きが、
まだ家にある。

時刻は7時50分。中学校の門は8時に開く。

片道歩けば50分の山ありコース。車で行けば10分はかからない。

今行けば、数分困るだけで間に合う!
こういう時にいつも頼ってしまうパパは今日に限ってもう家を出るところだった。

私が行く…しかないのか。車に乗りこむ。

中学校に忘れものを届けたことなんてない。
そもそも、どうやって届ける?
パパは職員室に持っていけばというけれど、
私も緊張するし娘も恥ずかしいのでは。

かといって、今日1日、週のはじめからスリッパで過ごす娘もなんだか可哀想。私なら一気にやる気を失う。みんなに「どうしたの?」と言われるのも照れくさい。

通学中の娘か、知ってる友達に会えたら渡せるんだけどな…なんて甘いことを考えたけれど、
みんな同じ格好すぎて、区別がつかない。

娘に直接渡すのは諦めて、車が通れるはずの正門に向かっていたはずが、通学路でポールで道が塞がれており車が通れないとわかる。

学生たちが「なんでこんなところに車が?」という目で見てるような気がしなくもない。焦ってパニクりながら、無理やり元の道に戻る。

やっと、車の通れる正門から入ったが、今度はどこに車を停めていいのかわからない。
この砂利のところに停めていいのか、もう少し先まで進んでいいのか。先に進んでしまっても、Uターンできるのか。

普段行き慣れてないとはいえ、少なくとも2.3回はきているはずなのに、全く覚えていない。

もう少し進んでしまおうと思ったところに、
砂利に停める車をみかけてそれに従う。

他からみたら行きかけた車がバックして砂利に停めようとしてるのだ。怪しすぎる。

結局、職員室に持っていこうと車を出て校舎に向かうと、その少し奥を学生たちが歩いてる。
この中に娘がいてもおかしくない。

職員室に入る決断ができずに、上履きケースを持ったまま少し彷徨く。

「どうしました?」とにこやかな男の人が近づいてきた。多分校長先生だ。

「忘れ物でこれを1-2組の〇〇に届けたいんですが」「あぁ、〇〇さんですね。わかりました」

と、上履きを受け取ってくれた。
ミッション完了。

だが、このあと、校長先生もしくは、他の先生から「1-2の〇〇さん」と呼ばれて上履きを渡される娘を想像すると、本当にこれでよかったのか?

先生や周囲に公にされるくらいなら、靴下もしくはスリッパで1日を過ごし、聞いてくる子にだけ「忘れちゃった」と言う方が娘にとってよかったのではないか?

今日帰ってきて娘の感想を聞くまで、緊張が続く。

いっそのこと、忘れ物に気がつかずにいて、
「今日上履き忘れちゃったんだー」という娘の苦労と笑い話を一緒に笑うくらいのほうがよかったのかもしれない。

…とはいえ、気がついてしまったものを、見て見ぬふりもできなかったな。

とにかく全力をつくした。うん。そう思おう。
また忘れる可能性はあるから、次に同じことが起きた時にどうしたいかを聞いておこう。

このように、単に「忘れものを届ける」というだけでも、私の中では非日常の世界になる。

そして、それは子供がいると突然やってくる。
熱を出した、怪我をした、お友達とトラブった。

その度に母は、頭を悩ませ何かしらの決断をする。

悩みながらも、悪戦苦闘しながらも、
子供のためにと振り回される自分が
嫌いではないと気づく。

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