私の長所は「できない」事かもしれない。
「あなたの長所は、なんですか?」
という記事を読んで、私の長所って何かを考えてみる。
私は自分のことが好きなほうだと思うし、
私のことを好いてくれてる家族も仲間も
いてくれてるなぁとは思ってる。
だけども、「なんで好いてくれるのだろう」は、
分からない。
私は、話が上手なわけでも、穏やかなわけでもない。一緒にいて不機嫌を見せないところは、がんばってるかもしれないけど、言ってることと、やってる事が食い違っていたり、いきなり何かをはじめたりする。
明るいわけでもなく、暗すぎるわけでもない。
料理が得意なわけでも、掃除や収納ができるわけでもない。裁縫もできないし、地図も読めない。
仕事も要領よく何でもこなせるタイプでもない。
‥と、色々と「できない」事ならいくつでも思いつくなぁと、我ながら感心した。
そしてふと、考えた。
私の長所は「できない。」なんじゃないかと。
できないからこそ、他の人の「できない」や、
「困った」に共感できて、
できないからこそ、「できる」人にいろいろ聴きたくて興味がわいて
できないからこそ、たくさん本を読んだり、
ネットでいい方法を探してみたりして、
できないからこそ、ちょっとだけ、出来るようになるために努力したり工夫したりして
そんな「できない」話で、仲間と分かちあったり盛り上がったりしてるのかもしれない。
例えば料理。
料理は、丸こげになるところから始まった。
卵焼きも丸こげ、ハンバーグもボロボロ。
野菜の皮もまともに剥けない。
サラダを作っても、野菜炒めを作っても、
なぜか水っぽい。煮物は味がぼける。
そうそう。「できない」癖に私は
「こうでありたい」という理想が高いのだった。
できないけど、美味しいものが食べたい。
だけれども、何度やってもレシピを読みこなすことも、レシピ通りに作ることもできないのだった。
(見ててもなんか手順が抜けちゃうんですよね。焼き加減やゆで加減もわからない)
その分、色々ジプシーをした。
たくさん図書館で色んな本を借りたりした。
特にクックパッド。
レシピどおりにはいかないけど、
それでも自分や家族のおいしいをもらえた
気に入ったレシピだけとっておいて、
また他のものをチャレンジ。
それだけジプシーしてると
なんとなく自分や家族が好むものがわかってきた。
とにかく「昆布だし」など、インスタントでいいからダシをいれる。
塩は、2ふりくらい。
先にかけて下味としてつけるか、
料理を作り終わったあとにアクセントとしてかけるか。
醤油は基本小さじ1、多くて大さじ1
甘味はみりん、あとは料理酒でバランスとる
醤油が合わなそうな料理は白だしが娘の好み
‥と、とにかく「素材の味が生きる」ほうが、
子供や私の好みなので、
それを守れば材料はなんだって「切って」
煮るか焼くだけ。
「焼き加減」は未だに苦手だけど
悩んだら弱火にすればなんとかなることがわかった。
どうしてもうまくいかないハンバーグは、
温度が一定なホットプレートでたくさん焼くことに。
煮物は、炊飯器におまかせ。
それで我が家の夕飯は事足りる。
家族の「おいしい」がもらえる。
ただ1人、どちらかといえば味の濃いものや、こってりなものが好きなパパ。
パパの為のものは、たまにお惣菜を買ったり、揚げ物をしたり、パパに料理を作ってもらったり。(パパはレシピ通りに作るのがとても上手です。)
できない分、作ってもらえて、レシピどおりのおいしいものが食べれるととにかく感動。
しあわせ。
料理は、食べ物にならないくらい出来ないところからはじまって、今は「得意」とは言えないけど作れる人にはなったかなと思う。
それでも誰かが「焦がした」話をしてたら、
「オムライスするはずが卵のそぼろになってしまった」話で盛り上がれる。
出来ない人の気持ちがわかる。
子育ても掃除も、誰かが「出来ない」話になったときに、理論や正論ではなくて
「わたしも!」と一緒に共感して盛り上がれる。
出来ない人の気持ちがわかる。
「出来ないから出来ない人の気持ちがわかる」
それが、私の長所なんじゃないかなぁと思った。