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厳格なルールは子どもの思考を奪う。ゆるいルール設定(条件に合わせる)の重要性

こんにちは。学です。


あなたは子どもと関わるときにルールを設定していますか?
たくさんの人がくらす社会では、人と人が円滑に生活するためにたくさんのルールがあります。
どんな経緯を経たルールにしろ、人がより楽しく暮らせるようにできたものです。


一方で、社会を円滑にするために、より楽しく暮らすために作られたはずのルールが息苦しいものになることもあります。


今日は公園で起こった出来事から、子どもと関わるときのルールについて考えてみたいと思います。



公園での出来事


私が二人の子どもをつれて、ある公園に遊びにいったときのこと。
(よく行く公園なので、子どもたちは遊び慣れている場所です)


その日は、いつもよりもたくさんの子が遊んでいました。
といっても、滑り台や吊り橋などが一体型になった遊具に小さい子が5~6人という感じです。(適度な感覚をもちながら遊べる感じ)


我が子が滑り台を下から逆に登っていて、それをみて一人の保護者がこちらにわかるように舌打ちをしてきました。
(念の為つたえておくと、そのとき滑り台には誰もおらず、我が子が一人であそんでいる状況です)



うちの子に舌打ちしたのかな?と最初は少し様子をみていたのですが
同じように子どもが遊ぶと舌打ちをしてきます。



すると、おそらく舌打ちしている保護者の子どもが滑り台をすべろうと滑るところに歩いてきました。我が子はそのときも滑り台を登っている真っ最中
。そこで、お友達が滑ろうとしているから降りようね!と子どもに声をかけて、下まで誘導したのですが、そこでも舌打ち&睨みをされてしまい、、その公園を後にしました。



舌打ちしていた保護者の感情


おそらく、滑り台は上からすべるものというルールを守っていない親(私)に腹をたてていたと思います。


それ以外の行動で舌打ちをされる場面はありませんでしたので、、


(念の為、、、、
ルールを守っていない!といって人にイラっとする考え方があるのも承知していますし、いろんな考え方があるのでその人を否定したいわけでは決してありません。)



公園のルールと子どもの思考を育てること


さて、そんな状況があったらあなたはどうしますか。


私は公園は、子どもが自由に遊んでいい場所だと思っています。
いろんなことに興味をもって、考えて表現する場が公園です(もちろん公園に限りませんが、本日は公園での話題なので、、、)。


滑り台を逆から登っても、滑り台の側面をうんていみたいに手だけで登っても(どんだけ握力あんの!?って思いますが、小学生らしき子がそうやっていたので笑)
自由だと思います。


一方で、公園はみんなで使う場所なので周りの人が安全に使えるように、自分を抑える(ゆづりあう)ことも必要ですよね。


そのために保護者は、周りの安全に配慮しながら、自分の子が可能なかぎり遊びの中で自由に表現できるのを保証してあげる手伝いをするものだと思っています。


(小学生くらいになると経験と知識、発達(周りから自分がどうみられているかを考える)などから自分でいい塩梅であそぶことができます。もちろん個人差はあれど、、)



今回のケースでいくと


滑り台=階段から登って上から滑って遊ぶもの

ということが舌打ちしていた保護者のルールだと思うのですが、このように厳格なルールを設定することで何が起こるかというと


「滑り台は上から滑って遊ぶもの」という考え方に固執してしまうことになります。滑り台はこういうもの!と思っていると、いつしか疑問も持たなくなります。むしろ、逆から登っている人をみて、あの人はルール違反だ!と思うようになってしまいます。


それでいいのでしょうか。


私はそう思いません。滑り台は上から滑ろうとする人がいて、逆走している(下から登っている)子がいたら
「上の人優先だよ」と声をかけて(我が家のルールです)、下りることを促します。


でも、誰もいなければいろんな遊び方で表現しても良いのではないでしょうか。もちろん、これは大怪我しそうだ!とおもったことは止めたり、他の案を提示することもあります。別の遊びに誘導することもあります。



けれど、絶対的なルールを敷くことで子どもの自由な発想や行動を制限することは思考を狭めてしまうと思うのです。
保護者が見守る範囲の中で、たくさん考えて表現できるのは小さい子どもたちの特権ですし、とても大切な要素です。


だからこそ、厳しいルールで縛るのではなく、ゆるいルールの中で思考する余地を残して、考えながら遊べる環境にしたいと思うのです。

今回のケースでは

厳しいルール=滑り台は絶対に上から滑るもの

ゆるいルール=上の人優先(滑ろうとする人がいたらその人を優先する)


という形になります。


あなたはどう思いますか?


考える余地があるルールが実はたくさん潜んでいる

実は社会の中のルールは、絶対的なものもありますが(人を殺してはいけいないとか、ものを盗まないとか)、条件によって余地があるものがほとんどだと思います。


例えば、歩行者信号


基本的には青の時に渡りますが、赤信号でも急いでいて夜中の田舎道で見通しが良い場所なら渡っても良くないですか?(事故を起こさないための信号なので、信号の有無に関係なくその条件が満たされるなら)


(決して信号無視を推奨しているわけではありません)


このように条件によって、いろんなルールが実は考える余地のあるものだと思うのです。


東京とか人が多いところは余地が少なくなりそうですが、、、
(だって、どこにいても信号は守ったほうがよさそうだし、、)

ルールに対して盲目的になっているところが私たち大人にないでしょうか。



今回のケースを通して、自分の生活や社会のルールについて
考えさせられました。



ちなみに、その保護者の横にいるのが申し訳なかったので
我が家は別の公園(人が少ない)に移動して、思いっきり遊びました。
色々な遊び方で遊具を堪能していました。笑



あなたはどうおもいますか?ぜひ体験談やご感想をいただけると幸いです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



















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