郷愁のひと(タイムレンジャー第47話)
「いいか。ここにあいちまった穴だけは、いくらカネつぎ込んでも埋まらねえ。絶対にな」
自らの分厚い胸板を叩きながら、ドン・ドルネロは言う。カネだけを唯一無二の力だと信じ、カネ儲けのためには手段を択ばない男が、唯一カネでは買えないと知っているもの。それが、心に空いた穴の埋め方である。リラは本気にせずに笑っているが、ドルネロは遠い目をして呟く。
「ギエンの野郎も、埋めそこなったクチかもな……」
そしてため息とともに手に取るのは、三十世紀から持ち込まれたと思しき物騒な銃火器である。これからドルネロは、かつての仲間であるギエンを殺しに行く。ギエンの破壊への妄執が、どうやらこの二十世紀――今はもう二十一世紀か――において、大消滅を引き起こすらしいと知ったからだ。雁字搦めの三十世紀から逃れて来たドルネロにとって、この時代は大いなるシノギであり、ギエン一人の手によってみすみす破壊されるわけにはいかないのだ。万が一のことを考えて、愛人のリラや残りの圧縮冷凍された囚人たちは既に未来へ帰す手筈を整えている。もちろん用意周到なドルネロは、たかだか部下ひとりに負けるつもりなど無い。だが、今回ばかりは相手が悪かった。
かつてドルネロは、人間だったギエン青年の身体を機械に変え、ついでに少し足らないところのあった彼の頭脳をコンピュータに置き換えた。良かれと思っての行動であった。ビルの屋上にこっそり住み着く貧乏な宿無しで、ほかの人間たちにはいつも嘲られ、ちょっと暴力を受ければすぐに死にかけてしまうギエン。機械の体と頭脳はギエンの欠点を埋め、さらにドルネロと一緒にカネを稼ぐようになれば、きっと彼は幸せになれるはずだった。カネはすべてを解決してくれる。カネさえあれば、大半のことがうまくいく。ただ一つ、心の穴を除いては。
さきの台詞の通り、ドルネロはギエンに心の穴があると考えているようだ。カネを、技術を、破壊と暴力を、いくらつぎ込んでも絶対に埋まらない穴。それはきっと機械の力を得る前から、ギエンが無邪気な顔の下に隠し持っていたものだ。もしかしたら本人も、その穴の存在になど気付いていなかったのかもしれない。だが、馬鹿にされ傷つけられて、平気な人間などいようはずもないのだ。一度抉られた穴はいつまでもじくじくと残り続け、その傷口が乾くことはない。そして鋭敏なコンピュータの頭脳は、彼が好むと好まざるとにかかわらず、ギエンの深層心理を読み取り、増幅させていく。
幸か不幸かドルネロにはカネがあり、ギエンはそれを自由に使って自分の欲望を満たすことが出来た。後ろ暗い商売に暴力はつきものだ。ギエンの能力は実際、ドルネロの仕事の助けとなったのだろう。邪魔な人間を恩だけで傍に置いておくほど、ドルネロは優しくはない。「ずっと一緒に居たい」というかつての願いをいびつな形でかなえながら、ギエンはリラとともにドルネロに付き従い、はるばる二十世紀まで時間を遡行する。そして、彼の破壊衝動はこの時代で頂点に達する。
一方のドルネロにも、どうしても埋められない心の穴が存在している。
リラに「カネで買えない物」の話をしている途中、「まさか、愛とか言わないわよね?」と問われ、ドルネロは鼻で笑う。
「俺は愛想をつかして俺を捨てた母親さえ、カネで連れ戻したんだ。そんな青臭ェこと言うかよ」
この台詞からは二つの事がわかる。ひとつはドルネロの母親が彼に愛想をつかし、ドルネロを捨てたこと。もうひとつはそんな母親を、ドルネロがわざわざカネを使って連れ戻したということだ。痛めつけて留飲を下げるためにあえて探し出し、手元に置いたのだろうか? しかし、それならドルネロがカネで買ったのは「愛」ではなく「復讐」だ。「愛すらカネで買える」という、この会話の文脈には少しそぐわない気がする。
ならば、ドルネロが母親をもとめたのはやはり「愛」のためであろう。なんといっても「ファミリー」を大切にするドン・ドルネロである……というのは冗談だが、恐らく円満ではなかったのであろうかつての「家族」を、それでも取り戻せるものなら取り戻したいと思う気持ちは理解できるものである。ギエン青年を懐かしみ、後悔する様子からも、ドルネロの抱く郷愁の情、過去を懐かしんで再び手に入れたいと願う思いが垣間見える。しかし、いくら技術が発展し、時間の移動が自由に行えるようになっても、失われた過去をやり直すことはできない。遠く二十世紀まで来てもなお、彼は未だに過去の記憶を引きずり続けている。
ドルネロは非情なマフィアでありながらも、身内に対しては情に厚い、というかいっそ甘いところがある。当然、ギエンやリラに好き放題させているのも甘さの一環であり、彼なりの愛情なのだ。
そんな愛情あふれるドルネロの心にあいた穴も、やはり愛情によるものなのではなかろうか。母親という絶対的な身内からの愛ですらカネで買えると知ってしまったドルネロは、それでもなお、「愛」という得体のしれないものを欲している。だから彼は「カネを稼いでくれるドルネロが好き」というリラの正直さを愛し、「ドルネロとずっと一緒に居たいから」と命がけで自分を守ってくれたかつてのギエンの真心を愛した。しかし、二人の存在はドルネロの心の穴を埋めるまでには至らない。リラの好意はあくまでもカネあってのものだ。ギエンの人格は、ほかならぬドルネロのカネの力で変わってしまった。
ギエンとの決着をつけるため、ただ一人彼の元へ向かうドルネロ。途中ユウリによる割り込みを受けつつも、最終的に荒れた裾野で二人は向かい合う。腕の砲を破壊されて尻餅をつき、銃口を突き付けられたギエンは、「本当に私を殺すのか?」とドルネロに言い縋る。
「私は昔、お前を助けたじゃないか。忘れたか?」
忘れるはずがない。ギエンに助けられたことから始まったあの穏やかでごく短い日々は、ドルネロの人生最大の失敗と分かちがたく結びついている。本当ならばあの時死ぬはずだったギエンは、ドルネロのせいで生きながらえてしまった。そして今、ふたたび死の間際に追いやられたギエンは、みっともなくドルネロに命乞いをしている。
自分のミスには自分で始末をつけなければならない。当然、ギエンを殺すのはドルネロが自らに課した責務だ。それでも、ギエンが二人の出会いを口にしたことは、ドルネロの動揺を誘うには十分だった。かつて心の穴が埋まりかかった時の記憶は、彼に一瞬の隙を生む。
乾いた冬の空に、銃声が高く鳴り響く。
心の穴を埋めるどころか、逆にその胸へいくつもの穴をあけられて、ドルネロはひとり葉巻をふかす。ギエンの隠し持っていた銃は、過たずにドルネロの身体を貫き、致命傷を与えていた。とどめを刺さずに立ち去ったのは、最後の一服をさせてやろうという情けだろうか。
「俺としたことが、オメェを撃てなかったか」
体を起こそうとして動けずに、ドルネロは空を見上げている。結局彼は、ギエンを討ち果たすことができなかった。大消滅は起こり、この時代は壊滅するだろう。……だが、ドルネロの口ぶりは、まるで己の結果を予見していたようにも聞こえる。自分がギエンを撃てないことを、きっと最初からドルネロは分かっていた。己の甘さを彼はきちんと理解している。だからこそ、リラたちを急かして避難の手はずを整えたのだ。
駆けつけた竜也を前に何とか立ち上がったドルネロは、囚人たちの居場所を伝え、「三十世紀に連れて帰ってくれ」と頼む。圧縮冷凍された囚人たちは、リラを無事に送り返すための運賃がわりだ。
「リラ、もう一度顔見たかったぜ。オメェ、俺のおふくろにそっくりだって知ってたか……」
まばゆい光が射しこみ、ドルネロはゆっくりと瞼を閉じる。力の抜けた手から葉巻が離れ、黄緑色の血だまりに落ちる。雪の残る地面に倒れた体は、重たい、でも案外小さな音を立てた。三十世紀の恐るべき悪党、ドルネロファミリーのボス、ドン・ドルネロの最期は、あまりにも静かなものであった。
ゼニットからドルネロの訃報を聞いたリラは、険しい顔で撤退の指示を出す。大消滅から逃れるために、一刻も早く安全な場所へ避難しなければならない。
人間のすがたに変わり、重たそうなアタッシェケースを手にして、リラは部屋を立ち去ろうとする。ドアをくぐる瞬間に彼女は振り向き、口元に微笑を浮かべる。
「ドルネロ。お金抜きでも、ちょっとは好きだったわよ」
カメラ目線で優しく語り掛けるリラ。おそらくその視線の先には、ドルネロが大切にしていた住宅模型がある。高々と尖塔の聳え立つその邸宅は、いつかドルネロが建設しようとしていた夢の結晶だ。宿なしだったギエンや母親によく似たリラとともに、自分の作った立派な城で面白おかしく暮らしたいというささやかなドルネロの願い。ドルネロがリラの正直さを好んだように、リラもドルネロの素朴な夢を好ましく思っていたのだろう。
母の愛をカネで買い、母にそっくりなリラの愛をカネでつなぎ止めていたドルネロ。だが、リラの最後の微笑みで、彼の心も少しは報われたはずだ。カネに依らない好意、しばしば無償の愛と言われるその感情こそ、ドルネロの心の穴を埋めるためには不可欠なものであったからだ。