逃避、書き綴り
7/23
大学に入ってから3度目の夏。
7月下旬はレポート祭りになるのが恒例になっている。
課題が出された時点で取り組み始めればいいのに、と毎回反省しているので、今年は7月に入ってから割とすぐに計画を立てたり、本を借りたりして準備を進めていた。
ただし計画通りに進められないのがわたしという人間で、実際の達成率は6割程度にとどまる。終わっているはずだったレポートはだいたい書きかけのままだが、それでも何も手をつけていない課題が去年より減っているだけ進歩だと思いたい。
そう思わないとやってられん。
今だって本当は課題の本を読まなきゃいけないのに、そっちのけで携帯に文字を打ち込んでいるのだ。
先延ばし癖、本当によくないとは思うのだけれど、どうしても、締切の前に隕石が降ってきて地球が滅んでくれないかなという不謹慎な願いを捨てることができない。
地球が滅ぶなら大学の単位とか何にもならないからね。
でも、気持ち悪い告白をすると、わたしは自分の書いた文章を読むことが結構好きで、それは過去の自分と会う唯一の方法だと考えている。文章を読めば、その時に考えていたこと、欲しかったもの、感情、写真や映像ではわからないもので、今の自分が忘れてしまったもの、だけど間違いなく自分が発したものにもう一度出会うことができる。
タイムカプセルを開けるような気持ちに近いのかもしれない。その文章を書くために思考した自分が、確かに過去から生き続けているのだという証明をしているような感覚でもある。
レポートを書くためには何かしらを考えなければならないから、同じようにわたしが思考し、生きた証として残っていくのだと思う。浅はかな内容ばかりだとしても。
まぁね、こう考えていてもレポートは進まないし、取り組む理由は提出期限だし、文章を書くのも生きるのも簡単じゃないなぁと思います。
話題をすりかえて誤魔化している、というのは自覚済み。
腕時計の針が止まってしまったので、電池交換に行った。わたしの記憶が正しければこのシルバーの腕時計は8歳の誕生日に買ってもらったもののはずなのだけれど、その歳で腕時計を欲しがることなんてあるのか?という疑問が年々強くなっている。
こういう時に限ってわたしの文献は残っていない。ただし成長に伴ってベルトのパーツを2つ増やしたことは確かである。
貸出期限の過ぎた本1冊を返すためだけに往復3時間の通学路を辿っている。自業自得なので仕方ない。メトロを降りて地上に出ると外は眩しかった。なんで歩道の石畳を全部白くしてくれたんだろうと思います。日傘を差しても、足元が反射していてなかなか眩しい。サングラスの購入を検討して3年目になる。
敬愛する友人が留学から帰ってきました!
半年はあっという間でしたが、早く会いたいです。
前述の内容からもわかる通り、noteを書き始めたのは後々自分が読むためというのが主な理由であるが、それでもわたしの文章を読んで「いいなぁ」と思ってくれる人がいるなら、それは本当に嬉しい。いつも読んでくれてありがとう。
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