月と猫のダンス
ヨルシカLIVE2023「月と猫のダンス」の感想文です。
今更ではあるけれどアーカイブとして残します。
2023年5月11日木曜日、東京公演1日目。
ヨルシカのライブに来るのはこれで3回目になる。
開演前
早速個人的な話だが、早めに会場の国際フォーラムに着いて友人と合流し、軽くご飯でも食べようということになった。
近くのレトロな喫茶店で、ラムレーズンのパンケーキを頂いた。大変においしかった。こう言ってはなんだけど、パンケーキでもホットケーキでも、ふっくらと焼かれた小麦粉はおよそ美味しいのだ。生地にもレーズンが入っていて、贅沢なラムレーズンである。
しかし、いざ開場、というタイミングで気分が悪くなり始めた。食べすぎと緊張のせいだったと思う。思えば初めてのライブ直前のときも、ジェットコースターの上昇中みたいに心臓が浮いていた。
とにかく、公演を観られないというのが最悪の事態なので、急ぎコンビニで胃薬を買って飲み、席に座ってゆっくり呼吸をしていた。
友人には心配をかけて申し訳なかったです。
会場へ
座席は1階席の最後列で、調べてみたらステージからは52メートルの距離があるということだった。遠いけれど、ステージ上でスポットライトに照らされたイーゼルと、アップライトピアノと、家の中のような舞台セットが見えた。
会場内には、4月に発売されたばかりの音楽画集「幻燈」の第二章から、インスト楽曲が流されていた。それがまた緊張を加速させて、浮かれられない。
物語について
今回のライブは音楽画集「幻燈」に即すもので、ライブオリジナルの物語が付随する。
特設サイトでは事前にその舞台について知ることが出来た。
主人公である画家の男の元を様々な動物が訪れることから、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」のオマージュだとわかる。
ピアノソナタ「月光」がいつでも響いているのは、彼が月光を見て彼女に会いに行くことを決意したからなのだろう。
n-bunaさんが朗読をした「月光」、「前世2023」とは異なり、今回のストーリーテラーはひとりの俳優であるという。
間もなく開演の時間が来た。
開演
◆
「Written by n-buna」
の文字がスクリーンに映し出された。
ひとりの男性がやって来てイーゼルの前に座り、手を動かす。
スポットライトが当たる。
「花瓶の花が枯れていた」
ふと「チノカテ」と「左右盲」のミュージックビデオに映る部屋を思い出した。
画家は、自分の絵には何かが足りないと思い悩んでいる。
筆が思うように進まないので、息抜きにピアノを弾いてみる。
ベートーヴェンのピアノソナタ14番「月光」の、はじまりの数小節だけを繰り返す。彼はこれしか弾けないのだ。
ヨルシカメンバーがステージに現れ、ギターの音が鳴り始めた。
1. ブレーメン
ドラムがビートを刻んで、1曲目の正体が明らかになる。
イントロから「この夜の~~~」のビブラートがよかった。suisさんって歌が上手…。
動物たちが歩いていくアニメーションが流れる。
「あっはっはっは~!」で声を出そうか迷って、情けなく屈した。まだ若干不調であったので、かろうじて口の中で笑いを転がした。いつか、聴衆で彼らのことを笑ってやるライブがあればいいなと思う。
楽しい曲だ!
2. 又三郎
幻燈イチのロックナンバー、前半に来るとは予想していたけれど、いざ本当に来るとテンションが上がって仕方がないという感じ!!
ギターは吹きすさぶ嵐のよう。サビになって張られた歌声とバンドサウンドの音圧が会場を圧倒していました。
この曲の2番Bメロはベースが縦横無尽になるスーパーキタニタイムです。皆聴いたらいい。
映像が素敵だった。少年たち~!
ラスサビの入り、「吹けよ、あーお!あ!ら!し!」で青い照明がバチバチバチッとスパークして最高だった。ここを見るためにライブに来たと言っても過言ではない。
◆
画家は、かつての恋人に自分の絵を「写真のよう」だと言われたことを気にしていた。
スランプは続いていて、今日もピアノを弾くことにする。
「月光」の冒頭を繰り返していると、ふと窓の外でカナリアが鳴いている。窓を開けてみれば、カナリアはピアノの上へやってきた。
対峙しながらピアノの鍵盤を押すと、音に合わせてカナリアはゆっくりと羽を動かす。
わたしたちは俳優の動きを通して、カナリアの羽の動きを見ている。
画家はスケッチブックを取り出して、絵を描き始めた。
描き終えると、いつのまにかカナリアはいなくなっていた。海を見つめる。
3. 老人と海
想像力という重力からの離脱を切望する歌である。
suisさんのまっすぐな声は水平線の果てまで届くのだろうと思う。
最後のサビの前の「あぁ」というため息が素晴らしかった。
波の音が響いて、眼前に海が広がっている。
彼は海を見て何を思ったのだろうか。
4. さよならモルテン
この曲のかわいらしさを何という言葉で言い表せよう。
ギターのフレーズの可愛さ、4度下行に半音を挟むベースの可愛さ、「モルテン」という発音の可愛さ、男性陣のコーラス、空飛ぶガチョウ、こちらも思わずにっこり。
幼年時代の空への憧れって、なんだか尊いものがある。
重力からの離脱を目指そうとするところに、「老人と海」との親和性があると思った。
◆
画家は絵を描くとき、いつも脳裏に浮かぶ景色を出力している。それはまるで前世の…。
「月光」を弾いていると、今度はカエルがやってきた。
カエルもいつかのカナリアのように、ピアノの音に合わせて身体を動かす。
画家はそれを見て、スケッチブックを取り出す。
また今度はピアノの上にカメレオンがいる。
再び「月光」を弾けば、カメレオンはピアノの音に合わせて尻尾を動かした。
画家は不思議に思いながらも、スケッチを始める。
ふと気が付くと、カメレオンはもういない。
5. 都落ち
「あなたは」のブレイクが最高。
すいさんがライブでも咳ばらいをしてくれてよかったです。
サビ前のギターのはらりはらりとしたフレーズと、サビ終わりの「僕は」のフェイクが、桜を思わせるようで好きだ。
穏やかであると思う。ギターの音が高く鳴っていて印象的だった。
6. パドドゥ
明るい曲が続いている。
Aメロからサビにかけて、一気に畳みかけられるのが好きだ。リズムの食うところで一緒にノれて楽しかった!
映像もよかった。青空の下でくるくると踊るふたり。さながら「パドドゥ」の絵の再現である。
このあたりから「踊る」ということは何の比喩なのだろうかと考え始めて、上の空になりかける。
7. チノカテ
ライブバージョンの入りで、はっちゃんさんのエレピソロからチノカテへ。
チノカテの情景はどうしようもなく夕日と窓際と花瓶の枯れた花なのですけれど、照明が「あ、夕日」に合わせて夕焼け色になって、映像も窓際を写し出していて、とてもよかった。
歌詞が優しい。上の空でした。
◆
画家の家に、今度はウサギがやってきた。
ピアノで「月光」を弾けば、ウサギは身体を動かす。
画家はそれをスケッチする。
気が付けばウサギはいなくなっていた。
8. 月に吠える
画家の咳払いを合図に、照明が変わって夜の曲が始まった。
(俳優さんは身振りをしていただけで、咳払いはn-bunaさんだったらしい)
チノカテの後に聞くと、suisさんの表現力の幅広さが一層よくわかる。感情が凍ってしまったような声色なのに、喜怒哀楽があるのだ。
リズムが好きなんだ。修行でもしているかのようなタイトさ! 32ビートを感じる。
Cメロで溶けていくように半音階を下っていくところも好きだ。
重たいベースだとか、ハンドベルみたいな音色の鍵盤だとか、揺れるギターというような、音がいい。
9. 451
n-buna、歌う――――。
ひとりライトの下に進み出て、スタンドマイクを握って歌い出したのを見て、思わず両手で顔を覆いかけちゃった。
ハスキーな声とカットに癖のある歌い方だった。
遠目ながら、赤い照明の中で、身体と一緒に髪が揺れているのを見た。
どぅるコーラスを誰がやっているのか見そびれました。
「妬けるほど愛して!」
ずるいですよね。これでライブの主役がこの曲になったわけだ!
彼の心の中に少しでも歌のような炎が本当にあるのだとしたら、それは苦しいことなのではないだろうか、ということを大変勝手に考えている。
◆
画家は元恋人と電話をしている。
俳優は体の向きを変えつつ、2人の会話を表現していた。
たびたび現れる動物たちと、「セロ弾きのゴーシュ」の話をしている。
「あなた、変わっちゃったわね」
電話を切ってから、画家は「よくある平凡な別れ」について考える。
10. いさな
「左右盲」が来ると思っていた。だってフリが左右盲じゃん……。
白鯨に喩えた別れの歌。
美しいと思った。
照明がとても良かった。わたしたちの頭上に青い水面があって、その向こうから月光の差すのが見えた。
僕らは海の底にいる、という言葉を思い出す。
11. 雪国
ライブで演奏するにはあまりにも繊細な曲だから、この曲が始まったことに気が付いた脳が痺れて呼吸を忘れた。
列車の窓に雪景色が映って走っている。
あのリムショットの音、どうやって出しているんだろう。
一拍ごとに緊張感があった。呼吸を忘れていた。不調も忘れた。
「冷え切った関係を雪国に喩えて」といいながら、春が来て雪が溶ければ愛も解けるのだというので、悲しいことだ。
◆
画家の家にはフクロウが来て、羽虫が来て、鹿が来た。
鹿のくだりが好きすぎた。
「し、しかぁ?」と三度見直す画家。鹿がいます。
時間が変わって、画家は再び元恋人と電話をしている。
動物の絵を送ったところ、プロモーターである彼女に展示会をやらないかと誘われたのだ。
連作の1枚目は人間にするというが、そのモデルは一体誰なのか……?
文脈では元恋人らしくなるけれど、そうだったら最悪だなと思うし、そうではないだろう。
第五夜
「梟男」の絵を冠する楽曲。
第二章の中でも好きな曲だったので、まさかのセットリストに嬉しい驚きがあった。
揺蕩うようなギターと人間味の無い空虚5度を繰り返すピアノの幻想的な空間が生まれる。
「夢の中で踊り出す男」というキャプションを信じるのであれば、この曲は無意識の状態を表しているということになる。
劇のパートで画家が「1枚目」のモデルについて話したあと、無意識に沈んでいくような流れである。
思い付きだけれど、なんだか魂の記憶に誰かを探しにいくような情景が見える気がする。
「踊る」ってなんだろう。
和音は静かに止まった。
12. 夏の肖像
はっちゃんさんののりのりのスナップから始まる。
「幻燈」の1曲目がここに来るのか!
シンプルなようでギターもベースもピアノも遊びがあって楽しい曲である。
「忘れるたびに増やすことが悲しいのでしょう」
「忘れることが苦しい、それも正しいのでしょう」
「あの日の空を思う胸が苦しいのでしょう」
の部分が好きだ! 歌詞もメロディーも楽器も。
ラスサビの入りがいいんですよね。りんみたいな澄んだ金属音が陽炎を打ち払うようなイメージがある。(音源だけど)(いつかパーカッショニストをいれてくれ)
「ああ僕らずっと一つじゃないの」は「ただ君に晴れ」への解答だろうかと思う。
第五夜の流れで解釈すると、「だからもっと踊るように」「その後ろ姿もしぐれてゆくか」という歌詞が気になってくる。
後奏は陽炎のようにフェードアウトしていく。
13. 靴の花火
間奏にキーボードが加わって、少し華やかになった幻燈バージョンの「靴の花火」。
やっぱり上昇する感じがある。成仏もひとつの離別だろうか。
まっすぐな声は頸動脈のところに響いて、涙腺が刺激される心地がした。
◆
画家のところに色々な動物が訪れるものだから、大家から「えさを与えているのではないか」と注意の電話が入った。
生きづらい時代になったよな。
ある夜、画家がいつものようにピアノを弾いていると、黒猫が現れた。
画家は独り言を零す。
黒猫は瞳をこちらに向けている。
その目を見て、画家は何かを思い出しそうになった。
画家が涙を流すと、猫は画家にキスをするように顔を近づけて、それきり去ってしまった。
14. 左右盲
前世をほのめかした後にこの曲をやるな!!!!と思う。切なくなっちゃうだろ!
左右が分からなくなるように、うまく思い出せない。記憶の靄を掴もうとする曲だと思う。
「幸福な王子」視点の歌詞が切ない。
「君に渡して、その全部をあげるから」
「ずっと一つだと思ってたんだ」も「ただ君に晴れ」を受けているみたい。寂しい。
15. アルジャーノン
泣きました。
正直、この曲のことを舐めていた。
自分で小説を読んだというのもあるのかもしれない。
アルジャーノンとは、「アルジャーノンに花束を」における主人公にとっての永遠の友人の名前である。
照明が星空みたいになって、きらきらとしていた。
この景色が今限りで終わってしまうことを考えていた。
◆
展示会の始まる日、画家は10枚の絵を並べて挨拶をする。
これは私の家にやってきた、不思議な動物たちの様子を描いた連作画です。
彼らは夜半過ぎになると私のピアノの前に座り、奇妙な踊りを踊ります。
それには不可思議な魅力が溢れているのです。
私はその様子から着想を得た10枚の連作画を描きました。
どうぞ、お楽しみいただけると幸いです。
画家に声を掛ける人がいた。元恋人である。
彼女の左手の薬指についた指輪から目を離せない画家。
元恋人は彼の絵を褒めていた。「踊る動物」の絵以外に、「前世の景色」を描いたものも含めてのことだ。作品に面白みが無くても、誰かにとっては価値のあるものなのだという。
画家がその言葉に感心していると、彼女は「あなたの言葉よ。忘れちゃったの?」と言う。
画家は家に戻ってから、踊る動物たちと、猫のことを思い出す。
彼らは本当に踊っていたのか?
もしかしたら、このピアノが弾きたかったんじゃないのか。
「…奇妙な踊り、か。」
画家は再び「月光」を弾きはじめる。
動物たちの奇妙な踊りを真似しながら。
もやもや
素晴らしいLIVEでしたが、これだけ書いているともやりとしている部分もあります。主に疑問点と、少し気に入らないところです。
物語について。
エイミーとエルマの魂の話をずっとしているということには間違いないはずだが、今回はどれが誰なのだろう。伏線はたくさんあったはずだ。
画家と動物たちを2人と見るのであれば、動物は毎回寿命を全うし、生まれ直して画家の元へ足を運んでいたということになる。まじか……。
元恋人もなんなんだろう。全然わからない。
そして「第一夜」に描かれた女性は誰なのか。
「会いに行かなければ」という潜在意識が作り出した偶像だったらいいな。
時間軸もわからない。「前世」と「盗作」との兼ね合いも確定させられないだろうし……。
もやもやです。
ひとつの線で結べないまま、色々な可能性を包含していてもいいかな、とか思います。
セットリストと物語について。
今回、曲順と物語の展開は必ずしも一致していないし、特にラストは乖離していたように思う。それは少し残念なところだった。
コンセプトアルバムとして確立された「だから僕は音楽を辞めた」以降の楽曲は、物語の人物の心情を直接的に吐露させるものであった。
「月と猫のダンス」のストーリーは、主に「幻燈」の第二章「踊る動物」の制作を物語るものであり、第一章「夏の肖像」については「前世の風景」として一括りにしている。しかし、セットリストは「夏の肖像」の楽曲で構成されている。
そういうところからセットリストと物語に違和感を抱いたのだと思うが、逆にいえば、これは「幻燈」の特異性でもある。
「夏の肖像」はあるひとつの生の物語を描いたものではない。
その点では、「夏草が邪魔をする」の構成に似ている。
「夏の肖像」が画家が持つ前世の記憶を写したものなのだとわかれば、その後に「第一夜」があることの意味も少しわかる気がする。
踊るということ
人は歩き、変化し、忘却する。
これはもう最近(最初からかも)のヨルシカがずっと言っていることで、「アルジャーノン」や「左右盲」「チノカテ」などの楽曲や、「こんなにも美しかった夜のことを忘れてしまうのだろうか」という言葉からわかることである。劇中でも、「変わっちゃったわね」とか「変わらないわね」と言っていたのを覚えている。
不変のものはない。だから、目の前のものが尊い。
「踊る」というのは、目の前のものを一番に愛する行為なのではないか、と思う。
つまりは忘れることへのささやかな抵抗である。
結局、動物たちの「奇妙な踊り」は踊りではなく、ピアノを弾こうとしていた様子かもしれないということになったけれど。
2人で踊ることと、2人でピアノを弾くこととに、本質的に何の違いがあるだろうか。
願わくば、ずっと2人が幸せに踊り続けてくれたらいいな。
と、あの映像を思い出す。
ライブから3か月近くが経って、そんな風に考えていました。
ヨルシカのこれからの作品もとても楽しみです。
ありがとうございました。