セックスとジェンダーについて

フェミニストかそうでないかと言われれば、私はフェミニストである。

私は両親と祖父母と弟二人の二世帯住宅で育った。明治生まれの祖父と大正生まれの祖母、そして昭和ど真ん中に生まれた両親と、ゆとり世代の私と長男、平成生まれの次男と、価値観も世の中のスピードも、何もかもが違う世代の人々の集合体の中で暮らしていた。

多様性が大切だということに異論はないが、年長者は敬われて当然という祖父母の価値観と、それに反論できずに右往左往する両親の間で育ったことは、どんなに好意的に考えても、不幸だったと思う。

特に、祖母の長男贔屓と男尊女卑は常軌を逸していた。野菜嫌いな長男が野菜を食べられるようにと母がどんなに工夫しても、祖母は長男が大好きな肉だけを食べられるようにと、毎回肉野菜炒めの中から肉だけを選別し、ハンバーグに潜ませたニンジンやピーマンを取り除くなど、母が丹精込めて作った料理をぐちゃぐちゃにしながら、長男の取り皿へひたすら肉を運び続けていた。そんな光景を目にする度に、激しい嫌悪感と共に、早く祖母と長男が〇ぬようにと願っていた。

そもそも、両親から聞いた私が生まれた日の最初の話が、母方の祖父が「男じゃなかったのか……」とがっかりしていたという話だった。母方の祖父母はなかなか男の子に恵まれず、念願の跡継ぎが生まれるまで、合計9人の子作りに励んだ強者だった。そのため母の生家は裕福とは言えず、結納の席で母とその両親は、父方の祖母から「物乞いに来たのか」と言われたそうだ。

そんな事情から、母方の祖父は、長男を早く産まなければ、母が肩身の狭い思いをするに違いないと案じていたのだと思う。けれど、「男の子じゃなかった」とがっかりされたのだという話は、幼い私の心を傷つけるには十分すぎる言葉だった。

その後私は、男の子以上に活発な、おてんば娘へと成長した。両親や祖父母、叔父、叔母もみんな、「さっちゃんはおちんちんをお母さんのお腹に忘れてきちゃったのね」と言うほどやんちゃな少女時代を過ごしていた。本当はハローキティが大好きで、フリフリの靴下や、かわいいスカートやワンピースが大好きだったのに、いつでもTシャツと短パン、そして、弟におさがりできるようにと母が選んだ、男の子用のスニーカーを履いて過ごしていたのを覚えている。

そんな生活の中、成長するにつれて、「女はどうせ男のサポート役に回るのだから、成績なんて関係ない」だとか、「女は妊娠したら人生終わりだから、外泊や夜遊びなど認められない」という理由で、弟たちには許されている行為が、私に対してだけ制限されるようになった。

「子どもは女一人だけで作れるの?男の人がいるからできるのでしょう?ならば、女の人を妊娠させる原因になるかもしれない弟たちだって、私と同じように制限されるべきだ!」何度も何度も、そう訴えた。けれど、「息子たちはそんな子じゃないから大丈夫。だけど、あなたの身に何かあったら困るから」両親はそう言って私の行動だけを制限したのだった。

「だったら、自分の身を守るために武術や護身術を習わせてほしい」そう訴えても、「強い女は結婚できない」と言われて却下された。

女に生まれたということだけで、私の人生は制限され、とてもつまらないものになっている。そして迎えた初潮、初めてナプキンを当てたその時、なぜ赤ん坊のおむつのようなものを当てて過ごさねばならないのだろうと、屈辱的な気持ちになったことを鮮明に覚えている。(ちなみに母は、私に初潮が訪れたことを知り、大きなため息をついた後、自身のナプキンをしまってある場所を私に教え、その後私が20代後半に差し掛かるまで、生理の話をすることはなかった。)

こうした経験からか、私はいつも「男の子に生まれたかった」と、そう思いながら成長した。男の子だったら、こんなに行動を制限されなかったのに、男の子だったら、自分の意見を言っても生意気だとか可愛げがないなどと言われなかったのに、男の子だったら、毎月訪れる生理と、その痛みに耐える必要もなかったのに、男の子だったら、お母さんのお腹におちんちんを忘れたりしなければ……。

そんなことを考えて過ごしていたからか、自然と私はLGBTQと呼ばれる人々について調べたりすることが多くなっていた。高校卒業後は、何か私自身もそのような雰囲気を出していたのか、ゲイやレズビアンの友人が自然と増えていった。彼らに対する嫌悪感などないし、自分の生まれた性別(セックス)と、性的役割(ジェンダー)の間で悩む彼らと話す時間はとても学び多い、有意義な時間だった。しかし、男性になりたいと望む一方で私は、かわいいスカートやワンピース、キャラクターや靴が大好きで、またどんなに男性に生まれたかったと願っても、恋愛対象が男性であるという事実も変わらなかった。

現在では、トランスジェンダーのゲイやレズ、(女性から男性へ性別を変えたけれど恋愛対象は男性、または男性から女性へ性別を変えたけれど恋愛対象は女性)という存在がいることも知られてきたが、私の場合、男性に生まれたかったという強い欲望はあるけれども、それは単に男性と同等に、フェアに扱ってほしいと願っているだけだった。女性としての自分の体やファッションが好きで、何より男性が大好きであるという、本来ならば女性として普通に生きられれば良かったのに、男性優位の家庭で軽んじられて育った経験から、こんな捻じれた感覚を感じるようになってしまっていたのだった。

閑話休題、実は私たち夫婦はかなりのスピード結婚で、詳細はいつか書きたいと思うが、私は初めて旦那に会った瞬間、「私はこの人と結婚する」ことを直感し、二回目に一緒に出掛けた帰りに立ち寄った居酒屋で、「結婚を前提に付き合ってほしい」と言われ、一年を待たずして入籍し、今に至っている。

30代半ばまで浮いた話とは無縁の二人だったから、結婚当初はたくさんの喧嘩をした。中でも旦那が一番心配していたことは、「実は私がレズビアンで、周囲のプレッシャーに耐えられずにカモフラージュするために結婚を決意したんじゃないか」ということだった。

男の人ならば多少は心当たりがあるかもしれないが、ゲイやレズビアンをネタにした冗談を言ったりすることがあると思う。そのたび私は旦那の無神経さを指摘し、「私にはあなたが笑いの種にしている友人がたくさんいる。彼らを否定されることは私を否定することと同じだ」と何度も主張し、そのたびに旦那に「本当はそっちなのか?」と言われ、「だったらなんであんたと子作りしてるのよ!嫌いだったり恋愛対象じゃなかったら、人工授精を提案してるわ!」と、何度も何度もそんなやり取りを繰り返してきた。

二年たった今、ようやくそんな不毛なやり取りをせずに穏やかな日々を過ごせている。今では旦那も、「私のセックス(性別)は女性です。けれどジェンダー(性的役割)はどちらでもなく、あなたと対等でいたい」そんな私の主張をきちんと理解している。

そういえば結婚当初、「フェミニストは怖いし気持ち悪い。自己中心的でなんか嫌だ」という旦那に対して、

「私はフェミニストだけど、別に女性優位な社会を作れなんて思ってない。生理があろうがなかろうが、子どもを産もうが産まないが、職場の男性と同じようにキャリアアップしたいし、そのための努力を認めて欲しい。親になったら、私だけが母親になるんじゃなくて、一緒に親になってほしい。男だから仕事する、女だから家事をするじゃなく、お互いが生きやすいように助け合えたらそれが楽じゃない?そういう夫婦になりたいし、そういう社会になってほしい。フェミニズムってそういうことだよ。男の人を否定しているわけじゃないし、バカにもしていない。むしろ、長男だから地元から離れてはいけないとか、家の跡をつぐべきだとか、そういうことからも解放しようっていう、みんながwinwinになれる考えだよ」(※旦那が田舎の長男なので、このような発言になりました)

そのような話をしたことによって我が家はすごく平和になった。特に、旦那の実家で法事などがある時、私が嫁ぐ前は、『台所は男子禁制!』のような雰囲気があったそうだが、今では旦那が私を手伝うために当たり前に台所に立っているし、義母さんも「息子が良い旦那さんをしていて嬉しい」と言ってくれているし、旦那の祖母も、「最近の男の子は嫁を大事にして偉い」と、とても良い反応をしてくれている。褒められた旦那もまんざらではないのか、ますます私を大切にしてくれているし、そんな旦那の家族だから、これからも大切にしたいと私は思っている。

つまり、セックス(生まれながらの性)やジェンダー(性的役割)で分断するのではなく、お互いに助け合い、仲良く生きていくことができれば、男性も女性も今より楽に過ごせるのではないかと思う。

私が大学でフェミニズムについて学んでいた時、指導教官が何度も口にしていたのが「絶対に仕事を辞めてはいけない。自分で生きていく力があれば、自分で人生を選択することができるから」という言葉だった。近年は収入が厳しいから共働きを……と言われることが多いが、そもそも共働きを選択する意味は収入だけが理由ではないと思う。

片方だけでもなんとか生活する力をパートナーが互いに有していれば、どちらかが何かを学ぶために一時休職や離職という選択をしても、生活を維持していくことができる。選択肢が増えるということは、人生において成功する確率が増えるということとイコールだと私は思う。片方だけが家族を支えるために働いて、そのために転職などの選択肢を失い、社畜化していくということは、メリットが少ないと私は思う。(もちろん、嫁を家に閉じ込めることに快感を覚える人を否定しないし、専業主婦を夢見ることもその人の選択だからよいと思う)。

長くなってしまったが、差別とは選択肢を制限することである。かつてアリカで黒人専用、白人専用と公共施設が分かれていたように、選択できないという状況を生み出すことが差別の始まりである。つまり、「女性だから子どもを産まなければならない。そのため休職期間が男性より多くなるから男性より出世させない」と、「女性=母親になる人生」と決めつけて、それ以外の選択肢を排除するのではなく、「男性=一家の大黒柱」とするのでもなく、夫婦によっては産休明けに奥さんがすぐ職場復帰して旦那が育休をとってもよいし、ふたりとも育休とってもよいし、どちらもすぐに復職してバリバリキャリアを積んでもいいしと、多様な選択肢に応えうる制度を作ることが大切なのではないのかと思う。

言うのは簡単、実行は難しいと指摘されることは百も承知だが、少なくとも我が家では、お互いの足りないところを補い合い、共に好きな仕事に全力で取り組み、家族に向き合って生きていきたいと考えている。

セックスとジェンダーのギャップを乗り越えるには、政治や教育はもちろんだけど、こうした家族単位の認識が大きな意味を持つのではないかと、ハイパー男尊女卑家庭でわきまえない女と叩かれて育った私は思っている。

だって、子どもが出会う一番最初の一番最小の社会は、家庭なのだから。

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