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わたしたちの身体と社会構築主義的視点

約1年前にやった授業を復習しつつまとめてみます。
解釈が間違っているところがあったらご指摘いただけると嬉しいです。

キーワード:
・ Naturalism - 自然主義
・ Social Constructionism - 社会構築主義
・ Agency - 行為主体性
・ Structure - 構造
・ Healthism

論争を呼んだProtein World社の広告

自然主義 vs 社会構築主義

身体は、その人がどんな人で、何ができるのかを示すものでもあります。
社会科学的な '身体' についての考え方として、この授業では「自然主義」と「社会構築主義」的な視点を学びました。(参考:Kirk 2002)

自然主義
・ 身体を生物学・物理学的に捉える
・ 性別や肌の色、身体の大きさがその人を表す(例:体格が良い→その人は男らしい)

社会構築主義
・人々の身体は生物学・物理学的であると同時に社会的であると考える
・ 身体についての理解は、その人々が所属する社会の中で形成される(例:社会Aでは体格の良さ=男らしさ、社会Bでは体格の良さ=裕福)

'身体' が社会的に構築されていく過程

① 人々が身体に関する知識をもつ
どのような身体が '良い' もので、どのようにその身体をつくるのかという知識をどこから得るか(SNS、医師などの専門家、家族、友人、先生など)がその人がもつ身体に対する考え方と行動に影響を与えます。

② 身体に意味が含まれる
人々が身につけた知識をもとに、社会の中で身体に意味づけがされていきます。
極端な例を挙げると
・ 鍛えられた身体 - 強い、努力家
・ 高齢者の身体 - 脆弱、非力
・ 障害のある身体 - 特殊、無能  など(個人的な意見ではありません)

このような偏った意味づけは、一定の '身体' がメディアや広告に多く使われることや、「弱い」「非力」「無能」と意味づけられた身体をもつ人の可能性を阻むことにつながります。

脆弱とは正反対なJohanna Quaasさん

③ 理想の身体をつくる - 'The body as a project'
自分の身体は 'プロジェクト' として、食事やトレーニング、整形、ヘアスタイルを変えるなど、時間をかけて自分なりにプロデュースできるということです。

身体をプロデュースしていくことは、社会の中で定着した身体に対しての意味を反映、強化、もしくはその意味に対抗することとも言えます。


Agency と Structure

このプロジェクトの過程には、AgencyとStructureという概念が関わってきます。

・ Agency (行為主体性) - 自分自身で決断を下し、行動すること
・ Structure (構造) - 出生地、慣習、宗教、お金、法律など、社会が個人の選  択や行動を制限すること

Agencyが働いた身体のプロジェクトでは、自らの意思でなりたい身体をプロデュースしていくことで、ポジティブなアイデンティティの形成や、セルフエンパワーメントに繋がります。

一方、ヘルスケアサービスやジムへのアクセス、貧困、食生活の質、性別や宗教などによる周りからの期待、スポーツ内の体重制限などは、Structureの具体例で、自由に身体をプロデュースすることが全ての人にとって可能ではないことを示します。

ここで紹介したいのが、Healthismです。
社会的なStructureの影響を考えず、個人の健康は全てその人のAgencyの問題であるという考え方です。

つまり、不健康であったり太っていることは全てその人の責任(努力不足)と決めつけ、その人が直面している社会的制限を無視した考え方です。


身体づくり、個人の健康は Agency と Structure 両方が関わっているという認識が大切です。


リスク

身体が社会の中で意味あるものとして構築されていくと、不平等や偏見を助長するリスクがあります。

例えば、「女性/男性は、、、」「太っている人は、、、」「身体に障害がある人は、、、できない」「黒人系の人は、、、に向いている」など、それぞれの身体が社会の中で何かに結び付けられているかもしれません。

また、 ’完璧’ な身体が社会によって構築されていくことで、Body-shaming(誰かの身体的特徴について侮辱や否定的な発言をすること)など差別や偏見につながることがあります。

まとめ

長くなってしまいましたがこの記事では、 ’身体’ は社会的なものであるという社会構築主義的視点についてまとめました。

授業では 'If we made it up, we can make it up differently' がキーフレーズとして出てきました。
このフレーズにはStructureの概念が含まれていない気もしますが、身体を物質的に見て1つのプロジェクトとして、自分自身によって自分自身の身体をつくるという考え方は面白いなと思いました。

なんとなく特定の身体に対してつくられたネガティブなイメージをもっていないか、 '良い' 身体でない人は努力不足なのか、何かしらのStructureがその人の身体づくりを阻んでいるのか、そもそも '良い' 身体とは。


このnoteから何か気づきや学びがありますように!


参考文献:
Kirk. D. (2002) The Social Construction of the Body in Physical Education and Sport. Sociology of Sport and Physical Education. 79-91.

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