私の愛してやまないクラシック音楽について語らせてほしい
長年クラシック音楽に携わりWebライターに転身した音楽家から見た、クラシック音楽の楽しみ方について書いてみたいと思う。
ハッキリ言って退屈⁈
コンサートホールで聴くクラシックの演奏会は、ちょっと堅苦しい、敷居いが高い、曲が長すぎて退屈、嫌いじゃないけど何から聴いたらいいのかわからない、そんな印象を持っている人も多いんじゃないかと思う。
わかるな〜、その気持ち。長年クラシック音楽の世界にいた私でさえ、正直言って窮屈さや退屈を感じることがある。客席に入る時には携帯電話の電源を切ったか、公演中に咳が出たらどうしよう、ちょっとお喋りしたいけど演奏中はひたすら我慢、パンフレットで曲目を確認したいけれど照明は消され暗くて見えない、今日の演奏はあまり楽しめなかったけれど演奏者に対して正直な感想を伝える人はほとんどいない、「素晴らしかった」とタテマエしか聞かれない。
クラッシックはその時代のロック⁈
修道院のグレゴリオ聖歌などに端を発する西洋音楽は、教会や宮廷などで発展し、やがてオペラや各国の民謡などを取り入れながら、その時代の最先端として発展してきた。私はクラシック音楽を各時代のロックのようなものだと思う。なぜならいつの時代もそれまでの様式を大きく打ち破りながら変化してきた時代の最先端という点で同じだから。時にはその斬新さゆえに聴衆の理解を全く得られずブーイングの嵐を向けられた作曲家もいただろう。ちょうど現代のハードロックやヘビメタに眉をひそめる層がいるように。
気楽に楽しんじゃいけないの?
いつの時代も作曲家たちが破壊と創造を繰り返しながら創作してきた音楽には、作曲家の喜怒哀楽、愛や理想、人生のストーリーが込められている。音楽の本質は形式ではなく、曲に込められたスピリッツだと思う。
だから聴衆はもっと自由にそのスピリットを感じて楽しんで良いと思う。知識を求めたり、難しくとらえるのではなく、好きとか嫌いとか、心地よいとか悪いとか、もっと自由に感じて欲しい。
ちょうどパリやロンドンの街角や地下鉄でバイオリンやフルートを奏でる若い音楽家たちに、通行人が気楽に投げ銭をするように。またミラノのオペラ座でチケット切りのおばちゃんが「今日の歌手はまったく良くないよ」と批判したり。はたまたオペラの終わった会場近くの居酒屋でその日の演目についてケンケンゴウゴウの議論を戦わせる町内会の話し合いでもしているかのようなおじちゃんやおばちゃんたちのように。
西洋音楽は東洋の日本人にはわからない?いやいやそんなことはないだろう。音楽は言葉や人種や文化を超えると思う。
暮らしのそばに
そんなわけで、今まであまりクラシック音楽に興味のなかったあなたに少しでもクラシック音楽の魅力を伝えられたら…あまり聴く機会がなかったあなたにその美しさを知ってもらえたら…悲しみにくれる時に少しでも癒しになるような曲をお届けできたら…私はとても嬉しい。
このnoteでもそんな楽しみを共有できたらと思い、これから少しずつ音楽についてもお話していきたいと思う。またお立ち寄りいただけたら幸いです。
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