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今日時点での、”愛”の定義。

こんばんは、今日もお疲れ様です。
一生解けないお題について、なんだか記録してみたくなったので、閉まりそうなまぶたで あくびをしながら これを書いています。

今の私が腑に落ちている”愛”の定義は二つあったりする。

愛とは、生きてほしいと強く願うこと。わかりやすいですよね。

『ぼくが発達障害だからできたこと』市川拓司

「あのね、死んでもいいよ。(~中略~) 死んじゃ駄目なんて、君のつらさがわからない私には決められない。君の人生だから。どう変わってもいいよ。君がどれだけボロボロになっても、なんにもなくなっても、君が死んだとしても、君を好きなままの私が、少なくともいるから、安心して、生きてほしい。」

『麦本三歩の好きなもの』住野よる

まとめると、「あなたがどう変わっても、私があなたをすきでいることは変わらないから、それは知っておいて。」みたいになるでしょうか。

私は、出会ってきた素敵な人たちに対して、「私はあなたがすきで、応援している」という気持ちを持っている。一方で、確固たるパーソナルスペースを確保したい人に対しては、仕事上必要なコミュニケーションは別として、基本的にはなにも思わず、私の思考や行動に影響を与えることはない。

「死んじゃ駄目」
「私より先に死なないで」
「ずっと友達だよ」
こうした言葉はとても綺麗で、

……でも、”押し付け”とも言えるのだと、住野よるさんの視点を知って衝撃だった。たしかに相手はそれを望んでいるかもしれないし、どっちが先だろうが無頓着かもしれないし、相手が自分と同じ考えとは限らない。

それでも私が市川拓司さんの定義を捨てられないのは、私の人間らしさかも。

あなたが存在してくれたらそれだけで嬉しい、と伝える自分でありたいと、思っている。独りよがりだとしても、それでも。

だから「私のわがままとも言えるし、全部聞き入れる必要はないんだけど」
と前置きした上で、「私はあなたがいることが嬉しい」と言いたい。

これからどんどん更新されていく可能性もあるけれど、2023年10月21日時点での私はこんな風に考えています。
まぶたが閉まりかけてるのでそろそろ寝ます。
良い夜を。