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「糸」という象徴。


好きな人の、ワイシャツのボタンをつけたことがある。

ボタンが取れたからつけて欲しい、
と、私に青いワイシャツを渡してきたからだ。

左手首の袖ボタン。
こんなところのボタンをつけさせてもらえちゃったら、そんなの絶対に私の想いが糸を伝ってボタンに宿ってしまって、
そこから彼の左手首から心臓まで伝わって、想いが届いてしまうんじゃないか。

そんなことを思いながら、
ひと針ひと針、糸を上に下にとくぐらせた。


ところで、糸には不思議な力がある。

「糸」がつく漢字を見てみると、
編む、繋ぐ、織る、紡ぐ、続く、綴る、
とか、
なんとも手触り感があって、あたたくて穏やかな、心地の良い永久性を感じる言葉たちが並ぶ。

「私たちの幸せは、永久の時間をかけながら、ゆっくりじっくりと、織り成し続けていくことができる。」
そんな幸せの真理のようなことが、
丸ごと信じられてしまうような温もりに包まれる。

続いていくことが信じられていると、
たとえ今この瞬間、息もまともに出来ぬような苦しい状況にあったとしても、
「きっとまた温かい太陽のもとで、清々しい自然体な呼吸ができる日がくる」と、その先の未来に想いを馳せることができるから、
まるで、確信めいた願いを持つことの権利を得ているような感覚になる。

さらには、そんな永久の時間軸において、
私たちは大きな縁の循環のなかで生かしあっていることにも気付かされる。

私たちはみんな、それぞれに違う個体で別々の人生を生きているようにも見えるのだけれど、
不思議なことに、
なぜだか気持ちや感情、取り巻く状況、さらにはライフシフトまでもが、みごとに同期していると感じることが度々起こる。

きっとそれは、
私たちがお互いに影響を受け与え合いながら、共に人生を紡ぎあっているからだと思う。

だから私は、あなたが悲しければ私も悲しいし、
それに、私に嬉しいことがあったら、あなたもきっと嬉しくなることを疑いもなく信じてる。

だからこそ私は、あなたたちを幸せにしたい。
あなたたちを幸せにするためには、まずは自分のことを幸せにしたらいいことも知ってるし、それを疑う余地もなく信じてる。

そんな循環の中で私たちは一緒に生きている。

こんなふうに綴ってみると、
「糸」はまるで、永久性と縁起性の象徴のようであると感じる。

「私たちの人生を、永久の時間のなかで一緒に織り成し続けていくこと」を
私はこれからも願い続けていきたいし、
もしもそのことを忘れてしまう日があったなら、
私の大切な人たちが、そのことを想い出させてくれると願っている。


彼の袖ボタンを縫い付けたあの日の私は、
たぶんそんなことを願いながら、しんしんと糸を刺したと思う。

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