最近の出来事と「フィンクの危機理論」

先日8月末に弟が他界しました。
「突然死」でした。

亡くなる前日に「おなかが痛い」と腹痛を訴えて、母が付き添って総合病院を受診したそうです。
採血とエコー検査して、「大丈夫」と言われて薬をもらって帰宅。
亡くなった日は朝から発熱していたので仕事を休み、昼には母の作り置きの食事をとった様子があったそう。

夕方、母が帰宅したときは彼はキッチンで”ぼーっと”立っていたそう。

その後、自室で休むと話して向かった矢先に母の目の前で倒れ、救急車を要請した母は救急救命士の指示に従って心臓マッサージ(CPR)を繰り返したそうです…30分もずっと。
その時周りにいたのは未就学児の娘だけ。私の父も私もいない最悪のタイミングでした。

その後、救急車で前日受診した場所と同じ総合病院に搬送されたものの、弟は2度と眼を覚ますことがなかった。

私自身は医療者ですが、いや、もしそうでなかったとしてもこの病院の対応には疑問がある。

当然その疑問を病院と医師にぶつけたい気持ちがあるけれど、

「今は気持ちを抑え込もう」と考えたのは、母が心配だったから。

病院に掛け合うとかとてもそんな気になれないのだと思います。

その時、ふと看護学生時代に習った
「フィンクの危機理論」を思い出しました。

①衝撃の段階:強烈な不安、パニック、無力状態
②防御的退行の段階:無関心、現実逃避、否認、抑圧、願望思考
③承認の段階:無感動、怒り、抑うつ、苦悶、深い悲しみ、強い不安、再度混乱
④適応の段階:不安減少、新たな価値観、自己イメージの確立

参考:フィンクの危機モデル【ナース専科】 (nurse-senka.jp)

この理論は元々患者さん本人のボディイメージの変容から受け入れを表したものだったようだけど喪失を経験した家族にも当てはまるのでは。

母を見ていると、①衝撃 と ②防御的退行 の間にいる。
だって弟がいなくなってまだ1週間だもの。

でも、①②を乗り越えた後の③承認の段階 こそが本当につらいんじゃないかな。

いつか現実を受け入れないといけない日が来てしまう。

それってとても残酷な事。

考えて考えて考えて
母にかけられる言葉でやっと出てきたのが
「もし総合病院に文句を言いたくなったら、その時は一緒にいくからね。」
だった。。苦しいー

現実を受け入れる段階にはきっと怒りが伴う。
母が苦しくなった時に救いとなりますように。

って、母の心配をしているけれど
客観的に考えると私自身のメンタルも心配しておかないとな、と。





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