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「岸本誠二朗」という人間

初めまして、岸本 誠二朗(キシモト セイジロウ)と申します!
出会っていただき、またご興味をお持ちいただきありがとうございます!

僕の表現が何か少しでもあなたの人生に良い影響をもたらし、僕との出会いがあなたの人生にとって「なければならなかった瞬間」になれば、とても嬉しいです!できるだけ素直に感情を表現していこうと考えています。こういう感じ方・考え方の人もいるんだな〜と「一つのアイデア」として受け取っていだければと思います。

記念すべき第一回は自己紹介です!

それでは早速。。
改めまして、岸本誠二朗と申します!僕は2001年(平成13年)生まれ、京都出身の22歳です。

そして主な人生経験は下記です。
〜幼稚園〜
・5人家族で三兄弟の末っ子として生まれる。(姉→兄→自分)
・引っ込み思案で臆病だったが、友達や先生から人気があったらしい。
 ┗家訓「とりあえずやってみ」
・職人気質な僕が作った泥団子がうますぎて、卒園式まで下駄箱にて保管され続ける。という伝説を作った。

〜小学生〜
・兄の影響から少し早く野球をやっていたため「周りよりなんかちょっとできるやつ」になっていた。
 ┗その結果たくさんのリーダー経験や多くの人と話をする経験を野球・学校の両方でさせてもらえた。
→結果が出ていて自信があった。
・姉や兄と比較される機会が多く、常に基準がそこにあった。
 ┗負けず嫌いで、勝ちに対するこだわりが強い。
→完璧主義の性格に。
・母の教え「素直が一番」
 ┗コーチや先生の話を一旦聞いてみる事を覚える。

〜中学生〜
・左股関節骨折の経験を機に変化に対してポジティブに。
 ┗母の教え「なってしまったことは仕方ない、怪我明けに今よりいいプレーができるように、今できることを全力でやりなさい。」
・各小学校代表の人気者たちの雰囲気に押され、今までのリーダーの地位が脅かされる。
 ┗リーダーじゃない立場を経験したことにより「裏方のありがたさ」と「ついていきたいリーダー・そうでないリーダー」がなんとなくわかり始める。

〜高校生〜
・投手陣7人の中で自分だけ孤立(しているように感じる期間)を経験。
 ┗いじりの延長でのいじめだな、と当時は感じていた。
  ┗今思えば組織における端っこの人の気持ちを経験するとても良い機会だったなーと考えています!
・2年冬前に直面した人生最大の2択。「左膝を手術し、人生をかけて目指してきた甲子園を諦めるVS痛みを我慢し、最悪左足切断のリスクを背負いながら甲子園を目指す」
 ┗最終手術を選択し、最短で戻れるよう全力を尽くしました。(お母さんさまさまです、頭が上がりません。)
・甲子園を目指し奮闘した高校野球で得られたもの
 ┗「岸本誠二朗だから」と言って仲間に押してもらう経験。
 ┗本気で生きていると、必ず本気で向き合ってくれる人が近くにいてくれる。
 ┗周りを変えることはできない、自分が変わるしかない。
 ┗結果を出さないと過程は語れないし、努力したとは言えない。

〜大学生〜
・コロナと同時にスタート
 ┗1年:仮面浪人を決意。毎日早朝から勉強し早稲田大学を目指すも全く通用せず。
 ┗2年:1ヶ月間一人でアメリカへ
  ┗自分の行動力に自信を持つことができ、人の優しさを知る。同時に自分のちっぽけさと視野の狭さを知る。
 ┗3年:長期インターンを経験、当時いけるかなと思っていたコンサルティングを経験するも、ボッコボコに打ちのめされる。(今思えば至極当然のことなんですけどね、お恥ずかしい。。)
 ┗4年:兄の影響でJICA派遣隊員を目指し休学を決意するも合格できず、並行して進めていた自己分析に熱が入り始め、就活を再スタート。

ざっくりこのような人生を歩んできています!

今回は以上となります。次回は「なぜNOTEを始めるに至ったのか?(目的)」について書かせてもらいます。今回はメモのような形になってしまいましたが、次回以降は極力会話のようなイメージで表現していけたらなと思っています。表現の仕方等は日々改善・更新していければなと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!岸本誠二朗をよろしくお願いします!!

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