無価値感
「無価値感」って、おもしろくないですか?
言葉の意味が、独り歩きしてるような。
「無価値感を手放さなきゃ!!」ってよく聞きますが、そんなものどこにもない。
そもそも、価値なんて誰にもない!
さも人に価値があるように、「無価値感」という言葉を使ってますが、人に価値をつけるのがおもしろい発想。
人が特別であるという、勘違いから生まれているんだと思ふ。
たぶん、お金が生まれた時に価値をはかろうとし始めた流れで、人にも価値をつけ始めたんだろう。
存在がどれだけかけがえのないものなのか、意識にボーダーラインなんてないということが分かる人は、比べるということをしない。
だって、あなたとわたしの間に違いなんてないから。
比べるってことが、「無価値感」を生んでる。
「無価値感」っておもしろい言葉だと思いませんか?
さも、人に価値があるようにおっしゃってらっしゃる。
価値が「有る」と思えなきゃ、価値が「無い」なんて発生しないから。
例えば、この天然石は2000円相当の価値が「有る」としよう。
その価値はお金ではかれる。
でも、この天然石は友達からもらったもの。
誰かに「2000円で譲ってくれないか?」と言われても、「これは友達からもらったものだから」って言う。
友達からもらったということで、この天然石には付加価値が付いている。
じゃあ、その付加価値はお金ではかれるでしょうか?
1万円なら天然石を譲りますか?
100万円なら?
いくら出されても譲らないって人もいるでしょう。
「そんなバカな!!100億出すって言われたら、誰でも譲るだろう!!!」
って心の声がぼくの方から聞こえてきますが、ぼくはそんなに現金主義ではありません。
200億くらいじゃないときびしいです。
ちょっと金額がデカくなりすぎたけど、もう一度言います。
価値ってお金ではかれるでしょうか?
ぼくの価値っていくらくらい?
たぶん、一億円くらい。
「一億円くれるなら、ぼくを好きにしていいよ。」
そんなバカなことはないよね。
一億円もらっても自由がなきゃ、お金すら自由に使えない。
じゃあ、自由っていくらだ?
そろそろ飽きてきましたね。
飽きてきたところで、もう一度聞きたい。
「無価値感」ってなに?
「無価値感」を手放すってなに?
価値とわたしがここに居ることとどんな関係があるの?
「無価値感」っておもしろい言葉だね。
こんなに愚かでどうしようもないぼくだけど、「無価値感」なんてない。
だってそんなもの存在しないから。
存在がそれを証明している。
こんなに何の味もない文章だけど、「無価値感」なんてない。
だって、この文章を書くということが起こっているから。
起こっていることは、意味があって起こっている。
そして、意味があって起こっているからこそ、意味がないと分かるんだ。
そろそろ意味が分からないという心の声が聞こえてきましたので、まとめます。
「無価値感」なんて手放さなくていい。
そんなものないから。
価値があるとするなら、もうすでにあなたには無量大数円以上の価値がつけてある。
それでも控えめなくらい。
あなたという存在に敬意を表して言います。
あなたはかけがえのない存在。
ぼくにとっても、宇宙にとっても。