夢の為なら死んでもいい
昔、「世界一周する為なら死んでもいい。」と口癖のように言っていたことを思い出した。
最近になって思い返すと、若い時は愚かだったから後先考えずにバカなこと言っていたな〜とか思っていた。
でも、それって本心なんじゃないかと思った。
夢の為なら死んでもいい。
本心を生きる為なら死んでもいい。
本心を生きる時に溢れてくるこの感覚。
それを忘れていた。
それはまるで、ハートから温かいエネルギーが止め処なく溢れて、体中を、周りの空間さえ満たすようだった。
それは、言葉にするにはあまりにも素晴らしくて、複雑でシンプルなエネルギーだった。
20歳くらいの頃、本田健さん著の「ユダヤ人大富豪の教え」を読んでいた時にそれは起こった。
その頃は人生のドン底を浮遊しているような時で、夢や希望も諦めていた。
いや、諦めてなかったからそんな自己啓発系の本を読んだんだろう。
その本を読み始めた時、何か分からない、胸から温かいものが溢れ出るような感覚があった。
そして、その本を読み進めていくと、その感覚はどんどん拡がりを見せ、読み終わった時は(もう朝の4〜5時くらいだったと思うが)、その胸から溢れてくるエネルギーの高揚に支配されていた。
そしてその感覚は数日続き、どんどん薄くなっていったように感じる。
でもその感覚が完全に消え去ったことはない。
今でもその種はぼくの深いところにあり、時々その種から美しい花が顔を見せる。
そしてそれは、「世界一周をする!」という夢を見せた。
その時に思った。
「世界一周する為なら死んでもいい。」
そして今。
まだ世界一周は達成していないが、ていうかそれにあんまり興味が無くなったと思っていたが、その時の種はまだ消え去っていない。
このコロナ禍で世界一周はとても難しいかもしれない。
でも、ぼくの中にある種は消え去っていない。
その種子の中に眠っている花は、今でも顔を出そうとこちらを伺っている。
確かに若い時はそういった花を感じる時は多くあった。
でもだからといって、今、それらが消え去った訳ではない。
この世界にはその花を咲かせようとまだ知らない多くのものがある。
そして今知っているものも、この花を咲かせようとたくさんの水や日光を与えてくれている。
そんな自分のmy wayを気付かせてくれた世界に、自己に感謝。
この感覚が伝わって頂けたら、嬉しいです(^○^)
P.S. 見出し画像は世界一周の手始めに行ったニュージーランドのニューブライトンで撮った海。最高に光輝いていました(^○^)