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【ショートショート】みっともないと陰で笑われても、私は私でいることにした。

自分の意思とは裏腹に、じんわりとパンツが湿るのを感じた。
ああ、また今月も来たんだな、と思うと同時に、嫌な予感がして恐る恐る立ち上がると、椅子に間抜けな血の跡がついている。
ため息をつきながら、ということは、パンツを通り越してスカートも汚れているってことで…
それがどれだけ面倒なことかは女性の体を持ったことのある人なら分かってくれることを私は期待する。
それにしても、この血の跡の形、女性器みたいでますます恥ずかしいなあ。私の形みたいやん、みっともないわ。
「藤崎さん、さっき言ってた資料の改修、分かんないとこ無い?大丈夫そ?」
突然背後から声がして、咄嗟に椅子をデスクの下に放り込む。
「だ、大丈夫です、今日中には終わらせます」
私はすぐに声の主の方に向き直り、自分のお尻を隠すかのように、放り込んだ椅子の背に押し当てた。
声の主である上司は、不思議そうな顔をしつつも、
分かんないことあったら言ってな、
と言いながら去っていく。
私はその後ろ姿を見守ると、すぐにデスクの引き出しを引っ掻き回す。
どうして毎月来ると分かっていながら、毎月同じことで困っているんだろう。
デスクの中をいくら引っ掻き回しても生理用品が出てくるわけもなく、私はこのままお尻をどう上手く隠して1階のコンビニまでたどり着くかを頭の中でシミュレーションしていた。
「藤崎さん」
頭上から声がした。顔を上げると、潮見さんが何かを差し出していた。
「使っていいよ」
花柄のハンカチに包まれたそれを受け取りながら「ありがとうございます」と言うと、「困った時はお互い様だからね〜私の時もよろしく」と潮見さんはおどけて立ち去った。
私は心から助かった、と安堵し、女子トイレへ急いだ。
自分のハンカチを洗面台で石鹸と水で少し湿らせ、個室にこもる。
「藤子ちゃん、もう生理が来たんだって?」
便座に座ってトイレットペーパーをくるくると巻き取りながら、なぜだか、小学生の頃友達のお母さんに失礼なことを言われたことを思い出していた。
「体が大きい子は、生理も早いんだねえ」
生理、というものが何なのか分かっていない私でも、馬鹿にされている、ということだけは子供ながらに理解していた。
お母さんには、「血がスカートやズボンについているのはみっともないからね」となぜだか怖い顔で注意され、今後このようなことが無いように、と汚れた洗濯物を指さされて言われた。無性に恥ずかしかった。自分の体の変化は悪いことなのだ、と言われているような気がして、体がこれ以上成長しませんように、とお風呂で泣いた。
それなのに、その日の晩ごはんには赤飯が出てきた。
私は、馬鹿にされている、と思った。

そういえば、
とパンツにナプキンを貼り付けながら思う。
潮見さんは妊活中だと言っていた。
「今月も来てしまった」
と月初に落ち込んだ顔でトイレから戻ってくるのが恒例で、私は毎月、子供がほしい人のところに、その縁がやってこないことの残酷さやシビアさを、彼女を通して感じていたものだった。
急に、私の生理と彼女の生理の意味が違って思えた。
自分がなぜだか軽薄で怠惰でな人間に思えてきた。
女性の体を持っていると、子供を産まないという選択をすることで罪悪感を感じるような仕組みにでもなっているのだろうか。
それとも誰かからそう思わされているだけだろうか。

スカートになぜだか直線についた血のシミをハンカチで抜きながら、自分が女性の体を持っていることを呪った。
私の体から意図せず血が出てきさえしなければ、お気に入りのかわいいハンカチを汚さずに済んだのに。
誰かにみっともない、と思われていないかびくつくことも無かったのに。
昔、どこかの国の(日本だったか?)風習で生理や出産は汚れたものだとされ、女性は隔離されていたことがあったそうだ。
私はお気に入りのスカートについた血の跡を眺めた。
大好きなブランドで買ったかわいいフレアスカート。これを着た日は無敵になれる気がした。
悩みも生理も無い、ハイヒールの中の足は窮屈さも痛みも感じていないような、化粧を落としてもすっぴんなんて出てこないような、ロボットみたいに美しい女を気取っていられた。
今やこのスカートは間抜けそのものだ。
お尻の部分に血の跡がうっすら残っていて、その周りは丸く濡れている。
バケの皮を剥がされたような気分でありながら、剥がす必要のない、尊厳まで剥がされたような気がして、私は心の中で舌を打つ。

「潮見さん、ありがとうございました、助かりました」
私はデスクに戻って、生理用品をくるんでいたハンカチをお返しした。
今思えば、生理用品を直で渡さないような心遣いに感謝を覚えながらも、生理用品を恥ずかしいものだと教えられたことも、無性に腹が立つ。
私はデスクから椅子を引き出した。
相変わらず血がついている。
先程より色が茶色く黒くなっている。血を落とすには、早い方がいい。
私はそれをじっと眺めた後、蚊を手で潰すかのように、その上にまだ濡れているスカートのお尻をおろした。
椅子についた血のシミは、放っておけば綺麗に落ちないだろう。
そんなことは何十年も女の体と付き合っていれば分かっている。
それでも私はシミを抜かなかった。
私は腕まくりをして、定時退社をするために膨大な量の仕事に取り掛かることにした。

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