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14 私の目標は、J社と仕事をすること
修学旅行の受け入れを始めた2年ほど前、私には大きな目標がありました。
それは、最大手の旅行社Jと仕事をすること。
1年目は叶いませんでしたが、2年目にあることがきっかけになって、旅行社Jと繋がることになりました。
そのきっかけとは、あるグループ企業の研修でした。
あるグループ企業が、顧客を数十人呼んで、研修を兼ねた交流会を開いたのですが、その講師に私を指名してくれたのです。
そこには
わたしについて 12 〜社会体験ツアーの企画〜
教員時代に、多くの生徒達を見ていると、家庭と学校以外の大人と接する機会が少なく、社会とつながっている感覚が薄いことに気づきました。
また沖縄に対する肯定感の低さがあり、沖縄の未来に期待をしていない様子が伝わってきました。(わたしについて11より抜粋)
真剣に生きている人たちがいて、家庭と学校以外にも、社会はこんなにも広いんだということを知ってもらうために、家族と学校以外の第三の大人と接する場
わたしについて⑩ 〜ある進学校にて〜
最初に赴任した学校は、中部にある進学校だったのですが、そこではとても貴重な経験をしました。
授業中に、生徒に質問をして、「これ、わかる人?」と聞くと、「はい、はい、はい、、」とほぼ全員が手をあげて、アピールしてくるんです。
「先生、私に当ててー」と。
これには、とてもびっくりしました。
私は、那覇で生まれ育ったのですが、そこでは、できるだけ目立ちたくないと考える人がほとんどで、手を挙げる
わたしについて⑨ 〜文化祭12月20日〜
私は高校教師として21年間、県立高校に勤務していたのですが、
その間は本当にいろんなことがありました。
ちょうど今日12月20日、facebookで「10年前の今日の出来事」と通知があったので、その写真をアップしてみます😀
高校3年生のクラス担任をしていた時なんですが、文化祭で、スーパーマリオ物語をやりたいと話が盛り上がり、企画からシナリオ作りまで生徒に任せていたら、気づいたら私は「縄
わたしについて⑦ 〜寝たきり生活〜
23歳くらいの時に、教員採用試験を受験するために、睡眠時間を1時間、食べる時間がないので1日パン1個のような生活をしていたら、半年ほどで33kgまで落ち、餓死寸前と言われました。
体重を戻し、体調を整えながら、臨時教員としてしばらく勤務をしていましたが、激務の中で体調が戻らずに、ついに寝たきり生活になってしまいました。
生理が7年くらい止まり、気持ちだけが焦るばっかりで、身体が付いてこ
わたしについて⑥ 〜餓死寸前〜
大学卒業後は、ある元国会議員の秘書をしていたんですが、うちの事情を考えると公務員の方がいいと思い、教員採用試験を受験しようと決めました。
ただ、試験日まで半年間しか時間が無かったため、「半年間で、沖縄にあるすべての参考書を制覇する!一度で受からなかったら諦める!」と目標を立てました。
うちを立て直すため、一度で受からなかったら止めようと思っていました。
眠くならないように24時間18℃に
わたしについて⑤ 〜ヒッチハイク旅が過去最高視聴率〜
大学3年生のとき。
広告代理店に勤めている幼馴染の友人から、「あさっての午後は空いてる?番組のゲストがいなくて困っている。首里城で待ち合わせたい。」と急に電話がありました。
予定が無かった私は、当日、首里城に向かいました。
その当時は、猿岩石のヒッチハイク旅が注目されていて、番組内でもヒッチハイクの旅をしてほしいとのことでした。
今で言うと『Aランチ』(琉球放送)の枠。
土曜か日曜のお
わたしについて④ 〜年収22万でよく大学に入ったね!?〜
大学入学時に、学内奨学金の申請をしたのですが、その面接の際に面接官が「年収22万なの?よく大学に入ったね」と相当驚かれていました。
私は、その言葉を聞いて、やっと家の事情が分かりました。
それまでは、自分でお金を手にすることはなかったので、22万のお金の価値があまりピンときていなかったと思います。
確かに年収22万で、よく東京に来たなーと今考えると怖い😨笑
うちは家賃が2.2万ほどで