ACT.3『浸ってみよう感じてみよう』
到着後は
宿にチェックインをする事になった。浦上駅からの近さにて予約した宿だったが、今回は決済を全てキャッシュレスという事になり、宿泊費は家計からの引き落としになった。宿泊費の肩を持ってくれた家族にはこの場所にて感謝を述べたい。
最初は雨のズブズブ降る中をメールの暗証番号や無人チェックイン等に苦戦していたが、偶々出会い頭に宿を出るという人とすれ違ったのでその勢いざまに入った。申し訳ないが、この天気ならこうして先に入って見るしかない。
宿はコンクリのビルのようになっていて、階上層になっていた。下駄箱にはクロックスが入っていて、このクロックスで宿舎内を歩くという体裁になっているのだろう。
そして下駄箱の近くには靴を乾かせる乾燥機があった。こんな雨の降った日には非常に有難い装備だった。自分も後に世話になったが、タイマー設定をしてホース状になっている装置から靴に熱風を通すと水気が飛んで感想する仕組みになっている。轟音を立てていたが、今日ばかりは恵の機械として大いに役に立つのだろう。
夕食を食べに行こう
見ている人にとっては非常に時間を選ぶ話になるかもしれない。食事の話だ。
今回の長崎到着は非常に夜が遅かった為、食事できる範囲が限定されていた。路面電車沿線は軒並み営業終了…流石にロビー内の客層もコンビニ飯の夜食に切り替わっており…と非常に遅い時間に到着してしまった。
そんな中、ネットで繋がった「長崎マイスター」のような方に話を聞いて連絡が付いた。
「かもめ市場に行けば営業している店があるかもしれない」
と。まぁ、取り敢えずは行ってみようか…と進み出す。
今回の長崎名物から選び出したのは「トルコライス」だった。今回は初来訪、そして基本中の基本…自分にとっては「この食べ物を勉強させて頂きたい」という気持ちから「初歩的」「基礎的」なチキンカツの乗ったシンプルなトルコライスを選んだ。
このお店は長崎駅高架下の「かもめ市場」内にあり(これだけで店舗が特定されそう)、この店の発展させたトルコライスは100種から1000種類近くにも上っているようだった。メニューには堂々の「撮影禁止」マークが貼られていて眺めるだけにしていたがそれでも驚いてしまうのは変わりない。
「多くのお客様の要望に…」
だったような気はするが、色々な事情で種類を追加していった結果メニュー番号はとんでもない数膨れていた。自分も思わず
「(番号)ください」
と注文していたのを覚えている。しかし一体、どのような思想を張ってゆけば多岐に渡るのだろうか。気になって仕方がなかった。
因みに「トルコライス」というのは
・ご飯の上に乗るスパゲッティがイタリア
・カツが架け橋になり、カレーをかけてインドを想像
そしてそれがインド・イタリア間にある国のトルコを連想する事
また、「ライス」「カツ」「スパゲッティ」の3種類が織りなす「トリコロール」色が訛って「トルコ」に帰着した…などと説がある。
しかしどれも本当かは不明だ。
日本最新の新幹線を見に行く
「長崎」と言ってこの話題に乗っからない理由はなかった。
そう、西九州新幹線。日本一短い新幹線でありながら現状、日本最新鋭の新幹線なのだ。その長さは「四国新幹線」こと「予土線」の路線長をも下回っている。結局、博多南線という例外中の例外を除外すればこの新幹線は相当に短い距離で営業をしている事になる。
駅に入った感想は当然「新しい」なのだが、何より「モダンで日本離れした」というか「車両との統一性やバランスを感じる」という具合だった。
車両と駅の写真を同時空間で撮影すると、それこそ雑誌や海外鉄道の取材記で見かけたTGVやユーロスターの滑り込む欧州の駅を想起させる美しい駅だった。
新幹線は日本の国の象徴であり、そしてまた海外の人にとっては「回転寿司」や「自社仏閣」「銭湯」などのアトラクションに近い要素を持っている側面があるように感じてしまう昨今だ。
この西九州新幹線はそんな海外への宣伝役に、看板に充分なれた存在だと思う。
車両を見てみよう。
車両は現在のJR東海・西日本・九州での標準形態となっN700系新幹線の改良型となったN700Sがベースになっている。何処かのデザイナーの趣味が色濃くコレでもかと反映されているのと長さが物足りないせいで非常に見た目が別物に見えてしまうが、あの東京から博多を疾走するN700Sと「同じ」形式、同じ新幹線の短縮型である。
車両の外装については今回の訪問というか観察で少々判ったが、ようやく何処かのデザイナーさんの力の影響で「新幹線」という日本の独自ブランドではなく、西九州新幹線は「高速鉄道」という地位を確立したカラフルな新幹線に思える。
はじめて図鑑でTGVなどの海外を走る高速鉄道を見た時のカラフルさを少し思い出せたかもしれないと同時に、何か少し違った意味で
「空想上の世界からやって来た新幹線」
という雰囲気をこの西九州新幹線は持っているように思える。
新幹線といえば「白色」がベースな西日本方面では、実に大きな存在と成り得ていきそうだ。
非常にこの新幹線が「日本離れしている」「長崎駅の更新された未来さに溶け込んでいる」と個人的に感じたのは、写真を見返して感じたこの点だと思っている。
撮影中や観察中は「派手だ」とか「走行中って剥がれないのか?」など変に心配したが、逆にここまで派手に着飾った雰囲気が西九州新幹線の海外らしさというか他の新幹線にはないキャッチーさを生み出せていると感じてしまう。このアドバンテージは非常に大きなものかもしれない。新幹線の新たな「ジャパニーズ」を見たような気がした。
実は、新幹線が入って来た事により長崎駅の構造は「新在乗り入れ」さながら…というか在来線と新幹線が駅の同じフロアを供用する形態が用いられている。
昨年旅をして見かけた新潟駅の構造も嵩上げをしてこのようにホームの位置を引き上げる新在乗り入れさながらの状態になったが、
西九州新幹線という新たな交通機関を受け入れた長崎駅でもこのような構造が見られるようになった。
この記録は在来線のホームから撮影した様子で、武雄温泉方面から入ってきた回送列車が長崎で入庫の準備をする様子…である。
今だからこそ感じる事だったが、開業間もないからこその綺麗な車輪や台車カバー、そして煌びやかな足回りが動いている様は「ピタッ」と止まるまで眺めていられるものだった。
新幹線・在来線とホームが同じフロアにあると互いの車両が観察しやすくて気分が高鳴る。そして在来線・新幹線からそれぞれの車両を眺められるのも好感触だ。
なお、新幹線側から在来線を眺めるとこのようになる。同一フロアとはいえ新幹線は一段嵩増しされており、在来線は少し気持ち見下ろす感じになる。しかし、隔たれていないよりはマシかもしれないし観察できる方が何となく心地が良い。
新幹線は既に「博多行きリレー最終」と「新大村行きの2つだけだったが、得て帰る成果はかなりあったように思える。次は乗車してみたいと感じたものだ。
車内については暖色系の照明と西武ラビューのような色の菜の花色?の座席が見えるだけだった。次に長崎に来るときはフェリーとリレー新幹線で早々と現地入りを考えても良いと思った。
この日はこのまま駅を出て、宿に戻った。その道中は非常に破天荒なものだったがコレがまた楽しかった。後に紹介する。
思いを寄せて眼鏡橋
翌朝は観光に少し時間を投じた。長崎県から羽ばたいたアニメ、「色づく世界の明日から」に関する聖地巡礼に出て行く事にした。
このアングルは冒頭OPの「17才」にて登場するアングルだ。
アニメとは逸れた自分の思い出にはなるが、「17才」を歌っていた「ハルカトミユキ 」については楽曲を高校生で知り、大学生の時にはよく授業の合間に「vanilla」や「絶望ごっこ」などを聴いたものだった。そんな「ハルカトミユキ 」で青春を過ごした人間にとってもこの見上げるアングルは思い出になったものである。
多くの人が撮影していた。
場所が分からず、長崎市電の電停から下車して橋を数えながら川を眺め歩いていたが一行に見つからず地元の散歩している人に
「眼鏡橋は何処ですか?」
と聞いてしまった。
「この先にあるさ、(この辺りが方言チックだった)みんな写真撮ってっからすぐ目立つ(この辺も方言)」
と親しみと温かさのある案内に支えられて見つける事ができた。
このようなアングルも、「聖地」を巡礼している人にしか撮影しない特別な場所だろう。
今は少し曖昧な記憶になっているが、キービジュアルか何かのアングルでこの部分が採用されていたように思う。個人的には抑えておこうか…と思ったが結局「よく見ていなければ」分からないものに仕上がったのは悔やまれる。
橋の近くに屋台があった。老舗そうな屋台売りらしく買ってみる事にする。
長崎マイスター、らしき方に後に話を聞いてみると「ちりんちりんアイス」といって観光地近辺では非常に有名らしいものだった。
ちなみに。アイス売りの若い男性に
「色づく世界の明日からから、知っていますか?」
と質問すると
「知らないですねぇ…」
との渋い反応だった。地元はまだしも、県外認知にアニメは大いなる貢献をしているのは違いなさそうだ。
アイスは非常に昭和というか懐かしい風味の味だった。そして、「食べる」という雰囲気に近いかもしれない。花びらのように盛られたビジュアルが印象的だった。
どんどん行こう
このアングルもアニメ視聴済みの方なら理解が早く向かうかもしれない。
何処の何の話だった…かは掲載を割愛するが(それは単に対応が面倒?)、きっと刺さる光景なのは間違いがない。
そのまま橋の近くの電停から路面電車に乗車してグラバー園方面に向かう事にした。順調に長崎の定番観光コースに乗っているような感触がある。
この路線には他にも中華街や天主堂に向かう乗客が混ざっており、観光路線としての色みが強く感じられた。そのまま終点まで乗車して「石橋」という電停まで向かう。
石橋に到着。関西で生まれ育つとどうしても箕面方面への乗換を想起してしまう懐かしい駅名だが、今はこの電停くらいしか名前が残っていないのだろうか。
アングルは再び「色づく」にて登場したアニメでの構図だ。電車が広告を纏っているのは仕方のない事情…だがこのローから撮影した感じがアニメの雰囲気を巧く演出出来ていると思う。そしてこういったノスタルジックというかレトロな観光地にはヘソに前照灯を構えた古い車両が実に絵になる。
アニメではツートンの会社標準の車両が登場していたが、これらの車両は広告車両になっていてもしっくり来てしまうのがまたニクい。
そのまま「石橋」電停にて聖地のカットを回収。
「あぁ、コレだったコレだった」
と何故か自分でも覚えているアニメの構図だった。自分でも記憶しているモノと記憶していないモノの差が激しいが、何せ作品を見ていたのは高校生の時で2018年だった。言い訳に聞こえるかもしれないが、自分の記憶と思いはこの勢いなのかなと確認した次第だった。
このアングルもアニメでは重要なシーンとして登場する。(していた気がする)是非とも本編を視聴する序でにお探し頂きたい。
「斜行エレベーター」に乗車してグラバー園の近くに向かう。
長崎は坂が多い為…と聞いてはいたが、このようにして実際にその工夫を直に見たのははじめてだった。
近くの乗客も
「広島にも確かこんなヤツがあったよねぇ」
と珍しげに眺めていたが、アッチは交通手段だったような…と何か検品でもするような気持ちで同乗していた。
しかしこうしてシェルターのような空間を移動するのも面白いと思った。もう少し開放的なイメージがあっただけに不思議だと思う。
降りるとこのような景色に立ち会う。
非常に綺麗な街並みだ。
長崎らしい…で片付ければそれまでだが、実に綺麗で澄み渡る言葉を失う絶景だった。
アニメ作中のキャラクター、魔法写真美術部(合っているか)の皆々も近くにこのような景色が存在していれば、表現力や創作、感性を磨くには丁度良いのではないだろうか…というか多くの事が磨けそうな町だと思った。京都に戻って今、記事を書いていると彼ら彼女らが非常に羨ましく感じてしまう。
作品内では欠かせない…(多分コレだった)ベンチを望む。
このような場所で青春を過ごせていた事がつくづく作成中の身になって思えば羨ましいと感じるばかりだ。
流石に夜や夕暮れにこの辺りを通る勇気は個人的にないが、きっと時間帯によっては幻想的な色合いを見せてくれるのだろう。
御対面
少し歩くと、「あなたは何を祈りますか?」の看板と共に「祈念坂」に差し掛かる。
ここは流石にさっきまで疎かった(忘れかけていた)自分にも分かる場所だ。
そう。アニメ放送前の第1弾のキービジュアルの舞台が描かれた背景の場所なのだ。
撮影日には植木…というか庭師の作業があったので目を凝らせば非常に物足りないというか不完全な記録に見えるかもしれないが、見える対象物や構図などは非常に作品を捉えている。
ここに来てよかった、と素直に嬉しくなった。
折角なので記念に記録をして頂いた。同じく坂に差し掛かったカップルの方々が居たので、
「アニメを見て…」
と打ち明けると素直に
「あぁ、やはり」
と事情を理解してくれた。シャッターを押してくれたカップルの方に感謝を申し上げたい。
しかしポッキーを買い忘れたのを悔やむ。今更降りて買うなんて嫌だしなぁ…
聖地、と呼ばれるアニメと同じ構図を探す旅には過去にも友人同伴で何回か出かけた事がある。過去には「あの夏で待ってる」や「頭文字D」など、多くの「土地」に絡んだアニメを並べたモノだがキャラクターと共に感情移入が出来るのは本当に嬉しい。このようなサービスに焦点を当てた人は本当に上手いというか、現実×アニメを程よくクロスさせたなぁとまで感心してしまう。
長崎市内行脚、後半
そして降りた先には教会と大浦天主堂が待っていた。
天主堂の写真については何処かに置き去りにしてしまった…ので、経緯があって入場した「グラバー園」についてご覧いただきたい。
グラバー園とは主に、1863年に建築された国内最古の木造洋風建築の建物を中心とした洋風庭園の事を指す。
旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅の3つが主として構成されており、長崎に伝来した洋風文化の残り香を今に伝えている。
そういえば、グラバー園の近くに来て思い出したのは名前にもなっている「トーマス・グラバー」もそうだが個人的には「坂本龍馬」の名前も何故か浮かんだ。
じわじわと歩いていて思い出したのだが、ここは坂本龍馬が「日本初の株式会社」として「亀山社中」を旗揚げした場所だった。
かなり昔になるが、NHK「龍馬伝」からの記憶でずっと覚えており、長崎は坂本龍馬と貿易を結ぶ大事な場所だったのをこうして思い出す。グラバー邸もこうした時代の見守り人…として龍馬の活躍を支えており、亀山社中の歴史に度々関わったのだという。「龍馬伝」にて福山雅治の坂本龍馬の熱演が忘れられない自分。そして旅の道中暇つぶしに「浅田次郎/壬生義士伝」を持ち歩いている身としては非常に感慨深いものだった。
長崎には長州藩士もやって来ていたという。後に日本初の内閣総理大臣になった男、「伊藤博文」を始めとする長州ファイブの彼らもこのグラバー邸付近を見ていたのだと思うと、非常に万感の思いが込み上げてきた。
長州ファイブの中には鉄道建設に邁進した男、「井上勝」の名前もあった。井上はこの時に長崎に訪れて最先端の洋学や蘭学を貪欲に学び、当時は未知なる海外…海の向こうに在る高らかなる憧れに思いを馳せていたのかと思うと非常に鉄道好きにとっては他人事に思えなかった。
アニメ作中にも登場した「グラバー園」の近辺だったが、全然アニメには触れずむしろ自分の事ばかりしていたと思う。
逆にそっちの方が感動が増すかもしれない。旅としては充実するかもしれないだろう。
アニメと同じ気分を味わえるような「レトロ写真撮影」もあったが、そちらについては青春18きっぷで長崎を今日中に発つ予定があった為泣く泣く打ち切った。
帰ってからサービス券を見ると、何か惜しい事をした…ような気になって仕方がない。新幹線でじっくり時間を作って体感しに来よう。
入園口実。
「フッ、チョロい〜(声:大山のぶ代)」
長崎の何処を探してもエンカウントしなかったこのお菓子。結局ここまで来てようやく見つかった、というか発見されたので向かう事にした。幸いにも入園割引が適用されたので安く入園ができた。
高校生時代の青春がこの箱からでも蘇る。そういえば、関西での「色づく」初放送?というかMBSでの第1話オンエアは幸いにも阪急5000系の鉄道コレクションと発売日が重なる日だった為、徹夜の口実に試聴ができた。
この時の情景だけは何故か覚えているのだから不思議で仕方がない。
そのまま路面電車にて「ツル茶ん」という喫茶店に向かった。
ここは九州でも相当な知名度を誇る老舗の喫茶店だ。
「トルコライスは昨日食ったしなぁ…」
と長めの階段ウェイティングを決めてから座席に着陸。
長崎ではこの周辺で激推しされている「ミルクセーキ」を選んで食した。
どちらかといえば「ミックスかき氷」に近いかもしれない。しかし大阪のミックスジュースにしろ、喫茶店の甘味とは非常にこう甘そうに見えて甘ったるくない力が抜ける品だ。
ミルク、に相応しく全体的にジュースっぽくも清涼感のある味が良かった。また息抜きに食べたいと思った味だ。
ようやくここに来て「色づく」のポスターに遭遇した。先ほどの橋のアングルだ。(買いていて思い出した自分を殺したい)
長崎にこのアニメが浸透していて良かった、の安堵と同時に「やっと見れた」「懐かしいものだ」などと様々なリアクションが交錯する。
もう作品放送からは相当な年月が経過しているハズで、知らない人が現れても変ではないだろう。
おまけな話にはなるが、店内には「龍馬伝」の福山雅治のポスターもあった。
本当に懐かしく、高知や京都の思い出が浮かんでしまうというか龍馬の歴史に長崎が入っていた事を改めて認識する次第だった。
他には案内された座席の近くで声優・麻倉もものサインを見る事が出来た。ロケの来店かMVでの撮影にやって来たのか経緯は不明だが、店内にはこのようにして有名人のサインが所狭しに飾られていた。多くの人に愛され、店が長く継続した証拠だと思える。そういった意味では、コレも「基本の「き」だったのだろうか。
さらば長崎、こんにちははやとの風
いよいよ長崎との別れだ。高校野球のトーナメントで‼︎と勇んで訪れた長崎市内だったが、相当なエンジョイをしていたように思う。
それでは最後に九州が誇る最新のD&S観光特急を拝んで市内を旅立とう。
ツル茶んにて時間を確認していると、D&S観光特急の「ふたつ星4047」の時間が近いと判明した。
コレも西九州新幹線開業でのダイヤ再編によって誕生した新たな列車だ。特急を削ってしまった代償に…ではないが、代替に新たな観光列車が投入されて路線の地位は少々下手に下がったように思う。
しばらく待って、「ふたつ星」がやって来た。サービスの便宜上は「特急」らしいが、何処をどう見ても「特急」の姿をしているとは感じなかった。
列車を構成するのは、土砂・豪雨災害で復旧が叶っていない「肥薩線」での復帰目処を失った観光特急「はやとの風」を再改造した2両と同じく観光列車だった「いさぶろう・しんぺい」の予備単車だ。コレらの車両を3連で組成して「ふたつ星」は構成されており、実質は窓配置などからも再就職前の「はやと」時代の名残がよくよく見える構造になっている。
見た目こそ非常に綺麗に仕上がった観光向けな列車…のように思えるが、その裏には復職を諦めて再就職せざるを得なかった肥薩線の現状が裏にあると考えると何か心苦しいものが浮かんでしまう。
列車を構成する「元・はやと」の反対側。やはりどうも黒々としていた頃の時代が過ぎって仕方ない。
肥薩線の観光列車…については同じような理由?からSL人吉が路線変更からの運転廃止を決め込んだり、何か明るくない話題が多いように感じてしまう。
九州側が肥薩線をどのように見ているかはこの記事で割愛して話さないが、このようにして大きな舵取りからの大規模再就職を決定せざるを得なかった観光列車も居ると考えると心がどうも上を向かない。
結局復職を目指している観光列車たちも現在は本線での合間仕業を淡々とこなすのみで、どうも華やかさが欠けているように感じる。
恐らくドアを潰した穴埋めにて設置されたのだろう大きな窓が、最も「はやと」らしさを語っていた。残された分の観光列車たちの生涯も救われるように大活躍してほしい。
中間の車両は、同じく肥薩線の戦士であった「いさぶろう・しんぺい」の車両だ。
この車両はサボに「40ラウンジ」と表記されており、ラウンジに改造されたと容易に推測がつく。
そして更には「食堂車」を示す「シ」マークが登場。コレについては恐らく、バーカウンターや飲食設備を規模大きく併設していそうな…と考えるのが良いのだろうか。
車内は停車中にしか観察しておらず、結局は中に向けてのシャッターも全く切らなかったので不明なところだ。
そして個人的には…この改造された前照灯・後部標識灯が実に「いさしん」らしさを感じる。近寄れば種の面影アリというか、その残り香を密かに今に伝えていた。
最近では「食堂車」というステータスも徐々に観光列車の普及で息を戻しつつあると思う。しかし、昔のようにカレーライスやカツレツなどを定食屋のような空間で食べるあの「食堂車」ではなく「飲食機能を持ってしまったがために」名乗っているケースの方が多いように感じているのが個人的感想だ。
そして、この駅では結局蓄電池の電車しか見る事は無かった。
また、架線があるのにも関わらずやってくる電車は全て「非電化」仕様ばかりだった。これも結局は路線を削った弊害だろうか。
ほんにしてもビッカビカで派手すぎる電車だ。今は光害的な観点から使用が停止されているが、かつては周囲の部分にも電飾が流されて光ったという。無人駅などではさぞ怖かっただろう。
それでは
「ふたつ星」の始業を見送りつつ長崎を出ていく事にした。
宿は結局コストダウンを図ってゲストハウスの無人チェックインにしたけれども、個人的にはパブリックスペースも大きく確保されていてシャワーも使い勝手が良く、そして市内滞在は路面電車を活用して大きくモノを見れたと思う。
このままYC1系に乗車して佐世保・大村方面に抜けていく事にした。
長崎市内ではグラバー園に眼鏡橋など、幾つかの観光地を見れて良い体験だった。新幹線でアクセスすればもっと多く回れたのだろうか。
次回は西九州をじっくりと周遊した話…などに触れていこう。そして福岡から次の場所に向かうまでが書けるとキリが良い。