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ACT.42『小樽科学と交通の深淵に』

機関車の繋ぐ絆

 …皆様。もうそろそろ、この話も終了と致します。本当に長引いてしまった事を先に一先ずお詫びさせて下しぃ。(まずはキミの纏める能力だろう)
 さて。小樽市総合博物館の館内をじっくり見ていると、館内を勇壮な汽車が走行している。この汽車の名は、『アイアンホース号』。北海道とアメリカの絆によって導入された蒸気機関車だ。
 この機関車は、アメリカのポーター社が製造した機関車である。生まれは明治42年。古くに製造され、決して若い蒸気ではない。
 しかし。この機関車には特別な共通点と縁があるのだ。それは。
『この博物館のメインで展示されている7100形蒸気機関車・しづか号を中心に幌内鉄道の蒸気機関車と製造メーカーが同じ』
という共通点にある。
 こうした縁で、この蒸気機関車は小樽の大地にやってきたのだ。
 アイアンホース号は、北海道開拓と幌内鉄道の語り部。そして明治期の蒸気機関車の存在を現代に語る貴重な存在と言える。

 蒸気機関車・『アイアンホース号』の普段牽引している編成を見てみる。
 客車が2両。そして後部には貨車風の解放された客車が併結されている。何れもアメリカンな客車で、最後尾は石炭貨車としてかつては貨車だった開放的な車窓を体感する事が出来る特別な車両だ。
 この他にも、アメリカンな車掌車など客車は5両がアメリカから輸入されてきたという。
 しかし、蒸気機関車なのに煙が靡いていない…と自分では思い不思議になってガイドブックを後に購入して調べたところ、どうやら燃料は石油燃料を使用して走っているようだ。通常の蒸気機関車と走行に違いがあるなら仕方がない。

こうした部分にも

 アイアンホース号の運転を実施するにあたり、小樽市総合博物館は歴史的な遺産や歴史的な設備を使用している。
 そのうちの1つがこの転車台だ。この転車台。実は全国にある転車台と少し構造が違うのが特徴なのである。

 小樽市総合博物館の手宮扇形車庫…はそもそもの文化遺産であり、アイアンホース号が使用している部分は明治41年に完成した扇形車庫(区画)である。
 しかし、この中で自分が注目すべきはこの転車台だった。
 自分が見ていた時には何も撮影していなかった後悔が募ったのだが。この転車台。実はかなり異端的な方法なのだ。
 それが、『大友式牽引装置』を用いた転車台。この転車台は日本全国でもこの場所でしか確認出来ないだろう。
 この『大友式牽引装置』で転車台を動かす仕組みは、圧縮空気を用いて掴み取り金具を用い転車台の底に敷かれたレールを、まるで『尺取虫』のように動かしてジグザグと進む方式なのだ。
 この方式で転車台を動かす為、転車台には空気圧縮の機械が装着されている。

 そんな大友式の牽引装置を用いて方向転換するアイアンホース号。こうしてこの機関車が北海道鉄道発展の祖と言われるのを見ると、北海道の鉄道はアメリカからやってきたのだなと感じてしまう。
 しかし、もう一度記すが自分の中ではこの大友式の肝心な動撮影をしていなかった事が悔やまれる。もう少し真剣に撮影しておけば良かった…と思ったが、それは後の祭りなのであった。

 さて。ここでアイアンホース号の歴史について記そう。
 アイアンホース号は、明治42年の生まれ。製造はペンシルバニア州・ピッツバーグで創業した機関車会社のポーター社だ。
 アイアンホース号は明治42年、ポーター社で4514号機関車として誕生した。製造後はグアテマラで貿易関係の輸送にフルーツを輸送する為の機関車として活躍。
 昭和34年にアメリカに里帰り、カリフォルニア州・ミシガン州と観光鉄道で使用されその後は平成元年から平成3年まで、ミネソタ州・ヒンクリーのテーマパークで使用。
 小樽市の視察チームは平成5年にヒンクリーでアイアンホース号に出会う。そしてアイアンホース号は平成5年12月、遂に小樽港に入港したのだ。
 こうして、この機関車は日本での活躍を継続している。明治生まれの機関車ではあるが、アメリカの古き鉄道の語り部として、その西部劇のような輝かしい姿をいつまでも見せてほしいものだ。

本格的に?

 小樽市総合博物館は、鉄道の博物館として本当に貴重な車両と展示量を持っている博物館である。
 その展示物の中には、北海道の蒸気機関車たちのナンバープレートが設置されているモニュメントのような場所があった。
 コレまたこのモニュメントスペースの展示区画が素晴らしい…というか貴重性の高い展示で、国鉄で活躍した蒸気機関車の他に北海道の開拓鉄道の一部や北海道で活躍した輸入蒸気機関車のナンバープレートの展示がされている。
 その中には、三井芦別鉄道・胆振縦貫鉄道の蒸気機関車のナンバーも保存されているようだ。そして、小樽という事なのかC62のナンバーも。北海道の旅路では後に登場する事になる蒸気機関車であるが、D61形という特殊境遇の蒸気機関車のナンバープレートもある。
 北海道という特殊な大地の展示を余す事なく感じられたこの場所、もう少しだけ内容を説明する感じにして欲しかったと個人的には思う。
 しかしそれにしても世代の幅や会社の幅が広い。

 鉄道は、様々な標識に従って運転をしている。
 そうした展示も、この小樽市総合博物館では展示されており鉄道の運転に関するというか裏側を垣間見るスペースとしてこの場所を見る事が出来た。
 『50』・『45』と表記されている看板は制限速度を示している看板だ。この速度制限に従って鉄道は運転しており、前と前の車両が衝突しないような仕組みが採用されている。
 他にも腕木式から様々な信号。車止めに駅目標など、その展示の量というか標識の量も多かった。
 鉄道の歴史だけでなく、こうして鉄道の設備や施設に関しての紹介がなされているのは、地域の交通博物館。道南方面に向けての鉄道博物館として大きな役割を果たしていると自分の中で感じた。

 北海道を駆け巡った愛称列車について。
 かつては日本全国。北海道から九州まで、優等列車と準優等列車には愛称が付けられていた。
 これらの愛称は地域に沿ったもの、沿線にそったもの。そしてご当地に沿ったものと多種多様な部分から採用され、地域の名列車として現在も残ったり様々なドラマを生んだりしていたのだが…
 こうして見てみると、現在も生存している列車はどれだけあるだろうか。
 おおぞら・オホーツク・北斗。この辺りくらいになってしまった。ニセコ・天北などは最早書籍でしか見ない存在になってしまったが、ニセコに関しては蒸気時代の栄光を現在でも我が故郷の京都でたっぷり感じる事が出来る。
 この展示物を見て、
「本当にニセコという列車がこの広い大地を走行していたんだなぁ」
と1人感慨に深くなっていた。
 下に展示されているのは、切符類と切符に穴や印を入れる改札鋏。かつてはこの改札鋏で硬券に印を刻み、乗車の証拠を刻んでいたのだが現在では硬券文化や有人改札そのものが機械に置き換えられ衰退に向かっている。
 改札鋏と切符、は昭和の鉄道を代表するアイテムであり、この改札鋏が忙しく鳴り響く駅と構内放送の情景。そして改札鋏を職人技のように切っていく駅員の動きがまた情緒深かったのだ。
 現在でも、硬券文化には一部の私鉄などで触れられるが、こうした文化も残り少ないものだ。
 その際には、味わいの深い切符のその一瞬を聞いてみてほしい。

思い出に伏す

 かつて、この小樽市総合博物館では流線形のC55形を保存する計画があったという。
 しかし、その計画はとある計画の手違いで廃車になり、流線形のC55形は全て鬼籍に入ってしまったのだとか。そうした不運を感じさせる1枚のチラシだ。
 現在はED76のPCB解体処分関係で見る事が出来ないが、この博物館にはC55-50とい蒸気機関車が保存されている。その機関車が、流線形C55形の代わりとしてこの博物館に展示されているのだ。
 しかし、こぼれた話として付け加えるが日本でもブームとして世界に乗っかり、流線形の蒸気機関車を世に送り出したものの実際は保守点検などが大半な有様。そして加えて走行に関してはあまり効果が出なかったという。そうした暗黒の歴史を背負った機関車だったのだ。詳しく知りたい方、検索エンジンを起動してみてくださいな。
 ということで。ここからはそんな小樽市のもう1つの施設としてあった、小樽市青少年科学技術館について見ていこう。
 小樽市青少年科学技術館は昭和38年に開館した施設だ。道内3番目の科学技術館という手作り感の溢れる出立ちだったが、多くの子どもたちに好評な施設だった。

 青少年科学技術館という名前にはなっていたが、プラネタリウムや子ども向けの体験実験講座、またパソコン教室なども開き子どもたちの学び舎、遊び場としての地位を確立していく。
 平成18年に科学技術館の機能は閉鎖され、その機能は総合博物館へと移転された。
 今回の訪問では、そうした総合博物館として小樽市の新たな観光地になる前の子どもたちの青春を詰め込んだ場所、『小樽市青少年科学技術館』に関する展示についてこちらも触れて帰る事にした。
 夏休みの思い出…ではないが、少し何か童心に帰った気持ちのする展示で非常に楽しい時間だった。
 PCB関係で外に出られない、ガラナがすぐ熱湯になってしまう、そしてとにかく暑い、の三拍子が揃った環境ではこのキンキンの展示物が非常に暇を持て余すのにラッキーな展示物だった。
 さぁいざ、夏休みに行こう。

たのしいじかん

 小樽市総合博物館…ではなく、この場所だけは昭和の憩いの場、というか昭和の少年少女たちが楽しんでいた『小樽市青少年科学技術館』に展示中は変貌していた。
 その中には、体験型の展示もあったので触って体験。左端にブロックが映っているのだが、このブロックで立体的な形を作れないかと試行錯誤。しかし難しく直ぐに断念した。
 他にも様々な展示があったが、どれもとにかく言えるのはこの夏休みの時期に見ると何か少年の魂に刺さるものがあるという事だった。
 しかし写真が殆どなく、もう少しだけ展示物や各所の写真を撮影して来れば良かったという後悔はかなり尽きないのだった。

 囚われ…いや、監視しているのか?そんな迫力で鎮座しているロボットがいるではないか。個人的にはスターウォーズのアレにしか見えなかったこのロボット。話しかけると反応するのだ。
 但し、話しかけても言葉というのだろうか。返事返信に関しては定型的なものばかりで、知能的なものが入っているだとかそういう事ではないらしい。
 実際に幾つかの言語を話してみたが、
『シラナイヨ』『モウイチド』
みたいなワードを繰り返してくるばかりだった。
 このロボットの名前は、『コロット』と言うらしい。近づいて顔を見ると顔がブラウン管で構成されていた辺り、
「あぁそう言う年季というかそういう機能なんか」
という感触を感じた。ただ、非常に展示位置が不気味だったのはなんとも…

 他には、
『懐かしい展示物をどうぞ!』
として、かつての科学技術館時代に制作していたであろう手製の楽器を発見した。これに関しては、少し気になったというか構造をマジマジ覗いてしまった。というか簡単そうに見えて難しそう。

 あったもので、筆者の撮影。
 全く考えていなかったが、正直こう…一発芸人感が圧倒的に推している状態。
 単純にネタ写真としてプロフィールの一種に出来ればと思っていたのだが、割と反響が良かったので今後も隙を見て使用するのを検討している。
 と、PCB飛散関係で見学できなかった分はこうしてネタな撮影時間や屋内の復刻展示に費やしている時間となってしまった。次回は完全にPC B関係は終了している筈なので、その際には上屋から感じられる圧倒的な背景に期待したい。
 と、もう少し化学展示を体感し土産を買って自分は小樽市総合博物館を後にした。次回はもう少し落ち着いて。そして圧倒的な昭和を感じて、北海道鉄道発祥の余韻を感じられる場所にしたい。

もう少し、続くのですが

 さて、ガイドブックに函館本線のC62クリアファイル等を買ったところで、自分は手宮方面に消えていくバスに乗車してこの博物館を後にした。
 と、もう少しだけこの博物館の話が続くのをご了承いただきたい。
 実は目的として探しに行った車両はPCB関係の電気機関車、現金輸送車…の他に、もう1つあったのだ。その話を、次回またさせていただこうと思う。悲運、そして志半ばな鉄道車両の物語だ。


おまけ(忘却していた分を補足)

 小樽市総合博物館には、蒸気機関車の整備点検などで使用していた部品の展示ゾーンがある。
 この蒸気機関車で使用していた工具類は100点以上を突破し、適切に管理しなければ確実に迷ってしまう…というか覚えられない部品たちばかりだった。
 往年の蒸気機関車の苦労、そしてそこに携わる多くの努力…などを感じる圧倒迫力の展示だった。屋内展示場と異なり、離れにあるので少し分かりづらいが訪れて損はない一見の価値ある場所だ。

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