ACT.15『盛んなる過渡期の鉄道を楽しむイベントがあるらしい』
今回は
4月最後のイベントにして、久しぶりに岐阜県は大垣を拠点に置いている揖斐〜大垣〜桑名を結ぶ養老鉄道に向かう事にした。
今回のイベントの動機は、4月29日開催となった「養老鉄道まつり2023」が西大垣の車庫で開催されるという事に因んでだった。
ちなみに、養老鉄道への乗車は1年近くぶり。関西が近いと大垣方面にJRで向かうも良し。近鉄特急を楽しんだおまけに桑名から攻めてもヨシな鉄道だ。
今回はそんな養老鉄道にて車庫開放のイベントがあるとSNSで知り、京都方面を朝6時台に発って向かう事にした。
乗車したのは写真のように223系2500番台。すっかり朝夕の混雑ユーティリティとしての実力を発揮しており、山陰本線京都口の混雑を華麗に捌いていた。そして、通路が明らかに拡大されている。(設備の都合だろうが)2+2の座席に飼い慣らされた山陰本線京都口の人間たちにとって、関空輸送で鍛えた1+2の座席配置は藁にもすがる最終手段のようにも現状感じるのだ。下車してから京都駅でその通路を眺めると、スッキリと開いたサマに驚いてしまった。
成長を感じる東海入り
米原から先、JR東海の線区に入った。写真の車両はご覧のように…慣れた方なら1発で判明が付くであろう、311系だ。
311系に乗車して最も目を惹くヶ所といえば、やはりこの場所ではないかと思う。関西では221系のリニューアルによって失われた、クロスシート越しの駅案内と時計の景色。コレこそ、JR各社が近郊電車に対して抱いていた先進性と期待。そしてコレから先の時代を歩んでいこうとするに大いなる飛躍の念を込めた情熱の装備だと自分は感じてしまう。
些細な装置ではあるが、311系のこの装置はスマートフォンが成立させた情報社会の波に於いても健在であり、そんな時代だからこその新たな独特の魅力をおも感じさせる素晴らしいツールだ。
自分はこの表示器を旅の様々な情景越しに眺めるのが非常に大好きなひと時である。東海の電車としての生命は終わりが近い状況となってしまったが、この表示器に込められた魅力は永遠に語り継がれて欲しいものだ。
そんな事を思っていると。近江長岡の側線に放置された白いワム貨車や、しばらく別れるライオンズカラーの湖国バス。そして関ヶ原の戦いを伝える様々な看板達がすぎて行った。このまま養老鉄道の揖斐方面の線路をクロスし、そして大垣電車区を跨いしまえば電車は大垣に到着する。
かつては下車したホームによってはホットスナックの自販機なんかもあった大垣駅のホーム。しかしそんな雰囲気は欠けており、今はその残照も新型機に代わって光景が変化した。
資金調達の都合で街中を歩く事になったが、どうやらこの「大垣市」はアニメ・マンガでの聖地に選ばれていた地域のようだ。
聲の形での養老鉄道登場は非常に有名な話だが、ツナギの自転車屋さんのマンガは個人的に気になった。「恋は雨上がりのように」のようなテイストに見えたが、実際はどうなのだろう。
アーケードの昭和感などに打たれながら、雨降る大垣の街をイベントに向けて足踏みしながら駅へ戻った。いつ見ても、自分が通っていた縁もあるのか養老鉄道の大垣駅は非常に実家のような安心感や暖かさが存在している。
駅員の案内が聞こえた。どうやら列車が同時入線してくるらしい。少し待機してみる事にした。
イケタマではなく
桑名方面行きの電車として入線してきたのは、TQ14編成と呼ばれる養老鉄道7700系だった。
近鉄向けの電装改造や多少の装備取り付けを実施した他は車両は東急ステンレスカーの名車、東急7700系と何ら変化はない。寧ろ見た目等はそこまで失われていないので、「東急電車」と呼んでも差し支えがないレベルだ。
多少の無骨さを手に入れた7700系を撮影して、ホームに向かっていく事にしよう。大垣駅での途中下車では毎回このヶ所で撮影を行っているが、東急時代の面影を濃く残している方の7700系を撮影した経験はあまりないのではないだろうか、と思った。なんというか綺麗に(自己範囲)残せて一安心だ。しっかしこの電車は無骨な顔になった感覚がある。譲渡された中では「東急時代に近い存在」であると何となく理解していてもだ。
ホームに並ぶと、揖斐方面の側には緑帯になったTQ05編成が停車していた。養老鉄道に譲渡された東急電車の形式は7700系のみで、1形式だけの単純な分類となる。
14編成は東急時代の原顔なのに対し、05編成はLED前照灯を光らせたスタイルになっている。この部分も東急を離れ、養老に馴染み。先の塩浜入場にてこのような改造を受けた状態となる。「すっかり」かどうか別だが、養老に越したステンレスの名車はセカンド生活を満喫し慣れたようにも見えた。
転居が決まった時、何人かの人々から「老老介護」「老人ホーム決定」と揶揄された生活が嘘のように感じるが、「東京の電車に会える環境」が近いと何か「新しく見えるもの」である。車体自体はそれなりに歳を重ね、セカンドを積むと何年越しになるかはわからないのだが。
しかし、そこにはイケタマ…のようなステンレスの名車の広場があった。
発車直前に顔を接近して撮影するチャンスがあった。
こうして観察すると、東急時代の引き締まったイケタマの7700系フェイスを感じる事が出来る。そして、東急時代にも親しまれた愛称である「歌舞伎」の名前はこの場所でも健在であった。7700系にとっては懐かしいような生活でもあるのだろうか。後のイベントでも
「池上線の電車だったんだよ」
「東急の電車だ」
との会話が少しづつ聞こえ、この電車の故郷や経歴の存在が何か愛されている存在である事に嬉しさすら若干感じてしまったのであった。
駅員からの発車案内が告げられる。そろそろ乗り込むとしようか。ワンマン電車ならではの
「扉にご注意ください」
と機械的な注意放送を流すと、7700系は軽やかにVVVFインバーターの加速サウンドを流して発車した。近鉄車の渋く細いサウンドとは違い、東京の電車ならではの上品なサウンドを奏でて走り出す。
車内はイベントに向かう乗客・家族連れが多かった。
「東京から来た7700系です。どうぞ今日はゆっくりと楽しんでくださいな!」
と自慢の走りを披露し、西大垣までの小さな電車旅を演出していた。
室駅を見せる揖斐線と違い、養老線は先の西大垣付近までカーブを見せてIBIDENのビルを麓にして駅に滑り込む。
さぁ。久しぶりのイベントが開幕する時が来た。
電車は飾り付けられた西大垣の車庫を横にして、西大垣に滑り込む。歴史ある木造の駅舎も、今日は何か違った装いに感じてしまう。
ヨソユキノシャコ
西大垣に到着し、これから会場である養老鉄道、西大垣車庫に向かう。会場である車庫までは徒歩で3分ほどと近い距離であった。写真は到着してからすぐの西大垣駅のホーム。駅全てが「まつり」の告知で埋められ、大盛況の活気を見せていた。
列は長く続いており、朝の6時頃から待機していた客もいたという。自分のように距離が離れている人…というか久しぶりのリハビリ感覚で養老鉄道を楽しみに来るにはこの時間が丁度良いのかなと思いながら少し待っていると、形成された列が動き始めた。いよいよ養老鉄道まつり2023が開幕するようだ。
会場の入り口はこのようになっていた。電車は先ほど乗車した東急の歌舞伎電車の他に、近鉄由来の電車たちも描かれたものとなっている。
ある程度の置換えが進行してひと段落…ではないようだが、このようにして電車の情勢が半々になっている状況が窺えるものだと個人的に感じた。自分の中ではあまり馴染みがなかった東急の電車も、今やすっかり養老鉄道の看板を背負っている。最初の頃は先輩格の近鉄車に「よいしょ」と手伝って貰っていた感覚の東急車だが、今では会社を担う大事な看板頭になっているのは見ていて何か頼もしい…というか嬉しいものを感じる。
そんなヨソユキの入り口に飾られた車庫の門扉を潜って、イベントに入って行こう。長いこと待っていた…訳ではないが、ようやくこの時間がきたと晴れ晴れした感覚があった。車庫までが近くても、会場までの距離が少し遠いような感覚になってしまうものがこの先あるのだった。
入口の看板を見て少し先。車庫の「構内踏切」が存在する。警守というか駐在員というか。踏切の監視をしてくださる方というのはイベント中常時待機していたが、この踏切を久しぶりに通過する違和感は個人的に拭えなかった。(高校生の時に西大垣で開催のイベントに参加)
しかし、こうして本線を見てみるのも面白い体験だ。運転士・整備員たちの
「右よし、左オーライ!」
という体験の奥義がこの光景に詰まっている。一種の職業体験アトラクションとしても楽しめる構内踏切であった。
若干ではあるが
「あれ?こんなのあったっけ」
という感覚になっていたのは忘れられないとして。写真の左側には今日の洗車・構内入換体験に使用する電車が待機している。車両は近鉄車らしい。イベントでは後に登場してくるが、東急・近鉄と半々に登場してくる格好になった。
本線・揖斐方面にも仕事に出ている比率として東急・近鉄と出庫してはいたがこのバリエーションでは中々楽しめたような気がする。それではヨソユキに飾られた車庫の中に入っていくとしよう。右よし!左よし!!
仲間を偲んで、昭和を想って
グッズブースに並んだ。会社に今回は乗車しないという代替として、今回はグッズで出来る限りの購入をしておこうと思った。(支障ない程度に)近距離移動と同額程度にまで収める事は出来たような気がする。
そして、鉄道イベントといえばこのように廃品の販売だ。
廃品からは目立つものとして最も初期に養老鉄道の近鉄車の第1線から退いたD25編成。そしてD23編成。最後に運転台撤去改造の名車であったD11編成の車両番号が販売された。
他にはこれらの車両から剥がされ供出された部品の販売が格安で実施されていたが、この車両番号のプレート達は30,000円から20,000円と近鉄系会社では安価な規格での販売(らしい)モノで購入が出来たそうだ。
自分がもし金銭を整えて購入が出来たとしても、着払いか宅配発送での購入になるだろう。
ちなみに、これらの車両番号プレート達は全て完売した。余程の愛ないしは購入価格の良心で購入にてが届いたかは不明だが、盛況にての終了だったようだ。
何れの車両についても、思い入れの濃い電車たちだ。特にD25編成とD11編成については、往時の友人達と追いかけた思い出が残っている。D25編成は最も南大阪線で現在活躍する6020系に近い形態の最若電車として養老では親しまれていたが、早くにして鉄路を去ってしまった。
なお、購入された方の中に知人が何人かいらっしゃったのでその際の思い出話にも花が咲いた。
「あの頃はこうだった」「楽しかったんですよね」
など交わす時間は、一種の同窓会のような…と言ってまた表現が難しい。
そして。この場でお礼を。美濃本郷STATIONの皆様。会場ではお付き合い下さってありがとうございました。ご縁薄き若造に時間割いて下さった事に感謝申し上げます。
そして、会場では車両に掲示する「系統板」の販売も実施された。古くは近鉄でもよく普及し、線区ごとに「新田辺行き準急」「上本町行き急行」など、種別をも意図したパターンがあり一般車の定番アイテムであった。関西・関東の大手私鉄で掛け方やデザイン。形状などにも差異があったアイテムであり、「昭和の鉄道」を象徴するものだと語っても良いだろう。
しかし、大手私鉄では順次行き先の幕やLED化が進行していった。その際に系統板は廃止ないしは縮小されていき、普及も減っていく。
しかし、養老鉄道では近鉄の狭軌路線から車両を譲渡していた縁もありこの「系統板」に季節やイベント毎の印刷を行なって列車に掲示し、昭和の私鉄の名残を語ってきたのである。
今回、その系統板が展示形式で販売された。一部は定価品としての販売であったが、価格をオークション品に設定しているものもあった。それらの品については今回は入札者が1人しか居らず、購入は1人が80,000円の板を2枚購入して160,000の金銭が動いたのみとなった。
購入者さんに話を聞いたが、
「美人と同じなんだよ。素人は手を出せないんだ怖すぎてね。高嶺の花なんだよ。」
と語っていた。なるほどそういうものか。
展示を見渡す
今回の展示車両は「歌舞伎色違い」仕様になっているTQ12編成と近鉄譲渡のD04編成が抜擢されていた。近鉄車からの抜擢は入換用D01編成とこの編成のみで、東急との比率は半々に設定され趣味的にも楽しめるイベントだった。
そして、このTQ12編成。表示をご覧頂くと「美濃松山」になっているが、イベント中の表示が何度か変化していた。オチ的に言えば「一巡」していたようで、最後まで残っていたのに何ループしていたか分からないくらい表示が回転していた。
こちらは「養老」の表示に切り替えたもの。曇っていると少々見易くなるかもしれない。イベント時間内、晴れた隙間が何回か訪れた為東急の表示撮影に苦心する瞬間が何回か訪れた。
イケタマ時代から尊重してこの状態になっているのは感覚的に理解が出来るが、鉄オタ的には難しい車両…特に撮影寄りには気難しい車両な気がしてならなかった。
「石津」表示に設定されたTQ12編成。石津行きの電車は異常または臨時でないと運転設定がない電車なので、この表示に出会えるのはかなり珍しい。ベストなモノを選んでくださった、と仰ぐ感謝をしてしまった。
しかし曇っていると見易いと表記しているが、接近してこのレベル。というか機材貧弱でこのレベル。少し解像度が粗い機材で立ち向かった方が良いのか…?くらいだったが、後に試行錯誤して東急車の様々な表示に向き合っていくのだった。1巡してくれた東急車とこの仕掛けの企画人の方に先ずは最大の感謝を表したい。
車両撮影(午前)
車両撮影コーナーが設けられていた。このコーナーには家族連れ…ではなく明らかに「撮り鉄」イベントの視察を目当てにきた「鉄オタ」らしき人だらけのかなりイベントでは浮いたコーナーだったが、家族連れの方々がベビーカーを突っ込ませたり小さい子を連れてやってきたりと何でもアリな状況になっており、「鉄オタが放つ謎の集中力」と「家族のワイワイ」が交錯する妙な空間になっていた。「柵内立ち入り禁止」などの表記もあるので「明らかな大人向け」コーナーでは無いかと感じるのだが、それは参加層が混じっていると関係が無いのだろうか。
列から合流した懐かしの知人たちと一緒に撮影をしていた。
「この時間が1番光が当たりましてね、非常に綺麗なんです」
とのアドバイスに便乗しての撮影を試みた為に、何とも良い状態の形式写真を持ち帰ることができた。
会場内に印刷機が設置されていたら即印刷して持ち帰りたいくらいの良い仕上がりになっていると感じる。
少し接近して撮影。こうして見ると、近鉄隆盛だった時期の養老鉄道とはかけ離れた感覚がある。十和田や福島、最早何か東急の復刻撮影会感覚だろうか。
ちなみに表示は晴天で何も判読が付かないが、この時は東急イケタマ時代の「五反田」を表示している。東急時代の赤帯に相応しいモノだが、晴天時に映してしまうとこの記録が反転しないのが実に残念だ。
車両の良さ、車両の質。そして無骨な東急の魅力を詰めた良い写真が残せたのでは無いだろうか。午前中、知人たちと笑いながら意見も交わしながら記録したのはこの分を中心にして多少なりだった。
しかし開催日の「昭和の日」に相応しい感覚というものだろうか。「昭和」に落成した電車の良さというのは多く出てくる。どう言った角度から切っても、何か日々食べている和定食のように心に馴染むものがあるのだ。
午前の撮影時ではこんなカットも。
西大垣のランドマーク?になっている存在の「IBIDEN」ビルや係員が乗車するタラップなども入れ、少し雑味を入れてみた。
こうして眺めているとこの電車が「田舎生活」をしているというより、何か「都会への里帰り」を達成したような晴れやかな気持ちに見えるから「不思議」というものだろう。こうした厳つさも、また昭和のステンレス電車を引き立てるナイスアイテムだ。
少し引いた場所から記録してみる。三角コーンで形成された柵が邪魔をしてしまうが、車両をじっくり眺め回すには格別なモノがあるだろう。
背後に掛かる「IBIDEN」のビルも良い感じに味を引き出している。人によっては賛否あるかも…な点ではあるかと感じるが、自分にとっては良い雑味のように感じる。
眺めてみると、東急の電車としての良さを引き出すステンレスの地…というより、電車そのものの工芸性について考えを寄せてくる電車だと思ってしまう。
全国各地にもこうした復刻東急車やそのままを尊重した東急車は多く在籍しているが、養老の東急は「近鉄」と「東急」を巧くハーフした貴重な存在ではないだろうか。
そうした妙味と深みも、こう引いて眺め感じる事が出来る部分ではないかと思う。素晴らしいモノを東急車輛が昭和に成し遂げたと改め感じる事が出来る、圧巻の逸品だ。
オマケに。
養老鉄道には、7700系譲渡の時期からずっと裏で使命を支えている電車が存在する。
今回は撮影会場が近かった為、記録を残してきた。
この電車は一見すると単なる箱のような置物…だが、いざという時に活躍する部品供出の電車だ。東急車を譲受して走らせる会社には多く存在するモノで、「部品取り電車」と呼ばれている。
製造が停止された電車、既に会社内では廃車が進行して存在が少ない電車…といった場合はこのように編成を組み替えるなどして予備の車両を捻出し、必要時の部品供出に備えているのだ。
等身大の鉄道模型のように見えるが、一見すると重要な保安の役割を担う大事な存在なのである。
車両の妻面には「東急」「養老」それぞれの社の紋様が貼られ、その出番を今かと待機している。単なる「ジャンク品」などとは馬鹿にできない、縁の下の大事な電車だ。
特徴巡りて
養老鉄道に譲渡された東急車について、最も大きく目を張るのはこの部品だろう。
この部品こそ、近鉄では転落防止の為に設置がなされた「イライラ棒」こと「転落防止幌」だ。
この装備は近鉄での養老鉄道対応改造に向けた電装改造工事と時を同じくして施行された。この部分だけを眺めてしまえば、一見
「東急と近鉄の合体技」
として何年か前までは相当の驚きを喰らうはずだ。しかも改造は東急ステンレス車初期の車両である。
今でも車両の存在さえ慣れたモノ…ではあるが、この「近鉄風味転落防止幌」というのは車両乗車前後でも撮影をしていても目を惹いてしまうのだ。かなり魅力的な装備ではないかと思う。
もう少し行先表示に接写したカットが残っていた。(興奮してどんな写真を撮影していたか若干忘れていた)
この接写カット、中々の綺麗な表示ではないかと思われる。
「養老鉄道に譲渡されているのになぜ渋谷?」
と思われるかもだが、答えは先程…というか何回も表記したように東急から来た車両。そしてイケタマ時代を尊重しての事でイベント用にこの表示が残されている。
イケタマ線(池上線・多摩川線)での活躍と書き残しているが、この7700系の場合は最早蒲田方面の線路が今は都市アクセス級にまで大昇格した「目黒線」との接続時代、「目蒲線」の時代も知っているだろう。きっとその頃は彼にとって黄金の時代だったかもしれないが。
そんな事を「わかる人にはわかる」状況下で残していたTQ12編成。緑の歌舞伎(うどんかよ)には少々不釣り合いだが、7000系列のダイヤモンドフェイスでこの「渋谷」が見られる事は非常に喜ばしい出来事だ。
側面の「渋谷」表記はこのように現れる。しっかし「映しにくい」ばかりが頭に過ぎってどうも先に進まない撮影だった。試行錯誤、シャッターいじり、環境に合わせて…と操作をしているウチに表示が次のモノに変わってしまう。
幕状の表示はタイミングを停止させる事に少々会わせてしまえば「どうにかなる」ものの、LED式はこちらからアクションしないとどうにもならない。
側面は側面として「ゴツゴツ」したステンレスのイカつさが垣間見える表示なのだが、肝心の里帰り「渋谷」表示はパックリ」割れてしまった。
ちなみにこの様々な表示を1巡させたTQ12編成であったが、会場内では「休憩電車」兼「運転台体験電車」扱いとして1両目を見学開放、2両目3両目を憩いの場として提供していた。
現在、養老鉄道に在籍している2タイプの電車を拡大撮影で映す事が出来た。
柱が乗務員扉を塞いで邪魔をしているが(主に向かいの近鉄車)、この写真はそんな両電車について考え考察のできる非常に面白い写真ではないかと思う。
左側、銀色の東急の電車は車体長の短い18mの3枚扉。しかし。それに対して右側。赤い右側の近鉄由来の電車は20m級の車体を採用している。
この辺りの差異が縦列留置から感じる事の出来る妙味…というか差異であり、会社が長さと扉数の異なる電車を使い分けて過渡期の運用を行なっている事が判る記録でもある。
「こうして見ると違いがよく判るよね」
と知人の方も仰っており、正にその通りだと感じた。
全国で東急の車両を譲受して採用している会社は、数が多い。その流れは名車・旧5000系の青ガエルが齎した影響も去る事ながら…ではあるが、車両の長さの良さに使い勝手の妙味が残っていたのである。
7000系列は東急ステンレス車両初期の残党として長く残り続けたが、その軽快さと短足さが命を繋ぐ事になり、結果的にはサイボーグに近い状態ではあるが養老鉄道で再びの生涯を過ごしている。
電車に乗る際は読者の皆さんも、コレをキッカケに「扉数」「乗車位置の違い」などから車両の長さなどについて考えてみるのもどうだろうか。自分にとっては貴重な記録に向き合えたと思う。
決め技炸裂!
さて、ここから乗車していくのは「洗車・構内入換」の体験電車だ。
車両は序盤でも触れたように600系のD01編成が登板している。写真は100周年(何の100周年だった?)の系統板を提げた621系D21編成との共演である。普段は撮れない位置からの並びを抑えた。
今回の入換・洗車体験の担当運転士は自分に大変優しくして下さっている、鉄道ファンの中では相当有名な方であった。気さく…というか、イベントを楽しみにしている。今日という日を心待ちにしているような笑顔だったのが忘れられない。
この運転士には時々遭遇しているが、いつも養老鉄道が大好き…な表情をしている。仕事が好き、というか自分がこの仕事を出来ていて人生に自慢したくなるかのような。既に年齢はかなりのベテラン領域で、養鉄人生…こそが職業人生と数えられる程の運転士だ。
今回も運転のハンドルを握る前、ニコニコ笑いながら話が弾んだ。
「運転、期待してますよ!」
「照れますなぁ…えぇ?」
体験列車はそのまま出発した。多くの乗客を乗せて往復したのが車内でも見て判るように、床は漏れ出した水で濡れていた。車内放送でも
「水漏れに注意してください」
との喚起放送があったくらいだ。ここまで磨かれてしまえばD01編成はしばらく洗わなくて済むだろう。相当な距離を洗車してもらっているのだから。
多くの期待を載せて低速加速した体験列車だが、しかし驚いたのはベテランならではの加速の細やかさだ。本当に無駄な挙動などが一切存在していない。そして、普段は車両の外からしか聞こえないような「ギギギギギギぎぎ…」といった軋むような音の感覚も全くなかった。
「上手いよね、本当に!!」
と喝采が舞い上がる。プロ…というよりこれには職人技巧が存在しているのではと過る位には知人たちボクらも驚くしかなかった。相当知り尽くしている。この技巧に関しては後に話を聞いて知る事になるが、この時はまだ知らなかった。
体験列車はまず「ピット線」に入線する。西大垣のピット線は私鉄各社のピット線でもコンパクトさが個人的に好きで、町工場やガレージにも通ずるヶ所を感じるのだ。
あまり中に入るのはこうしたチャンスしかないが、外から見ているだけでも充分に楽しい基地である。
この線でゆっくり停止し、安全確認をしてから再び走り出した。この際の挙動も全くなかった。職人技が存在するならこんな面に存在するのだろうと本当に思ってしまう。勤続ベテランとは本当に頭が上がらないものだ。
そして。そのまま開けた入換の線路に出てきた。光を浴びると何故かこう気持ちが落ち着くもので、そして一安心すらしてしまう。立ち並ぶ線路の非日常。そしてこの車両基地に乗車している感覚に、鉄オタとしての探検心や「お邪魔しています」という畏まった心が覗いてしまう。
そのまま軽やかに動き続け、体験列車は洗車機に向けて方向転換をする為に一旦停車する事になった。しかもその場所は…
本線の真上だ。ポイント操作や信号の冒進などしてしまえば衝突間違いなしの場所であり、小さい子どもに見せてしまえば
「ぶつかる!!!!」
と言われそうな場所まで体験列車は迫り出していた。
ちなみに、西大垣駅に停車しているのは近鉄車のn看板的存在で鉄道ファンからの人気も高い、「ラビットカー」だ。南大阪線の歴史を語る存在でもある。
そんな列車と同じくの本線に停車した状態の体験列車。ここから運転士が方向転換の為にアテンダントと共に戻ってハンドルを緩め、走り出した。何事もなかったかのように養老鉄道の1日が再開する。何か時間が止まった感覚のように外からは見えていたのだろうか。
再び走り出した景色の向こうには、今回の展示車両であるTQ01編成とD04編成、そして部品外し用の電車が停車している複雑な分岐路に差し掛かる。
ここでようやく判読が付いたが、TQ01編成は「蒲田」との里帰り表示を出していた。この状況下でようやく確認が出来るレベルなので、非常に判読が追いつきにくい車両だ。
そのまま線路を進行し、洗車機の前で停止した。
はい。(何いきなり)ここは初の画像2枚使いなんですけれども
洗車が始まった。強力なブラシによって、車両を一気に磨いていく。この瞬間というのはどこのどんな会社でも楽しい。
磨かれた瞬間、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
と阿鼻叫喚する家族連れの姿が個人的には毎回刺さるのだが。
磨かれた後の車両というのは、かなり綺麗になって帰ってくるものだ。
車のガソスタでの洗車だって、機械での洗車と手洗いでのガラス拭きとでは何かが違う。機械で一気に磨き上げた車両は何か晴れやかに感じるというか、気持ち的に感覚が晴れ晴れしたようにも見える。
まぁ、こういった場合は洗いすぎだと思うけれど。
再び通過。
そして体験イベントが終了。
とこの時に体験イベント担当の運転士さんに話を聞く事が出来た。
「非常に素晴らしい低速捌きでした」
「アレはねぇ、やっぱ人が重荷として乗ってるからってのもあるのかな。何となく加速とか違う感覚になるんですよね。」
と加速の加減が普段と異なっていた事が判明。
流石、名運転士の技量は感覚が違う。そして、この時には「目に見えない部分も運転士肌として感じる」と仰っており、技術の高さを話でも感じた。
またこの運転士が操作する電車に乗車してみたいと思った。次はいつになるのだろうか。
急遽でございます
東芝がスポンサーの番組が今から始まるわけではない…が、書いているうちに10,000文字以上を突破していたので第2部を書き添えたいと思う。そしてこの記事は外で書いており、別の旅路が控える中での記録だ。当の本人は給電の真っ最中を生かして書いているのだが。
養老鉄道まつり2023の昼食はイベント出店のキッチンカーにてCoCo壱番屋のカレーを食した。猪肉フランクが気になったが、既に完売…
と、そんな状況でこのカレーを胃に収めた後の第2部が始まる。もう少しお待ちくださると非常に嬉しい。
おまけ。
実は有志の方が参加に向けてこんな作品を作成していたのだという。許可を得て撮影させていただいた。(※掲載も許可済みです)