ACT.91『2つの観光列車』
滝川到着
旭川から速攻で移動し、そのまま函館本線は滝川に到着した。
この駅では、北海道を周遊中の観光列車・『ロイヤルエクスプレス』が方向転換の為に『機回し』をする駅なのである。
旭川から特急/ライラックですぐに向かったが、まだ列車は停車しているようであった。
珍しい列車の入線とあってか、滝川駅では駅員による撮影への注意喚起放送を流すなど少し賑やかな雰囲気になっていた。
早速、その観光列車を…ではなく、まずは滝川に到着してすぐに撮影したこの1枚を。
キハ40形を発見したので撮影した。
駅名標と1枚。
何回もこの連載内で記したが、キハ40形はJR北海道からの引退宣告がされており、時期にこの鉄路を去ってしまう。そうした中での記録を収めた。
復興大使の到来
滝川駅の留置線の中。見慣れない真っ青な車両が停車している。
そう。この車両こそ、JR北海道へ出張運転し東急電鉄との共同企画として遥々と津軽海峡を越えてやってきた伊豆急行の豪華列車『ロイヤルエクスプレス』である。
かつては伊豆急行にて、観光要素を満載した車両…リゾート21シリーズの一族であった2100系『アルファ・リゾート21』として活躍していたが平成29年に豪華列車『ロイヤルエクスプレス』に改造され再びのスタートを切ったのである。
通常は、伊豆急行で伊豆急下田からJR東海道線に乗り入れ、横浜駅まで走行している。
だが、今回は珍しい事例として青函トンネルを越えてこの北海道の大地までやってきた。その理由とは何故なのだろうか。
伊豆急行の豪華観光列車『ロイヤルエクスプレス』がどうして北海道に上陸し、クルーズトレインとして運転を行なっているのか。
令和2年より既に回数を重ねて運転しており、運転の背景理由として平成30年に発生した北海道胆振東部地震にて被害を受けた北海道の大地に『賑わいを取り戻してほしい』という地域活性化への願いがこの列車の運転に繋がっているのである。
今回の北海道上陸は4回目であり、既に常連客の領域に近いだろうか。
さて、撮影したこの写真。
車両の真っ青な色調も目を惹きつけると同時にやはり、種車として伊豆急行時代より継続使用されているこの扉。
4枚の折り戸がどうにも新鮮に見えてくるのだ。
「どうやって開くんやこれ…」
あまりにも気になったのでつい撮影してしまった。
そして、今いる場所はJRなのに私鉄独特の車両番号として4桁の数字が連なっている。
JRでは四国のみが例外で4桁の数字を使用して形式を充てがっているのだが、普段はJRへの私鉄乗り入れでない限りこうした光景は珍しく移るだろう。
この部分で、車両が変わらず『伊豆急行2100系』の一族として現代にも生きている事を実感させられたのであった。
JR北海道の名物、ホーロー看板との撮影。
いや、あまりにもシュールすぎる。
この光景は既に4回目ではあるのだが、全く何も知らずに未経験でこの写真を撮影していると脳が何かしらの信号を発しそうな気がする。
そして、車両の中に映っている『IZU』の文字。
北海道で見た光景としてはあまりにも衝撃的なのであった。
車両のロゴが燦然と輝いている。
ちなみに車両の編成写真で大体察した方も多いかもしれないが、この豪華観光列車を改造するにあたっては超有名ありきたりデザイナーである水戸岡鋭治氏の力を受けている。あの『ドーンデザイン研究所』が開発したといっても過言ではない車両である。
怒涛の編成
ロイヤルエクスプレス北海道…を撮影している中で、やはり大きく目を惹いてしまうのが『この部分』である。
ロイヤルエクスプレス+白い客車+ディーゼル機関車の重連。
実はこの編成、闇雲に組まれているわけではなくしっかりと意味があるのである。
少し前に寄って編成をもう少し詳細に見てみよう。
先ほどの札幌寄りでは、車両から配線がそのまま『丸出し』状態になり、さながらクラゲのような状態であった。
しかし、旭川方面。
この旭川方面では、とある車両…それも、白い客車と連結している。
その為、編成撮影をしようとするとこうして顔が隠れてくる状態となってしまうのだが、この編成にはしっかりとした意味が保たれているのである。
ちなみに改めて…だが、ロイヤルエクスプレスは通常の編成と異なって編成を輸送前に短縮し、4両で北海道に入線している。
その為、外した車両同士が連結するとさながら歯抜けの状態になり、数字の番号順が1、2、3…という付番では無くなってくるのである。この部分を撮影してくれば良かった…
ロイヤルエクスプレスと機関車を接続する車両が、この白い客車…マニ50-2168である。
この車両は、元々JR東日本の車両として活躍していた。平成28年まで水郡運転所に所属し、JR東日本のジョイフルトレインである485系電車の改造ジョイフルトレイン『リゾートエクスプレスゆう』の電源車として活躍した。
電源車…とは、車両の中で使用する電気を供給する為の機能を保有しており、室内灯や空調設備に使用する電気を供給する為の機能を備えている専用の設備を確保した車両である。編成内に電源を送り届ける為には大事な存在となり、電車が非電化区間に入線する…際にはパンタグラフからの架空線集電に代わって編成の心臓的な役割を果たすのだ。
『ゆう』(以下略)の相方として電源車となり、非電化区間を走行する際の専用電源車として共に『ゆう』の走りを支えた。
しかし、平成30年に『ゆう』が引退。そうした中でマニ50-2168は失職した状態となってしまった。だが、その中に光を刺す話題が入ってきたのだ。
令和元年に東急電鉄への譲渡が決定したのである。
一旦は廃車となり、役目を失職している状態からの復活となったマニ50-2168。再び関東圏に戻り、豪華観光列車の楽しい旅の時間を支える裏方役者としての仕事を歩み始めたのであった。
現在はこうした出張運転の他は伊豆急行の車庫にて出番を待ち留置されている状態であり、適宜ロイヤルエクスプレスと共に旅へ歩んでいる。
こんな場所で大手私鉄に?
伊豆急行は東急電鉄傘下の会社である。
かつては伊豆急行の看板列車として新たに登場する事になった2100系『リゾート21』が東急田園都市線などを走行し、話題を呼んだのだが…その話ではなく。
しっかりとこうした場所に親会社の痕跡が残っており、JR時代の『新潟鐵工所』の脇にチラリと『東急電鉄』の銘板が貼られている。ステッカー状ではあるものの、紛れもない東急電鉄の銘板だ。
自分の中では…大手私鉄の最北端の運用範囲は東武鉄道DE10形ディーゼル機関車+14系客車の会津若松までが最北端であると思っていた(あくまでもツアーではあったらしい)のだが、このマニ50-2168の活躍を見て驚かされた。
今回の運転ではロイヤルエクスプレスが出張運転として初の南稚内まで乗り入れており、あと少しで日本最北の線路までというところになった。
「いやいや…なんでこんな場所で東急の車両に遭遇してるんや…」
この銘板を見てしまうと、自分の既成概念を容赦なく破壊される。
ロゴはしっかりと伊豆急行に染まっているものの、やはり言葉が放つ異様さは強烈である。
ちなみに、車両の型式付与番号に関してもコチラは客車の付番に従ってなのかハイフンは抜かれたもののしっかりと国鉄さながらの形式を放っている。
「東急の車両やんな、こいつ…」
あまりにも目がフラフラしそうな車両が目の前には停車しているのであった。
まさか、東急と伊豆急の親子関係のようなものが車両を北の大地…果ては稚内に滝川までこの車両を連れてくる事になろうとは想像も付かない事象なのであった。
こちらは、真っ白…?とは言えないにしろ白を基調にしつつも、水戸岡鋭治氏のドーンデザインスタイルにしっかりと収まった車両になっている。
ロイヤルエクスプレスのロゴも車両をうまく引き立てており、遠目から観察しても私鉄の車両としてしっかり収まっている。
除雪機再び
編成の先頭を飾るのは、黄色いディーゼル機関車だ。
連載内、富良野線の夏季観光列車である『富良野・美瑛ノロッコ号」を牽引していたディーゼル機関車・DE15形がコチラでも主役として列車を牽引している。
しかし、この機関車。
ロゴなどが特に大きく誇張されている訳ではなく全くの単色。
しかも末期色真っ黄色が機関車の特徴であるラッセルアダプターにまで張り巡らされた、異色の機関車である。あまり単色だけを大胆に使用した機関車というのは見かけないような気が。
旅路の中で見かけた『富良野・美瑛ノロッコ号』ではラベンダー畑と草原をイメージしたカラフルな壁画のような塗装だったのに対し、コチラは情熱的な感覚を放つ面白い機関車だ。
先頭の機関車では、乗務している機関士が折り返しの為の準備に勤しんでいた。
写真では伝わり難い…のだが、この機関車の運転台はなんと『横向き』になっているのである。
その事情に関しては、
『前後どちらにも向きを変えずに運転できるように』
という凸型の構造を最大限に活かした理由が存在している。
この機関士の姿を見ていると分かり難い…状況ではあるが、横向きに座って本線運転を首を曲げつつの状況となり実に苦しそうである。
しばしの休息で現在は落ち着ける状態だと思われるが、実際に首を曲げての運転というのは気が気ではないだろう…
それにしてもこの機関車、どうにも日本離れしたデザインすぎる。欧州圏に居そうな感じだ。
おまけ。
東急電鉄の所有として第3の余生を暮らしているマニ50-2186との組合せ。
まさかJR北海道の車両と定期運転でこうした組成を組みし姿に遭遇するとは思っても居なかった。
改めてこの3連結の写真を見てみよう。
ジャンルとしては電車+客車+機関車…というこの時点でもとんでもない組成になっているのだが、会社という枠組みだけでも
『伊豆急行+東急電鉄+JR北海道』
という組合せになり、この写真で伝わる破壊力も相当なものである。
自分が幼少期の頃、伊豆急行アルファリゾート21として眺め憧れた電車が、まさか津軽海峡を渡ってこんなトテツモ編成を組んで活躍するとは夢にも想像していなかった。
ロイヤル記録の時間
少し離れた場所からも…というか、こうした滝川駅に私鉄の車両が入線してくるチャンスなど滅多にないもので、ついつい撮影の足が進んでしまう。
写真は反対のホームからだ。
滝川…という地名と、横浜(ローマ字ではあるのだが)が共演している写真を、この令和の今に撮影できるとは思いもしなかった。
旭川ではきっと折り返しに向けての時間に忙しくてここまでの記録は出来なかったろうし、その中で滝川での折返し機回しの時間を待ってからの撮影は非常に良いチャンスになったのではないかと思う。
そして曇天であったので、記録する写真のアングルに制限がなかったのも非常に良かったと感じるのであった。
当然、こうした見慣れない共演を駅構内で撮影出来るのだから…として、JR北海道の電車と共演する姿を撮影した。
並んでいるのは、(小さいけども)旭川方面へと向かう721系電車。
F-14編成として初期車の分類に当たる編成であった。近郊型の3両編成の部類で、今後は追加発注された733系によって立場の危うくなる編成である。
こうした共演が撮影できたのは非常に良かったところだ。今後はまたチャンスが巡ってくるかどうかも分からない事を思えば、実に良い並びだったのかもしれない。
何回もこの言葉を用いるが、
「本当に目を疑い脳が変な反応を起こしそうになる。」
というのが滝川駅でのロイヤルエクスプレス撮影の感想だ。
JR北海道の車両との共演にここまで温度差が出てくるとは…
車両にも大きな特徴がある。
いつでも機関車と併結して運用が出来るようにされた連結面だ。
この場所からはジャンパ栓などが垂れ出ており、機関車との連結に対応している。札幌方に列車を動かす時にはコチラが機関車と連結されるのだ。
ちなみに。
この部分のロゴはしっかりと今回の渡道の為に張り替えており、通常の伊豆急行を走行する時のロゴではなく
『HOKKAIDO CRUIE TRAIN』
として専用のモノが貼付されている。
ちなみに。
ライト周りのこの複雑な装飾はテレビで見た限りだったのだが、水戸岡鋭治氏の拘った部分の1つとされており意欲作であると出ていたような記憶がある。
かなり前だったのでもう朧げなのがどうにもだが…
それにしても配線を丸出しにしている姿ははさながら、クラゲのような状態である。
ちなみに車両の特徴が、この階段状の…映画館のように段差を設けた車両の展望席であった。カーテンで見えづらくなっているのがどうも
現在、この部分は反対の6号車が展望ラウンジのようになっており、こちら側…1号車に関しては継続して展望席が設けられているようである。
登場時はこの機能が一段と注目され、見渡せる伊豆の海は綺麗に視界へ飛び込んでいたようだ。
現在は機関車との連結の為に開放している連結器の部分だが、このヶ所は登場時以降ずっと丸いスカートのようなもので覆われていた。
ロイヤルエクスプレス…としてもその優美さは変わる事はなく、スカート部には列車のロゴが記されていた。
改めて、旭川方のマニ50−2168との連結部分を滝川の駅名標と共に。
こうして見ていると、列車の佇まいに車両デザイン。そして駅の雰囲気と日本離れした感じが収まっているように思う。
もう1つの観光列車
ロイヤルエクスプレスの撮影は、そこそこで終了する事にした。
放送を聞いていると、とある列車の接近放送が流されていた。
フラノラベンダーエクスプレス。
夏季ラベンダーシーズンに運転されている、札幌から富良野に向かう臨時特急である。列車は富良野線の臨時駅である『ラベンダー畑』にも停車し、富良野・美瑛ノロッコ号同様に夏の富良野観光を支える頼もしい列車である。
この列車は、富良野線だけではなく函館本線の一部駅に停車するのが特徴だ。その為、カムイ・ライラック・オホーツクと走行している特急街道の函館本線は札幌〜旭川にて途中乗車も可能になっているのである。
既に聞き慣れた佐久間氏の放送を背にして、紫色の列車が入線してきた。
ラベンダー色のキハ261系5000番台。
ラベンダー観光を終えた乗客たちを乗せ、函館本線を都心に帰ろうとするその間に乗車した。
フラノラベンダーエクスプレスに関しては、乗車している増1号車を除外して全て指定席制になっている。
その為、自由席利用となればこの場所で待機するしかないのだ。便宜上はフリースペース扱いされ、指定席利用の乗客もこの座席を利用する事は可能だが、指定席からフリースペースまで移動する乗客の姿はなかった。
増1号車より、乗客限定のカットを撮影。
ラウンジはボックスのようにして組まれた座席と窓を向いたベンチ状の座席に分かれている為、こうしてこちらも日本離れしたようなカットの撮影が可能なのだ。
観光列車同士の並びを車内より撮影する。
JR北海道の車両から眺める東急の車両というのも完全に面白いだけでしかないのだが、こうしたカットを撮影する為に1日の延長滞在をしたと思うと中々乙なものである。
ちなみにこのロイヤルエクスプレスを牽引するディーゼル機関車は、必ずしも専用機の黄色いディーゼル機が牽引する訳ではなく例外ではあったものの朱系の国鉄色の機関車、そしてなんと1回だけ『ノロ釜』と呼ばれているノロッコ号の専用牽引機がロイヤルエクスプレスの先頭に立った事がある。
そうした変則の状態がある事を想像すれば、今回は中々綺麗な組合せになったように思う。
フラノラベンダーエクスプレスの車内より撮影しロイヤル専用機の写真。
撮影当日は中々の曇天であり、非常に撮影環境には苦しんだもののその姿を収めた経験は大きなものだった。
また北海道訪問の機会がこの列車とダブるようであれば、撮影したいと思った。
ちなみに。
迷った結果のエスコン開催であった日本ハムvsオリックスの試合に関しては唖然とする結果であり、
・杉本先頭打者本塁打
・紅林、若月の本塁打
・頓宮タイムリー
・宜保タイムリー
・抑え無失点リレー
・平野大和支配下昇格初安打
とあまりにもオリックス尽くしの内容になっており、結果を見た瞬間。この唖然と(良い意味で)する内容を見た瞬間に
「そっち行けば良かったかぁぁぁ…」
と頭をフラノラベンダーエクスプレスの車内で抱える事になる。
旭川往復の交通費でエスコン初観戦をしていれば、ここまで印象的な景色が見れたのかと思うと後悔にしか尽きなかった。
ちなみに、この試合で支配下昇格初安打となった平野大和であったが、その後何故か再び育成に戻ってしまった。なんでだよ。
次の昇格では、安打を放ち再び1軍の舞台で躍動する1歩を見届けたいところだ。
最後はしみったれた野球への後悔話にはなりましたけども。